池谷 |
脳の記憶の仕方にとって、
とても大切な特色は「可塑性」なんです。
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糸井 |
「可塑性」……かたちが粘土みたいに変わること?
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池谷 |
ええ。ボールは、指でグッと押して変形させても、
指を離すとまた元に戻りますよね。
それは「弾性」と言って変化しないんです。
でも、粘土はギュッと押すと手を離しても
形が変わったままですよね。
それを可塑性って言います。
脳には、まさにこれがあるんです。
脳は変化したものを
変化したままにしておくという……
まさに、それこそが記憶です。
だから、「可塑性」は大きなキーワードだと思います。
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糸井 |
つまり、いったんある情報を受け入れて、
それに対応するような回路がつながると、
それはそのまま残ってしまうのですね?
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池谷 |
そうです。残らなければいけないんです。
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糸井 |
たとえば、「ヘビは怖い」という記憶があると、
これをなくすことができないと言うか、
「怖くなくなるためには、別の刺激を加える」
ということですか?
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池谷 |
はい。ヘビはこわいという回路を残したまま、
その上から「こわくない」という回路を作ります。
つまり、ある時に
突然また怖くなってしまう危険性もある。
昔の記憶が戻ってくることってありますよね?
それも可塑性の豊富さがなせるわざです。
書きこまれたものは残ります。
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糸井 |
赤ちゃんに近いときのショックは
戻りにくいと言われますよね。
トラウマもそれに近いのかなぁ?
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池谷 |
ええ。トラウマもそうです。
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糸井 |
衝撃を受けるとひとつひとつ変形していき、
その変形を抱えながら生きるというわけですね。
傷かもしれないし変形なのかもしれないけど、
それを抱えざるをえないんだ。
……健康なままで、
その傷を「なし」にすることはありえない?
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池谷 |
ええ。
「なし」にするというのは、
赤ちゃんに戻すということですから。
この可塑性は、動物の中でも、人間の脳に
いちばんたくさん与えられているんですよ。
そうじゃないと環境に適応できないです。
可塑性とはつまり
「記憶しているということ」なんです。
その記憶を扱っている部位が、
脳の中で海馬と呼ばれているんです。
人間の脳の中で
最も可塑性に富んだ場所が海馬なんですよ。
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糸井 |
おぉぉ。
その、海馬ってものが
なぜ重要なのかを詳しく伺いたいです。
研究分野として重要性があると思われるのは、
どのような理由からなのですか?
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池谷 |
脳は事実、記憶するわけですから、
可塑性がそこにあるということは
以前から明らかだったのですが、
可塑性に満ちた部位がどこなのかを
発見することができなかった。
また、以前の科学では
今ほど技術が発展していなかったので、
神経ひとつひとつの意味までを
調べることができなかったんですよ。
しかし、現在では
驚くほどテクノロジーが発展したおかげで、
可塑性に満ちた部位が海馬だとわかった。
だとすると、可塑性を特徴とする
海馬の性質を解明すれば、
脳のはたらきもわかるのではないか
という潮流ができたのです。
そこで一時はネコも杓子も
海馬を研究するようなことになりました。
ぼくが薬学部に進んだ時(一九九〇年ごろ)も、
海馬はいわゆる「流行している研究分野」でした。
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糸井 |
なるほどなぁ。
以前は神経を調べる技術や機械が
発達していなかったので、
海馬にアプローチできなかったのか。
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池谷 |
海馬を調べる実験を続けると、
ぼくも可塑性の奥深さが
見えるような気がしたのです。
無根拠な確信ですけれども、
それにとりつかれて
今も研究をやりつづけているような気がします。
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糸井 |
漠然と見えるその
「可塑性の奥深さ」ってどういうものですか?
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池谷 |
神経細胞の動きを知る直接の道具は、
脳の動きを電圧で計る
オシロスコープという機械なんです。
つまり研究者がたよりにできるのは、
神経細胞の中における電気の活動だけです。
電気の波だけでしかわからないところで
可塑性を調べているのですが、
実感ではない波だからこそ、
余計に神秘的なものを感じてしまうかもしれません。
まずその時点で、研究に
ロマンを求めてしまうことはあるかもしれない。
奥深さを感じるというのはそういう意味もあります。
また、オタクだと言われてしまうかも知れませんが、
ネズミの中の神経細胞に、
僕自身が自分の手で刺激を加えると、
可塑性がおこったという波が、
実際に目の前のオシロスコープにあらわれる。
……なんというか、自然現象という
偉大で神秘的な存在に、ほんの少しでも
自分が変形を加えたという痕跡が感じられるというか。
ささやかな制圧の快感。
他者に影響を与えることで、
自分という不確定な「存在」が確認される安堵。
そこに妙にぼくの情熱をかきたてるものがありまして。
それは研究対象が「可塑性」だからこそ可能ですよね。
考えてみれば、粘土工作が楽しいのも、
まさに粘土そのものが可塑的だからですよね。
粘土が弾性だったら、つまらない(笑)。
いくらやっても、もとに戻るんですから。
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