私をリングサイドに連れてって。 |
マイク・タイソン復帰戦 「マイク・タイソン対オーリン・ノリス」 10月24日(日)AM11:00〜 WOWOW独占衛星生中継 米国ネバダ州ラスベガス、MGMグランド・ガーデン マイク・タイソン(その2) 1990年2月東京ドーム。 タイソンはジェームス“バスター”ダグラスに TKO負けを喫します。 強すぎるが故の油断が タイソンをチャンピオンの座から引きずり降ろしました。 最強を見ようとつめかけた日本のファンは驚きと ボクシングの怖さを体験しました。 そのダグラスからタイトルを奪ったのが クルーザー級を統一し、階級を上げた イベンダー・ホリフィールドです (ホリフィールドについては11月に これまたビックマッチがあるのでその時にしましょう)。 ダグラスに敗れたタイソンは 復帰への階段を着実に昇りました。 そして1991年11月8日に 再び世界挑戦のチャンスを掴みました。 相手はホリフィールドです。 しかしタイソンの怪我により延期。 そして婦女暴行の罪によって実刑判決を受け、 リングから離れざるを得ませんでした。 トップ選手の婦女暴行事件。 記憶にある方も多いと思います。 この事件によりタイソンは 「ヒール」(悪役)とみなされるようになりました。 再びリングにもどったのは1995年8月でした。 4年ぶりの試合となったMGMグランド・ガーデンは 異様な空気に包まれました。 この空気はその場にいた人しか分からないといいます。 エンターテイメントの本場アメリカ、 ラスベガスの観客でさえ 前代未聞の緊張感に包んだタイソンは復活をとげました。 そしてWBCタイトル、WBAタイトルを獲得。 さらに頂点を目指すタイソンの前に 立ちはだかった男がいました。 その男はホリフィールドでした。 初対決となる二人。 戦前の予想はタイソン有利。 ホリフィールドは峠を過ぎた、 タイソンも復帰後一流の相手と戦っていないから 勝負はわからないという意見もありました。 試合は大方の予想を覆し、ホリフィールドが長身を利用して タイソンの強力パンチを封じ込め、TKO勝ち。 タイソンがまともに負けた初めての試合 といってもいいでしょう。 そして1996年6月、リマッチが行なわれました。 ここで起きた事件は悪い意味でボクシング史に 語り継がれるものとなってしまいました。 度重なるクリンチの攻防に切れたタイソンが ホリフィールドの耳を噛み切ってしまったのです。 そのタイソンに待っていたのはさらに過酷な定めでした。 耳噛みによる1年のライセンス停止。 今年1月に最後の挑戦とみられた再起戦で、 元IBFチャンピオン、フランソワ・ボタを 5R見事な右一発で仕留め、 ヘビー級統一の野望実現をアピールしました。 しかし1998年に些細な交通事故でおこした トラブルがもとによる実刑判決で再び刑務所へ。 ということで、33歳ではありますが 激動の人生を送ってきたのはここに書いたとおりです。 タイソンのこれまでの試練は 強すぎるが故の孤独と慢心が全てだと思います。 しかし彼にはまだチャンスが残されています。 それは彼にその才能があるからであり、 それを見たい人々が数多くいるからに他なりません。 今回のリングが三度目のブランク明けとなります。 33歳という年齢を考えるとタイソンにとって 今回の復帰は重要な意味を持っています。 ここを無事に勝って、 11月の「ホリフィールド対ルイス」に勝った 統一王者に挑戦!というのが タイソン陣営とファンの望みでもあります。 なんとか実現して欲しいのですが、 ボクシングは厳しい世界です。 今後に向けてのプランは全て今回の試合にかかっています。 近年の選手の大型化により、 ヘビー級では小柄となる180cmのタイソン。 彼の現役最終段階の姿を見ましょう。 そして今後何が起きてゆくのかも・・・。 それは奇跡かもしれません。 はたまた現実かもしれません。 それがボクシング持つ魅力です。 WOWOWスポーツ部 小田真幹 |
1999-10-20-WED
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