ほぼ日 |
「ほぼ日」の読者の方には、
『プロジェクトX』を好きな人もいっぱいいるし、
何かを調べてまとめる仕事をしている人も多いので、
「有吉さんのお話って、参考になるし、
たくさんの人が興味を持つんじゃないかな」
と、前々から、思っていたんです。
そこで、漠然と、ドキュメンタリーの仕事を通して
実感してることを、うかがいたいんですけど。 |
有吉 |
ま、ぼくがドキュメンタリーを
語る資格があるかどうかはおいときますけど、
ドキュメンタリーって・・・
ぼくが思うには、熟練していくということが、
かならずしも、いい番組を作ることにつながらない。
そういうところが、ありますね。
ドキュメンタリーと言っても、
ヒューマンなものから
緻密な取材に基づく調査報道まで幅広いんですけど、
とりあえず、僕が主に作ってきた、
「今、動いている現在進行形のものを撮影する」
というものに限ると、うまく言えないんですけど、
ドラマとかと違って、「運」が左右する部分が、
とても多いような気がしているんです。
と言いますのは・・・
たとえば、すこし長いことテレビに関わってると、
「こうなって、こういうシーンが撮れれば、
番組として見ていただける質のものになるな」
っていうのが、わかるようになるわけです。
でも、その通りにロケを進めていくと、
非常に予定調和というか、
それは別にヤラセではないんですけど、
番組のかたちが、作る前に見えちゃうっていうか、
そのままでは、つまらない。
だから、ロケ現場では、
「最初の方針を壊していく」みたいになるんです。
たとえば、いちばん大切なことを
撮影の前の取材段階であらかじめ聞いてしまうと、
ロケの時にもう1回改めて聞かなければならない。 |
ほぼ日 |
緊張感は、ないでしょうね。 |
有吉 |
そこで
「ほんとうに
その人にいちばん聞きたいことは、
ロケの本番の時までとっておく」
というようなことをやるんです。
でも、そうすると
とんでもない空振りになることもある。
うまくいけば、予想もしなかった
いい言葉が撮れるんだけれど、
どうしてもギャンブル的要素が強くなる。
もちろん、
NHKの放送で、
受信料をいただいて番組を作っているわけですし、
放送日も決まっているので、
しめきりまでに一定以上の
質のものを出さないといけない。
でも、リスクヘッジだけをしていると、
ヒットは出るけどホームランにはならないんです。
でも、三振はしちゃいけないという立場にもいて。
だから、「運」が
すごい大切になってくるというか。
ぼくに至っては、運だけで来たってところが、
かなり、あるんですよね。
話はちょっと、それますけど、
放送って、本と違って読みかえせないですよね。
だから、1回流れてしまえばおわりで、
映画みたいにくりかえしってものでもない。
でも、一生懸命作るし、やっぱり
見てくれた人の中に、何かが残ってほしい・・・。
その時の
「残る」とは、どういうことなのか、
ってことなんです。
見終わったら忘れちゃうのが、ほとんど。
だけど、お茶の間で寝転がって見てる人にも、
ちょっと、何かは、残っていてほしい。
作ってる人、みんなそうだと思いますけど。
その「残る」って何かと考えると、どうも、
整然とウェルメイドに作られているものより、
何か、ゴツゴツした引っかかり、
そういうものが、大事なような気がするんです。
翌朝までは残ってるとか、
3日くらい、余韻が残ってるとか、
もしかすると一生残ってるとかいう、
そういうのが、ぼくにとってのホームランと言うか、
撮れたらいいなぁ、ってモノなんですよ。
ただ、そういう残るものって、
突然降ってわいてきたり、
突然起こったりすることなんですね。
だからこそ、見てる人は驚きもする。
「こうしておけば、最低限、番組はできるな」
ってことだけをやっていると、
突然起こった、予想外のものが来た時に、
やっぱり、見逃してしまう場合が多いんです。
ぼくの場合、だいたい、
どうしようもないような状況になった時に、
何かが起こっているんです・・・。 |
ほぼ日 |
具体的に、その「運」が
やって来た時のことを、おしえてもらえますか。 |
有吉 |
作家の沢木耕太郎さんと一緒に、
ヘビー級の元チャンピオンだった
ジョージ・フォアマンの番組を
作ったことがあります。
(※'94年のNHKスペシャルで放送された
『奪還 ジョージ・フォアマン45歳の挑戦』)
フォアマンは、
かつて、モハメド・アリに負けたことが
大きな転機になっているから、どうしても
アリのインタビューを撮りたかったんですよね。
・・・ところが、彼は病を抱えていたから、
当時、一切のインタビューを断っていた。
正式にいろいろなルートでお願いしたんだけど、
ぜんぶ、ダメだと言われていたんです。
そのうえ、沢木さんと一緒にアメリカに行くと、
フォアマンが「取材なんて聞いてない」って言う。
マネージャーをしていたフォアマンの弟から
オッケーをもらっていたのに、
そのタイトルマッチ用には
別のマネージャーが立てられていて
「そんな長期の密着取材は受けられない」
と言い出したんです。
1週間ぐらい、毎日、彼のジムに通っていると、
「まぁ、わざわざ日本から来たんなら」
ってことになって、
「この場所は撮ってもいいけど他はダメ」とか、
「スパーリングは公開のものだけしかダメ」とか、
そういうことになって、それでも
ずいぶん制約はあったけど、
話が進められることになりました。
そしたら、フォアマンの弟が、
ぼくらに前にオッケーって言っちゃったことを
悪いなぁと思ったらしく、気を使って、
「モハメド・アリが、
ヒューストンにチャリティーでやってくるよ」
と、教えてくれたんですよ。
アリが泊まっていたのは、その時、たしか、
ハイアット・リージェンシー・ホテルだったかなぁ。
沢木さんとぼくは、
もっと場末のところに泊まっていたので、
「もしもアリが来るなら宿を変えよう」
って、急遽、そのホテルに行ってみたんですよ。
もちろん、取材ができる保証は
まったくありませんでした。
ただ、チェックインをしてる時に
ふとうしろを見たら、向こうから
モハメド・アリが歩いて来たんです。 |
ほぼ日 |
おぉ。 |
有吉 |
それで何だかついていって、
アリがエレベーターに乗って
エレベーターがガーッと閉まりそうな時、
ぼく、思わず、手をドアの間に突っ込んだんです。
「いてて」と言ったら、中の人が開けてくれた。
それで、沢木さんとぼくは、飛び乗っちゃったの。
正直、ぼくは英語も堪能じゃないし、
通訳は下にいたわけで、
でも、しゃべるならその時しかなかったんです。
アリの部屋は、エレベーターから鍵を開けないと
入れないっていう、そういう階だったんです。
向こうは、ファンだと思っていたんでしょうね。
取りまきがいっぱいいて、
「日本から来たのか」みたいなことをやってる。
で、なんだかくっついてきてるみたいだから、
親切にしてくれた。
握手とか、してもらって、
部屋までついていっちゃったんです。
そこでマネージャーみたいな人に、
つたない英語で、
「こういう番組を作っていて、
彼にインタビューをしたいんだ」と言ったら、
「聞いてあげよう、また後でおいで」
って、答えてくれたんですよ。
だけどそのマネージャーは、
自分のインタビューだと勘違いしていたんです・・・。
ま、ぼくたちの英語が拙かったためなんですけど。
「いや、あなたじゃなくて、
モハメド・アリにインタビューをしたい」
「そりゃ、ダメだ」
でも、なんとか、お願いしますと言ったら、
「それじゃあ、歩いてるところの撮影ならいいよ」
ってことになったんです。 |
ほぼ日 |
へぇー。 |
有吉 |
部屋からエレベーターまで歩いていくところなら
撮影させてあげると言われて、
そこで、沢木さんと相談したんです。
「千載一遇のチャンスだ」と。
アリは、エレベーターのところまでくると、
いったん、立ちどまるに違いないと読んで、
「その瞬間に、質問をしましょう」って。
放送にも出たシーンですけど、
沢木さんは、そこで、みっつだけ声をかけました。
まずひとつめは、
「あなたの拳を見せてください」
そして、ふたつめは、
「あなたの拳は、あなたに何をもたらしましたか」
アリは、ちょっとうめきながら、
「・・・テン・ミリオン・ダラーズ」と。
みっつめの問いは、
「ジョージ・フォアマンは勝てると思いますか」
「・・・オールド・マン・・・」
そう言って、来たエレベーターに乗っていった。 |
ほぼ日 |
いいシーンですね。 |
有吉 |
カメラマンが本当に渾身のカットを
撮りました・・・でも、運です(笑)。
仮にもし、モハメド・アリが
インタビューをオッケーしてくれたとしても
たぶん、ああいう風にならなかっただろうな、
と思うんです。
それに、その試合も、結果的に
フォアマンが勝ったからこそ、よかったという。
挑戦して、負けたら負けたで、
違う方針で放送したかもしれないけど、
ニュースとしても、みんなに見てもらえたから。
その勝ち負けも、偶然ですよね。 |