BOXING
私をリングサイドに連れてって。

徳山完勝。
槍のごとき右ストレートが世界を制す。


日本のジム所属選手同士の世界戦は
外国人対日本人の戦いとは別の楽しみがある。
お互いのパーソナリティの比較。
それぞれの戦歴の交差を当てはめ
より精度の高い試合予想をすることができる。
そしてその予想を良い意味で裏切って欲しいと思う期待感。
どちらかが王者として残り、
さらに日本で試合が見れるだろうという安心感。

ここのところ首都圏は天候が不安定だ。
全てをなぎ倒すような南風が吹いたと思えば雨。
試合当日は会場に向かうまでに
曇天そしていきなり小石大のヒョウが落ち、
さらに大雨。気温15度。
そして小雨になりやんだ。
今年は史上最速の桜の開花宣言が出ている。
しかしこの悪天候で桜の花も
頑張って咲いているものもあれば
すでに地に落ち泥にまみれているものもある。
こんな天気は少なからず人間の心に影響を及ぼす。
それになぜか雨が大の苦手なのである。
そんな鬱な気持ちを振り払う意味でも
試合が良いものになってくれればと
期待して会場に向かった。

WBC世界S.フライ級タイトルマッチ
「徳山昌守 対 柳光和博」
3月23日、春の訪れか気まぐれか
それほど目まぐるしく変わる天候の中
横浜アリーナで行われた。

チャンピオン徳山昌守、本名、洪昌守(ホン・チャンス)。
すでにご存知の方も多いとは思うが、
在日朝鮮人3世を公言。
朝鮮の血が流れる初のボクシング世界チャンピオンとして
祖国「北」のヒーローである。
すでに3度の防衛に成功、マスコミにも度々登場し、
世界チャンピオンとしてはもちろん、
「朝鮮」の在日3世という背景を背負った一人の人間として
自らのアイデンティティや価値感をストレートに明るく語る
新しい在日像を確立した男である。

マイノリティといわれる人々が
人間としての自己アイデンティティを公言しはじめたのは
47年黒人初のメジャーリーガーとなった
ジャッキー・ロビンソン※1以来であろう。
50年代〜60年代に激しくなる黒人公民権活動では
NBAのカリーム・アブゥル・ジャバー※2
NFLのジム・ブラウン※3
MLBではロイ・カンパネラ※4などの
各スポーツの往年の名選手が
平等と尊厳を勝ち取る戦いに参加している。
海外ではスポーツ選手が社会に果たしてきた役割は
想像以上に大きい。

それから40年あまり。
徳山が発するアイデンティティメッセージは
公民権活動とは違えど、「ONE KOREA」であり
「北朝鮮」という非常に複雑な存在ではあるが、
祖国統一、平和という重いメッセージとして
グローバル化が進んだ現代に突き刺っている。

徳山昌守とは世界チャンピオンであるとともに
「国」という大きな存在を
自己のメッセージとして発している
極めて稀有な存在のスポーツ選手なのである。

一方の柳光和博は、歌手、河村隆一氏との親交や
派手なリングコスチューム、
そして今回勝利すれば歌手デビューする等
リング外での「プロデュース」ぶりが注目される
ボクサーだ。
しかし近畿大学ボクシング部出身。
アマで国体王者、プロでも日本タイトル、
OPBFタイトルも獲得するなどエリートキャリアを持つ。
まさに満を持しての世界挑戦といってよい。
しかし充実期に入っている徳山に対して
13ヶ月のブランク、減量苦、
そして実力的な違いで柳光の不利は否めない。

両選手が入場する。

柳光は河村隆一氏の曲で入場するが、
一向に姿を見せない。
2コーラス目でようやく登場。
さらに滑稽だったのはリングに
上がる前に唄が終わってしまったのだ。
世界戦では前代未聞の長さであり、
無音でリングインする姿に
世界戦に対する高揚感が薄れた。

対象的に徳山は母国系統のメロディを
頻繁に連想させる独特の曲に
応援団による大合唱による入場。
恐らく同胞と思われる人々の
後押しが物凄いエネルギーを発している。
再び世界戦の高揚感が蘇ってくる。

アイデンティティ対プロデュースの勝負。
試合開始。

1R両選手は硬い。様子見というところか。
会場には「ホン・チャンス」コールが響き渡る。
ラウンド間にも大声援、そして大きな旗と
駅伝の沿道で見るような小旗が
徳山コーナー後方で振られ続ける。

2Rこの試合を流れを決めるような動きが見てとれる。
両者とも左右に動かない。
サウスポーの柳光は意外にも徳山の
正面に立っている。
この位置は危険なはずなのに・・・・・。
予想通り徳山必殺の右ストレートの餌食となる。
ワン・ツー、さらにはスリー、フォーまで
手数が繰り出される。
柳光がすでに必死になって打ち返す。

徳山の右ストレート。
実際に見るのは初めてだが、
それはまさに「長槍の名人」と形容したくなる程伸び、
さまざまなタイミングで飛び出してくる
必殺のパンチである。

そして左。
ときにストレートで長槍、
ときにショートやジャブで短剣となって柳光を突き刺す。

さらに距離の魔術師ともいえる絶妙な動き。
前後の微妙な出入りと、些細なフェイントで
柳光を幻惑し、長距離から長槍で捉えていく。

柳光も必死に反撃するが、
左ストレートのみに頼り過ぎる単調な攻撃のため
軽くかわされてしまう。
ストレートでは徳山の方が距離が長くキレもある。
この状態で徳山相手に同じストレートという武器で
勝負に出るのは自殺行為に近い。
これでは世界チャンピオンを捕らえることは
不可能ではないか・・・・・。

想像通り、中盤6Rの右が効く。
柳光の顔面が鼻を中心として
赤い円を描いているように見える。
それほど徳山のパンチが的確に顔面の中心を
捉えている証拠だ。
さらに9R、一閃の右ストレートで柳光たまらずダウンし、
そのまま試合終了。

歓喜の徳山応援団。それに声援に応える徳山。
徳山コーナーはどこからともなく人が群れ溢れ
収集がつかない。
そしてさらに喜びを爆発させる。

しかし一体今日の柳光はどうしてしまったのだろうか。
これは世界タイトルマッチである。
先日のセレス小林のように勝つ確率が
1%を切ったとしても向かっていくのがプロならば
柳光はほぼ何もしないで試合終了のゴングを
聞いてしまった。
どうしてしまったのだろうか。

私はボクシングの魅力は、ボクサーそれぞれから
精神的、肉体的、技術的な言葉ではないメッセージを
受け取ることができることだと思っている。
それは普通の生活をしている人間では発する事のできない、
極限の状態であるがゆえに、魅力に溢れ、
単なる白黒では区別できない、不可解でさえあり
そして奥行きがあるものだとも思う。

試合中、リング外の全てを消し去り、必死にリング内の
柳光のメッセージを感じようとしてみたが、
唯一感じられたのは、もがき苦しんでいることだけだった。
残念ながら絶望や絶対という壁に立ち向かうという
私や観衆が期待している「勇気」というメッセージは
最後まで出ずじまいだった。

試合後、浜田剛史氏に柳光について聞いてみる。
「世界戦のプレッシャーに完全に飲み込まれてしまったか、
 何か不測の事態が起きていたのではないでしょうか」

やはり世界戦というのはリングの中と外では全く
別次元のものであるのだ。
そして人間とは繊細な存在ということを
改めて考えさせられる。

今回は柳光をそのような状態に追い込んだ
徳山を誉めるべきだろう。
リング上の徳山からは必死さが伝わってきた。
全てが上手くいっているのにも係わらずさらに集中して
必死で攻めたてていく。
まるで恐怖心が徳山を
前に前に駈りたててゆくようでもあった。
それほど徳山の必死な表情が印象的だった。

ボクシングのリングではあったが
アイデンティティ対プロデュース
という形に姿を変えた戦いは
徳山のアイデンティティが突き進んだごときの完勝だった。

そして新しい発見。
これは徳山に限ってだが、「右は世界を制す。」
それほどにキレと美しく距離のある見事な長槍だった。


※1 ジャッキー・ロビンソン
   1919年生まれ。
   47年に黒人初のメジャーリーガーとして新人王獲得。
   49年には首位打者とMVP獲得。
   72年没。

※2 カリーム・アブゥル・ジャバー
   1947年生まれ。NBAレイカーズのスーパースター。
   MVP6度。68年のオリンピックは出場辞退している。

※3 ジム・ブラウン
   1936年生まれ。NFLブラウンズのスターフルバック。
   4度のMVP獲得。

※4 ロイ・カンパネラ
   ジャッキー.ロビンソンの1年後に
   メジャー入りした黒人選手。MVP3度。
   58年交通事故で腰から下が不自由になるも
   ハーレムでビジネスをし、名士に。
   93年没。



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2002-03-26-TUE

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