佐藤修、無情のドローの先に待つもの。
2月5日、東京は雨。
2002年2回目の世界戦の舞台となる
会場は有明コロシアム。
コンクリート打ちっぱなしの大会場で
夏は暑く、冬は寒い客泣かせの会場である。
リングスでもよく使用したが、
外の気候を悪く増幅する会場という記憶が強い。
しかし最近では暖房設備も整い
会場内は想像していた以上に暖かった。
WBC世界S.バンタム級タイトルマッチ
「ウィリー・ホーリン−佐藤修」
試合前の私の予想は、チャンピオン、ホーリンが
スピードと回転の良い連打で
挑戦者を寄せつけないのでは、と思った。
28戦無敗、メキシコの血が入ったアメリカ人。
あえてつけ込む隙を考えると1年1ヶ月のブランクと、
プライベートのトラブルにあらわれる心のムラか。
挑戦者、佐藤修選手は東洋太平洋S.バンタム王座を返上し、
世界に的を絞った、現在世界ランク3位。
名門協栄ジム期待のホープである。
協栄ジム。
これまでに日本最多8名の
世界チャンピオンを輩出した名門である。
海老原博幸、西城正三、具志堅用高、
上原康恒、渡嘉敷勝男、鬼塚勝也、
勇利アルバチャコフ、オルズベック・ナザロフ。
この素晴らしいチャンピオンと比べると
佐藤選手の印象は薄いのが正直な印象だ。
CMで木村拓哉との競演、異色の二枚目ボクサーと
マスコミを賑わせたものの、そのイメージだけでは
ボクシングの評価、期待とは結びつかない。
両選手が入場。
ホーリンは可も無く不可もなく普段通りに見える。
対象的に佐藤は硬く見えた。
世界初挑戦、伝統ジム復活への期待と
過去の名世界チャンピオンとの対比。
世界タイトル奪取と継承の重責と
様々なプレッシャーがのしかかっているのか。
試合開始。
佐藤の硬さは悪い方に出た。
立ち上がり佐藤は距離が中途半端、
ジャブをつくものの何となくという感じだった。
チャンピオンのスピード、パンチのキレ、強さ、
パンチの角度、距離、それぞれを確認して
自らの戦術を駆使しようと思ったのだろう。
その中途半端な状態を
即座にチャンピオンは本能的に悟り、
長めの距離から容赦なく、
いきなりの右、さらに強烈なボディブローを浴びせる。
いくらホーリンにパンチがないという評価でも
まともに喰らえばダメージは大きい。
相手は現役世界チャンピオン。
受けに回ったが、佐藤もペースを戻すために
必死に打ち返す。
その姿に沸く会場、しかし自らの形でない
打ち合いは世界レベルではリスクが高い。
1Rチャンピオンの見事な左フックで佐藤が飛んだ。
2Rすでに「佐藤コール」が会場から起こる。
そして3R距離感を掴んだチャンピオンは
逆ワンツーと連打クリーンヒットさせる。
崩れ落ちる佐藤。会場を悲鳴が包む。
さらに右を当て2度目のダウン。
ゴングになんとか救われたが、試合の
興味は薄れたと誰もが思った。
ゴングに救われた。
佐藤にはもうプランや戦術は何も残ってはいない。
正確には技術を実践してイメージ通り組み立ててゆく、
職人のような自我が無くなったといっていいだろう。
やるか、やられるか。
闘争心のみが佐藤の気持ちを支配したのではないだろうか。
4R、それまでの様々な自我が消え
迷い無くガードを固め突進し、自分の得意距離に
入ってショートパンチを連打する佐藤。
ダウンのダメージが浅かったもの幸いし、
無我となってチャンピオンを追い立てる。
チャンピオンの様子が明らかに変わった。
ガードを処理できず、佐藤の突進を許し接近戦となる。
そして一番の不安要素である、
実戦でのスタミナが明らかに無くなってきた。
幾度となくロープにつまり、膝は伸び、
手数は減りピンチを迎える。
しかし最終防御が上手く、勘も良いいので、
なかなかクリーンヒットは産まれない。
さらにガードの隙間から最後までビックヒットを狙う
諦めない視線を私は何回か見た。
佐藤も凄まじかった。
日本人がこれほど手数を出した世界戦は最近記憶がない。
序盤の悲鳴が中盤からは怒涛の歓声に変わった。
12Rクリンチと足を使い、時に逆襲を仕掛け
なんとか倒れまい、逃げ切ろうととするチャンピオン。
結局勝敗は判定になり、
113-113、114-114、114-112佐藤という
引き分けに終わった。
3Rでほぼ終わったはずの試合をここまで
イーブンに戻した佐藤は立派だった。
ダウンを2度ももらい、4Rから飛ばして
最終ラウンドまで攻め続けた。
一度死に体となったのをきっかけに
目を覚まし、豊富な練習量と闘争心、
そして有明の観衆が一体となり
奇跡の大逆転までもう一歩という好試合を産み出した。
今回のドローを無情と感じる方は多くいるだろう。
実際私も目の前で起こった奇跡的な追い上げには
多少なりとも色をつけたいという心情的な思いは
もちろんある。
97年以降のある世界戦のデータを見ていただきたい。
97年4月29日「ヨックタイ・シスオ−飯田覚士」
⇒12R判定引き分け
97年10月5日「チェ・ヨンス−畑山隆則」
⇒12R判定引き分け
99年3月28日「ヘスス・ロハス−戸高秀樹」
⇒4R負傷引き分け
00年8月20日「マルコム・ツニャカオ−セレス小林」
⇒12R判定引き分け
いずれも日本人世界初挑戦者が後一歩足らず、
引き分けとなっている。
そして驚くべきは
飯田、畑山、戸高はリマッチで、
セレス小林は相手こそガメスに変わったが
見事世界王座を獲得している点である。
逆にチャンピオンの立場で引き分け防衛に成功し、
同一人物と再戦した場合では
「井岡弘樹−ナパ・キャットワンチャイ」
「渡嘉敷勝男−ルペ・マデラ」
ともに敗れている。
また最近ではチャンピオン畑山が
S.フェザーでデュランと、
ライト級でリックと引き分けた次の防衛戦で敗れている。
引き分けそのものは王者の防衛になり、
王者有利は動かないが、その後の歴史を見てみると
追う側には有利、王者には黄信号という
ここ最近の傾向である。
試合中隣にいた浜田剛史氏が中盤から後半にかけて
「ここでいかなきゃ行けません」「今なんです」と
私に2度ほどささやいた。
ドローという結果で一番悔しいのは本人だろう。
そして悔しさを体現できるのも本人以外にはありえない。
予想外のシナリオで有明を沸かせた佐藤選手は
再チャレンジでは観衆の期待通りのシナリオを
実現させるのではないかと思う。
そして日本にはもう一人
「引き分け」の因縁をもつボクサーがいる。
バンタム級の西岡利晃。
アキレス腱故障のトラブルに見舞われたが回復は順調。
宿敵ウィラポンとの最終決戦は
早ければ春過ぎを予定している。
WOWOW 小田真幹
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