坊さん。
57番札所24歳住職7転8起の日々。

第226回
“私”はお祭りみたいなもの?(お通夜のお話しで。)。


こんにちは。
四国の坊さん、ミッセイです。

天気のいい
暖かい日が続いて、

栄福寺の山桜も、
満開になりました。

お遍路さんからは、

「もう、
 葉が出始めましたね。」

と声をかけられましたが、

山桜は、
花と葉が、
ほとんど同時に顔を見せるんです。

そして、
咲いたと思うとすぐに散ってしまいます。

さっき、
よく見ていたら、
ハチが花の蜜を吸おうとした、
その、なんてことのない接触で、
花びらが一枚、落ちていきました。

そんな風景をお寺で見ていたら、
一日中、飽きることはありません。

と、坊さんらしく、
にこにこと微笑したい所ではありますが、

立て続けに
いくつかのライブに行ってきました。
(コーネリアスとチャラさん。)

かっこよかった!!
コーネリアスのTシャツを2枚買いました。

* **

僕の仕事、
坊さんの仕事でも、
いい意味で、

「あー、
 なんだか音楽みたいだな。」

という時間が、
時々あったりします。

この前の、
近所のおばあちゃんのお通夜の時の、
お話しの時にも、
そう感じることがありました。

その時のお話しのテーマは、

「“私”は、
 お祭りのような存在かもしれないですね。」

という話でした。

お通夜の儀式は、
お葬式の前の晩にあるので、

お葬式では、
どんな事をお坊さんはしているのか。

という話を僕は、大概します。

栄福寺が属する
真言宗では、
仏教のお弟子さんになるための、
儀式をお葬式でしているんです。

そういう、
仏教の話のあとに、

ふと、
僕の感じている、
個人的な話なんですけれど、
とことわって、

「若い頃から、
 何人ものお葬式を拝んでいると、
 ふと感じることがあるんです。

 それは、
 生まれる前の感じと、
 死んだ後の感じって、
 ちょっと似てるんじゃないかって、
 いうことです。
 
 そして、
 うまく言えないんですが、
 それが一番、
 普通の状態じゃないかって。
 
 だから、
 生きている“私”という時間は、
 僕達が感じている以上に、
 なんだかとても短い、
 とてつもなく特殊な時間のような
 気がしてしまいます。

 仏教では、
 “私”という存在は、
 幻のような存在だと、
 言ったりもするんですが、

 なんだか、
 “私”はお祭りみたいだと思うんです。
 
 だから、
 明日はお祭りを終えたおばあちゃんに、

 またねー、とか、
 おつかれさま、
 と手を振ってあげたいと思います。」

という話を、
準備していたわけではないのですが、
ふと、しました。

その時の、
家の中の雰囲気が、
僕にとって、
大好きな音楽を、
聴いているような雰囲気でした。

それは、
その話が真実を突いていた、

とかそういうことではなくて、

集まった家族や友達の何人かが、

すごく聞きたい話だったから、
そういう雰囲気に、
なったのかもしれませんね。 

でも、
“私”が、
祭りのようなものだと感じることが、
できるとしたら、

色々なことが本当は、
「遊び」のようなものかもしれないですね。

ミッセイ


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2007-04-08-SUN
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