池谷 |
脳科学者は神経細胞ひとつだけを
見つめてしまいがちなのです。
だけど、ぼくは常々、
「それぞれの神経細胞のコミュニケーションの
取り方がわからないと、脳はわからない」
と考えています。
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糸井 |
関係、ということで言うと、
昔の狼少女と言いますか、
まわりとの関係を遮断して、
人と会わないし情報を入れないという中では、
脳はよくならないんですよね?
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池谷 |
よくなることは、ありえないですね。
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糸井 |
脳も人間の社会と同じなんですね。
個人だけでは生きられないし、
他人との関係がなければ
人としての活動がありえないんだ。
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池谷 |
ええ。人間の社会も脳も、
個人や神経細胞どうしの相互関係があって
はじめて機能をあらわすものです。
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糸井 |
脳のはたらきのいい人が増えると、
世界がおもしろくなるでしょうね。
人と人が会うのも楽しくなるし、
映画や音楽というような娯楽にも、
いいものがいっぱい出てくるでしょう。
それにもちろん仕事のできる人が増える。
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池谷 |
はい。ただ、頭のいい人どうしや、
おもしろい人どうしがうまくいくかは、
またわからないでしょう。
そこはもう、生命科学が
カバーできる範囲ではないですけど。
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糸井 |
ああ、そういうことはありそうだ。
「すごくナイスだな、頭いいな」
とぼくが思っている組織の
ボスどうしを紹介するのって、
すごく難しいですよ。
たぶん、牽制しあって、
なかなか仲良くならないから。
ボスどうしのそういう間合いって、
脳の仕組みには関係ありますか?
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池谷 |
関係なくはないと思います。
脳は、もともと新しいものに対して
必ず警戒心を持ちますから。
そうじゃないと、たとえば
はじめて会ったヘビに
サルは近づいていってしまいます。
それでは噛まれてしまいますからね。
動物も人間もそこは同じで、
新しい文化が生まれた時には必ず叩かれますよね?
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糸井 |
あ、でもその警戒心を発動させないようにするのは、
おもしろい人になるコツかもしれないですね。
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池谷 |
生存にとっては、あぶないです。 |
糸井 |
あぶないけど、でもアーティストって、
基本はそういう人ですよ。 |
池谷 |
あ、そうでしょうね。むしろ、楽しむ……。
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糸井 |
ただ、
「警戒心を持たないで飛びこむ」
ということだけを売りものにしちゃうと、
パターン化してつまんなくなるのでしょうけど。
アーティストが「駄目になる」時に、
そういう場合があると思いますね。
単なる「冒険のようなもの」とか
「非常識というルーティン」とか、
人はよく読みこんでいますからねぇ。
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池谷 |
ええ。
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糸井 |
でも、警戒心というか、
ストッパーのなさには興味があります。
映画で、
「筋肉を増強して、
さらに痛みを感じないようにして、
ものすごく速く走れるようになった人」
が出てきたんですよ。
走っているうちに
肉体そのものが耐えられなくなって、
ヒザから骨が飛び出ても
まだすごい速度で走っているというような、
そういう場面があったんですけどね。
ああいうイメージを見ると、ちょっと
「いいなぁ」って思っちゃうんですよ。
ぼくらの人生、いわばストッパーだらけですから。
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池谷 |
身体が耐えられないほどの力を加えないために、
筋肉にも脳にも必ずストッパーがありますよね。
一方に伸ばす筋肉があれば、
逆側で縮む筋肉も働いている。
縮む筋肉をゼロにはできないんです。
筋肉の相互作用は脊髄で調節されています。
脳は人の吸収するエネルギーの
二〇%〜三〇%を使っていますが、
それでも脳の能力は全体の二%しか
使われていないとされていますので、
脳にも似たようなストッパーがあるのでしょう。
素潜りの選手が心拍数を遅くしたりできるのは、
ふだん意識して変えられないところを
意識したということですから、
あれは脳を特殊に訓練したんでしょうね。
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糸井 |
何かを打開したいなら、
ストッパーを休ませることで、
自分のそれまでのバランスを壊してでも
前に出ていく、というようなことを
時々やってみないと、
ダメなんだろうなぁと思うんです。
それは、経験的に感じることだけど。
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池谷 |
今の言葉で思い出したのですが、
何かを進める時って、
ストッパーをはずす方法と、
前に進む力を伸ばす方法との二種類がありますよね?
人間の身体を見ているとおもしろいんですけど、
ブドウ糖もそうやって作られているんですよ。
眠っている時には身体が動かないから、
エネルギーをあまり使っていない。
だったら、ブドウ糖を作らなければいいのに、
絶えずブドウ糖を一〇個作って
一〇個壊していたりしている。
これはムダのように思えるんですけど、
急にブドウ糖の要る時には効きます。
必要な時にいつでも作る下地ができている。
要る時になってから、急に
ゼロだったところから一五個作るよりも、
ずっと簡単にエネルギーを生めるのです。
ふだん脳がムダをしているのには、
そういう意味もありますよ。
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糸井 |
なるほど。
仕事で言うと、ストッパーをはずして、
ひとつ違う局面に行くことを何度かやると、
次にできることの可能性が増えますね。
「大舞台を踏むと強くなる」みたいなことですね。
無理かもしれないと思えることを
やりつづけることで、変わる。
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池谷 |
ぼくはふだん、ストッパーをはずすほうを
それほど考えていなかった人間ですから、
その考えには興味があります。
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糸井 |
ぼくはストッパーをはずすことで
伸びてきた人間かもしれないです。
もとの力を増やすのはものすごくたいへんだけど、
ストッパーは意識ではずせますから。
事件にまきこまれたりすると、
ストッパーをはずしたり、
事件をこっちから
のみこんでしまうぐらいのことをしないと、
問題に対処できないじゃないですか。
社会と適合しないことをすることで、
不慮の事故の処理能力や適応能力が増すんですよね。
だから芸人さんは、生活が荒れるようなことを、
あえてしたりもする。それに、勢いのある時には、
キャパシティの広がりの分だけ
いままでとちがう世界に接点を持ちますから、
処理しきれなくなって荒れるんでしょうね。
事件の負荷をのりこえていくとか、
できっこないのにみんなの手前で
「できる」って言ってみせて飛びこんで
ストッパーをはずしてみたり……。
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池谷 |
ストッパーをはずすって、
ちょっと、見栄を張るのと関係してますね。
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糸井 |
あ、そうだ。見栄とか好奇心のない人は、
やっぱり、つまらないもんなぁ。
できることが見えてるっていうか。
……ここまで話すと
ぜんぜん脳とも何とも
関係がなくなるかもしれないけど、
トップクラスになる人って、
ストッパーをはずしながらも、
「はずす前に、頭の中でさんざん
シミュレーションを済ませている」
という場合が多いですね。
「ストッパーをはずすことで
どのぐらいの被害が出る」とか、
そういうことを細かく計算してる。
負ける試合はしたくないくせに、
変わらないでは生きられない、みたいな。
強いと思われてる人って、
そういう人が多いですねぇ。
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