糸井 |
考えが煮詰まった時に、
人は「脳が疲れる」とかよく言うけど、
あれを池谷さんはどう思いますか。
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池谷 |
脳はいつでも元気いっぱいなんです。
ぜんぜん疲れないんです。
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糸井 |
おおおおおぉっっっっっ!
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池谷 |
脳が止まってしまったら、
体肢も五臓六腑もぜんぶ動きがストップします。
寝ているあいだも脳は動き続けて、
夢を作ったり体温を調節したりしています。
一生使い続けても、疲れないですね。
疲れるとしたら、目なんですよ。
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糸井 |
なるほど。
考えごとをして疲れを感じた時は、
あれは脳が疲れているわけではない。
だとしたら、
「三〇分休憩して疲れを取って」
という考え方をしないほうがいいですね。
目の疲れだとか、
同じ姿勢を取った疲れを補うことのほうが、
実践的なわけだ。
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池谷 |
はい。
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糸井 |
じゃあ、姿勢を変えたり
眼球を休ませたりするためには、
動きながら考えるのって、すごくいいですか。
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池谷 |
はい。
実はぼく、それをよくやってるんですよ。
まわりに「うるさい」って言われますが。
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糸井 |
「脳は疲れない」と知るだけで、
違う休息の方法が思い浮かぶ。
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池谷 |
ぼくは、パソコンの前にいすぎて
疲れたなぁと思う時には、
席を立って歩き回りながらも、
同じことを考えつづけます。
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糸井 |
わかります。
「いったん忘れる」っていうのが、
いちばんよくないんですよ。
企画を考えている時なら、
いったん忘れないで、
考えたまま違うことをするのがいいと思う。
ぼくの場合、トイレに行ったりするのですけど。
経験則だけど、
「考えつづけると、必ず答えが出る」
と信じると、いつもいい結果になる。
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池谷 |
信じることも、重要でしょう。
自分で自分をだまして、
その自分が心地よく動けるというのは、
とても大切だとぼくは思います。
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糸井 |
まずは、「脳は疲れない!」ですね。
これは、覚えておきましょう。
それだけでも、ずいぶん考えが違ってきます。
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池谷 |
ある作家の話で、
「区切りのいいところまで書いて終わりにして、
あとの続きを書きはじめるのはとても難しい。
それよりも、区切りのいいところから
あと数行を書いて休憩をとったほうが、うまくいく」
と聞いたことがありますが、それを聞いても、
いかにほんとうの休憩がよくないかがわかりますよ。
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糸井 |
「脳は疲れない」を聞いて、
ぼくらが迷信のようなものを吸収しすぎて、
いかに間違っていたかがわかります。
「休む時は、休むんだ!」
なんて、あれは妙に説得力があるもの。
そういうことが、たくさんあるんだろうなぁ。
「休まないでほかのことをする」
という内容で言うと、ぼくの場合は
自動車の運転とかパチンコ屋がいい。
考えているテーマと関係のない刺激があるおかげで、
それまでの自分の分類にズレが出てきますから。
考えている時って、
分類がどうしても固定しちゃうんですよ。
そんな時にクルマを運転して、
例えばものすごいピンクの色の洋服を着た
派手なおばさんが前にあらわれるとしますよね。
そうすると、ひとつのことを考えていながら、
「すげぇピンクだぜ」とか、ふと思うんです。
このピンクっていうような余計な考えが混じると、
それまでの分類にズレが出て、
おかげで考えていることを
別のところから眺められたりしはじめるんですね。
いままで考えていたことに、
色っていう要素を付け加えたらどうなるだろうとか。
大家族の中に秀才が育つとよく言われますが、
それも、まわりに
集中を邪魔をするものが多いからかもしれません。
ぼく、居間で仕事をしているんですけど、
テレビつけっぱなしで、読みかけの本を置いて、
かみさんが何か別のことをしていて、みたいな……
そういうふうになっていたほうが気持ちがいいんです。
池谷さんの言い方で言うと、
ものとものとの「つながり」に修正を加えるというか。
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池谷 |
糸井さんは、偶然から生まれる修正を、
すごく大切にされていますね。
実は、脳のはたらきも
ほとんどの部分が無意識の動きです。
無意識なうちに、いろいろなものごとを
かなり適当にランダムにくっつけています。
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糸井 |
試しにやってみる、みたいに?
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池谷 |
はい。すごくやってるんです。
その典型が「夢」です。
じつは、夢は記憶の再生なんです。
その証拠に、フランス語を喋れないぼくが、
フランス語をペラペラしゃべる夢を見ることは
絶対にない。記憶がないから。
夢には、「記憶にあるもの」しか出ない。
ただ、いろいろな組みあわせをしているのです。
トライとエラーのくりかえしですけど、
無意識では常にそんなことをやっています。
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