BOXING
私をリングサイドに連れてって。

さよならミッチ・ハルパ−ン

実は今、夏季休暇でアメリカに来ています。
今回の目当ては、8月26日(土)に
ラスベガスで行なわれる中量級のスター候補
IBF世界S.ウェルター級チャンピオン
フェルナンド・バルガスの防衛戦の観戦です。

前座にはアマチュア時代に、あのモズリー
(6月にデラ・ホーヤに勝利した)に
勝ったこともある遅咲きのスター候補
バーノン・フォレストの世界初挑戦もあり、
非常に楽しみです。

しかし悲しいニュースが飛びこんできました。
世界戦87回、日本にも来日経験のある
若き名レフリー、ミッチ・ハルパーンが
亡くなった、というものでした。
飛行機搭乗直前に一報を聞き、
アメリカに到着して情報を確認すると
自殺だということです。

ハルパーンは
「タイソン対ホリフィールド」
「ルイス対ホリフィールド」
「デラ・ホーヤ対トリニダード」
など、近年のビッグマッチをさばき、
3月の「セラノ対坂本」戦で来日したばかりでした。
私が2月にラスベガスで観戦した軽量級の名勝負
「モラレス対バレラ」も彼がレフリーでした。

ボクシングの試合において、
レフリーというのは非常に重要です。
公平さを常に保ち、試合の流れを壊さず、
スポーツとして試合を成立させる、
聞けば簡単だと思うでしょうが、
世界のトップアスリートが
運命と命を賭けて挑んでいる試合をさばくのです。

選手のダメージを的確に判断し、
人命にかかわる特殊な危機管理はもちろん、
反則すれすれの行為をに対しても、厳しく対処します。
ローブロー、故意のバッティング、
セコンドの不明確な行為や
遅延行為など、さまざまな事態に対処する能力、
そして多くの大舞台での経験が必要なのです。

世界ボクシングファンの方におなじみなレフリーは、
アーサー・マンカンテ(年齢は70代だと思いました)
ミルズ・レイン(レフリーはすでに引退)、
フランク・カプチーノ、
ジョー・コルテス
先日のセレス小林選手の試合をさばいた
ジェイ・ネィディ。
そして“辰吉対ウィラポン”をさばいた
日本でもおなじみの、
リチャード・スティールなどです。
ミッチはリチャード・スティールの弟子でした。
「彼は私の息子同然だった。
 私の全てを教え、吸収し、
 さらにその能力磨いた」と言っています。

スティールに弟子入りしたミッチは
通常の訓練、勉強をするのはもちろんのこと、
さらに、自分でもボクシングをやって、
実際に鼻血や痛みを体験、
レフリーイングの判断に取り入れるなど
非常に熱心な下積みを経て
1991年から第一線で活躍しました。

世界で常にタイトルマッチが行なわれている現在でも
テレビに出てくるレフリーは
ほとんどおなじみの顔ぶれです。
特にボクシングメッカのアメリカでは
ほとんどが上で紹介したレフリーです。
その中でもミッチ・ハルパーンは
33歳という若さで
多くの世界戦をさばいて来ました。
そのことでも彼がどれほど信用され、
実際に公平だったかお分かりいただけるでしょう。

実は今年3月の世界戦で来日した際、
彼が宿泊していた赤坂のホテルと、
計量会場などの移動を一緒にする機会がありました。
彼と最後に別れたのは、セラノと坂本選手の計量後に、
彼と2人きりで、彼をホテルに送り届けた時でした。

私はたいして英語が喋れるわけではないので、
交わした言葉は少なかったのですが、
マイカーでホテルまで送った私に対して、彼は
「ありがとう。お金を払うよ」と言ったのです。
「いりません」というと
「本当にいいのかい?」ニッコリ笑って
「Thank You」と言って別れました。

世界トップレフリーの評価と扱いを受けているのに
おごらず、試合前日で若干ナーバス気味でも
非常に他人に気を遣っていました。

しかし試合になると、厳しく、公正で、
特に汚い反則まがいの行為は許さず、
厳しい態度で臨んでいました。

自殺の理由ははっきりとしません。
プライベートなことが原因と噂されています。
理由はどうあれ、自分で命を絶つのは
彼には似合いませんし、私には許せません。
非常に残念で悔やんでも悔やみきれません。

まちがいなく、これからの世界ボクシングの
歴史的試合をさばくであろう、人材であったのに……。
世界ボクシング界は非常に貴重な人材を失いました。
しかし、彼の業績は、
過去形にはなりますが、残っていきます。

さようなら……ミッチ・ハルパーン。
合掌

WOWOW 小田真幹

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2000-08-26-SAT

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