第215回
四天王寺カウンセリング研修と
心の相談員養成講習に行ってきました。
ほぼにちは。
ミッセイです。
以前にも、
何度か書いたのですが、
あいかわらず、
心の事やカウンセリングに興味を持っています。
なんというか、
坊さんという仕事をしていて、
よく思うことは、
「目に見える形でも、
役に立ちたいな。」
ということなんです。
道徳的な意味とかではなくて、
仕事をしていて、
「ああ、楽しいな、よかったなぁ。」
と思える時って、
「役に立ったなぁ。」
と心から思えた時のような気がします。
それに、
仏教とかお寺と「心を考えている人達」が、
うまく出会えたら、
すこし役に立てるのかも、
と思ったりします。
カウンセリング研修に行くと、
子供も独立したし、
また、なにかを始めたいな、
と考えられている女性の人もとても多いのですが、
もしかしたら、
僕と似たことを感じているのかもしれないですね。
でも、
僕はたぶんカウンセラーにはなりません。
(なれません。)
それは、
僕がなんとなく感じていることなのですが、
それでも、
そういう場所に足を運んでみることは、
なにかのきっかけになるかもしれないと、
思っているんです。
カウンセラーにならなくても、
真摯に誰かや自分の心に耳を澄ますことは、
たぶん、とても大切なことですよね。
そして、
それは「学ぶ」ことよりも、
経験することかもしれないけれど、
「学ぶ」ことが、
まったく無意味かといえば、
そうとは言えないと思います。
というわけで、
とても歴史のある名刹、
大阪は四天王寺に行って来ました。
ここでは、
40年以上前から、
カウンセリングの研修を毎年続けています。
参加していた人達は、
坊さんは少なくて、
多くの人はカウンセリングの現場に
実際に立っている人のようでした。
(女性がやはりとても多いんですよ。)
そこで初めて
臨床心理士、
河合隼雄さんの話を生で聴けたのも、
普段から河合さんの著作に、
親しんできた僕としては、
うれしかったです。
「芸術療法」
が河合さんの話のメインテーマだったのですが、
「自分の中に祭りを持つことが、
とても大切です。」
なんて話を聞きながら、
「僕の祭りってなにかな?」
と考えたりしました。
その他にも、
ボーダーライン(境界例)と呼ばれる症状の、
専門家の話を聞いて、
「ボーダーラインでなくても、
ほとんどの人に、
似た傾向ってあると思うなぁ。」
「私も、
こういう仕事をしていると、
そう思うことが何度もあったよ。」
ということを、
隣に座った学校の先生の女性と話し合ったり、
バウムテストという、
木の絵を描いてもらう、
心理療法について、
話を聞いたりしました。
僕は、
話を聞きながら、
自分も木の絵をノートに描いてみたのですが、
僕の描く木には、
緑の葉が一切なくて、
赤い木の実が、
しだれた枝に、
いくつも付いているという絵でした。
こんなにも、
木の緑が好きなのに、
すごく不思議な気分でした。
カウンセリングの研修は、
行ってよかった、
来年も行きたいな、
と思う内容だったのですが、
朝、四天王寺の境内に座って、
開門を待っている時に、
(フェリーで行ったので早く着いた。)
隣に座ったおじいさんから、
「ワシは、母親が事故で死んでから、
毎年、ここで坊さんに拝んでもらうねん。」
みたいなリアルなお寺の“現場”の、
話を長く聞けたことも、
しっかりと体に染みこんできました。
後日、
栄福寺や僕が属する、
「高野山真言宗」の、
「心の相談員養成講習」
にも参加しました。
今までは単発の講習会に
参加するだけだったのですが、
今年から実地研修を含む
2年のカリキュラムに参加します。
高野山大学も、
僕が卒業した時は、
僕のいた「密教学科」の他にも、
「仏教」「中国哲学」「西洋哲学」
「英米文学」「国文学」「社会」「社会福祉」
などの学科があったのですが、
今では「密教学科」と、
この「心の相談員」講座とも連動する、
「スピリチュアルケア学科」
だけになりました。
少子化の影響も大きいのですが、
仏教の教団自体にも、
「なんとかして、
役に立っていかないと。」
という風潮があるのかもしれないですね。
こちらの養成講座は、
「養成」というだけあって、
実際的なカリキュラムが多いようです。
まだ、
始まったばかりですが、
参加している人達の地方は、
九州から北海道までで、
職業も、
看護士、医師、エンジニア、主婦、お寺の奥さん、
学生、無職の人、坊さん、
と本当に様々でした。
年齢も23才から70代までとかなり幅があります。
色々なバックボーンの人達と、
正直な意見を交わすだけでも、
なかなか、楽しい講習になりそうです。
大阪の四天王寺にて
ミッセイ
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