―― |
アメリカ進出のきっかけは? |
高阪 |
96年、リングスマットで
モーリス・スミス※2と戦いました。
試合後、彼が控え室に来て、
「これからは総合に進出したいから寝技を教えてくれ。
俺は立ち技を教えてやるから」
それで、シアトルに行ったのが、
アメリカへの第一歩です。
特に試合とか目標という感じではなく、
自然と行ったのが最初です。 |
―― |
98年にUFC初参戦しましたが希望したのですか? |
高阪 |
いえ。
97年にシアトル、モーリスジムにいるときに
「コンテンダーズ」という寝技専門の大会に
1名空きができたので、
相手は大きいが出るかと、聞かれたんです。
寝技なら出ますと。
後から分かったんですけど、
1名空いていたのではなく、
実はトム・エリクソンという強豪選手の
相手がいなかったんです。(笑)
やってみると強かった。
このときは前田さんに了解を取るのに苦労しました。
なにしろリングスの所属選手で
トレーニングに行っていただけなので。
でもわずか2日で決まって、
異常なスピードだった印象が強いです。
話がきてから出場決定まで早かったです。
UFCへはエリクソン戦のテレビ解説をしていた
ペレッティ氏がその後UFCの役員になって、
声を掛けてくれたのがきっかけです。
当時は英語が分からなかったのですが、
ある程度分かってから確認すると
エリクソン戦の解説で他の2名は僕をけなしてたのに
ペレッティ氏は、
僕が下から試合をコントロールしている、
ただものではないと唯一誉めてくれていたんです。 |
―― |
UFC初試合はどうでしたか? |
高阪 |
当時人気のあったキモ選手※3の
ブランク空けの復帰戦ということで
非常に注目されていました。
印象的なのは控え室がトイレだったんです。
出場者が多かったんでしょうね。
パブリックスペースなんで人が入ってくるんですよ。 |
―― |
緊張しました? |
高阪 |
入場時に大ブーイングが起こったんです。
それで、あー俺は悪役なんだったな、って(笑)
その辺がリングスと全く違うなぁと。
おかげで、
なにくそ、やってやろうという気持ちが強くなり、
結果的にクールダウンできて、
試合に集中し、勝つことができました。
その後ブラジルや米国内で試合しましたが
ブーイングはありますが、減ってきて、
それは非常に快感がありました。
結局、声援でもブーイングでも
どちらでも集中できるんですけど(笑)。
でも客の声援は凄いです。
日本だとじーっと見て、
シーンとしてといった感じですが、
UFCは全く違います。
ただただ楽しんでる。
やっちゃえ!そんな感じなんで
ストレートに伝わってきて気持ちが高ぶります。
あと困ったのは、当時、
バス・ルッテンがアメリカに移ったこともあり、
パンクラスがアメリカで放送されてたんです。
それで僕はリングスです、というと、
関係者はパンクラス※4より低くみて相手にしない、
といった事もありました。 |
―― |
UFCの魅力はなんですか?
日本の他団体に出た方が、
経済的な魅力もあるんじゃないかと。 |
高阪 |
一言でいうと闘争本能の場です。
戦士体験というのでしょうか。
究極の格闘神経が、MAXまで刺激されるというか。
格闘場にいる感覚なんです。
これは正直、他の団体や日本のマットでは
体験できない感覚だと思います。
僕は98年から参戦しました。
あの頃からルールは変わっていますが
あとは何も変わっていないんです。
控え室や選手状態、例えば試合前すでに、
控室では選手が興奮して、
ウガウガ、ウゴウゴ唸ってるんです。
こういう高ぶりは本当に凄いものがあります。
あと観客です。
アメリカ人は楽しけりゃいい。見て楽しむんだ。
大騒ぎながら見ています。
これが非常にドライで戦いやすいんです。 |
―― |
軽量級の日本人も活躍してますが? |
高阪 |
80kg以下の選手には目標になるでしょう。
日本では、どうしても90kg以上の重量級ばかりが
注目されてしまいますから。
モチベーションは一気に上がるでしょう。
ライト級(〜70.3kg)、
ウェルター級(〜77.1kg)、
ミドル級(〜83.8kg)では、
シュート(修斗)※5やパンクラス系の選手が
一気に世界へ進出する可能性も
あるんじゃないでしょうか。 |
―― |
今後の目標はまずUFCでのリベンジですね? |
高阪 |
まあそうですけど・・・・・。 |
―― |
ただのリベンジではないのですか? |
高阪 |
99年に日本開催のUFC-Japanで、
レフリーストップで負けました。
相手のパンチで眼窩側壁を骨折したんです。
実はその前の顎をかすめられたパンチで
記憶が飛んでて、
レフリーはそれに気がつかったんでしょうね。
試合を止めなかった。
その次に飛んできたパンチが眼を直撃して
眼圧がおかしくなって、眼痛で記憶が戻ったんです。
その敗戦もあり、
また、前後してリングスマットでは
アイブルと試合して、顔をカットして負けました。
その時期は結果も伴わないし、
大きい怪我もありました。
非常に悪い時期だったんです。
治療に半年かかりました。
今思うと中途半端だったんですね。
リングスとUFCという2つのマットで戦って
相当疲労していたんだと思います。
肩も上がらなくなりました。
複数団体への参戦と疲労、そして怪我。
今回のリベンジは自分自身のそういった、
色々な嫌な記憶にケジメをつけるための
リベンジともいえるんです。
体調もいいですし。 |
―― |
5月に出場予定ですが。 |
高阪 |
そうですね。
単に勝つということではないのです。
UFCは出場基準が非常にシビアなので、
ここのところ結果が残せていない僕は、
もう後がない感じです。
ただし僕の相手に小さいやつはいない(笑)
(先頃TKO負けした)宇野選手もそうでしょうけど
すでに崖っぷちに立っている感じですね。
後がありません。
体調はベストに近い状態になっているので
とにかく頑張らなければいけませんね。 |
―― |
最後にWOWOWで見る人やほぼ日読者にメッセージを。 |
高阪 |
現地に来て見て応援してください(笑)
そうでないとあの感覚、迫力は
簡単に伝わるものではないと思います。
それほどインパクトがあるイベントなんです。
|