技術と運のドキュメンタリー
NHK番組開発者の有吉伸人さんの話。
「ほぼ日」の糸井重里が去年に出演した、
NHK『スローライフへようこそ』プロデューサーの
有吉伸人さんとは、時々、いろんなお話をするんだけど、
自分だけで聞いているのが、もったいないくらいなので、
「まかないめし」のように「ほぼ日」に出てもらったよ!

あの『プロジェクトX』発案者のひとりである有吉さんの、
いわゆる「ジャーナリスト論」とはずいぶん異なる
刺激的な「ドキュメンタリー論」を、たのしんでみてね。
インタビュアーは、「ほぼ日」スタッフの木村俊介です。

 
第2回 成功の理由ってわからない。

有吉 『プロジェクトX』の、
番組になる前の
膨大な取材VTRを見つづけるなかで、
つくづく、思ったことがあるんです。

大成功したプロジェクトのなかに、
最初から、
「これは必ずうまくいく」という
確信をもって始まったものは、ひとつもない。

それだけは、どうやら間違いがないようです。

そもそも、
『プロジェクトX』自体だって、いまは
それなりの認知度があってありがたいですが、
最初は、こんな地味な話が
ゴールデンタイムで見てもらえるんだろうかと、
不安でしかたなかったです。
誰も今のようになるなんて思ってなかった。

『プロジェクトX』が取りあげている話は、
「プロジェクトリーダーは当時30代だった」
っていうケースが、とても多いんです。
・・・要するに、日本が若かった時代です。

戦争で、多くの人が亡くなっている。
その上の世代が少なかったということもあると
思います。
プロジェクトをやることだけは
決まってしまっていて、
「やることは、決まっちゃったけど、
 どうやってやるの?」ってところから
スタートしてる話がたくさんあるんです。

プロジェクトに関わった人に
「なんで、実現できたんですか?」と訊いても、
「だって、やることになってるんですもん。
 やるしかないでしょ」って。
ほぼ日 すごい理由(笑)。
有吉 ホンダのCVCCエンジンの開発なんか、
下地となる研究は
少し前から行われていたんですけど、
具体的に車を作るぞと
発表してからは、1年もない。
しかも、その段階で、
こうやれば実用化できるという
完全な見込みはたってないんです。
それで、がーっとやって、
世界で初めて、アメリカのマスキー法っていう
排ガス規制をクリアしちゃった。

プロジェクトリーダーは、
その後、社長になる久米さんという人で、
やっぱり、30代の半ばです。
技術者もみなものすごく若い。

『プロジェクトX』第1回目のゲストの
見城徹さんから、聞いた話なんですけど、
最近の人は、
「その企画はうまくいかない」
という理由を見つけるのは得意だと。
「やめといたほうがいい」
という分析は、ばんばん出てくる。
みんな、アタマいいから。
だけど、
「これは当たる!やりましょう」
という奴はなかなかいない。


真剣にリスクを分析したら、
大抵の場合は「やめよう」となります。
リスクは計算できるけど、
成功は計算できないから。


でも、「やる!」と言いきってしまうことの
大切さってあると思います。
昔のプロジェクトから、学びました。

成功する理由って、煎じつめると、
「やらないと見つからないもの」
のような気がします。
「これはこうしたから、成功した」
というのはたいてい後から考えたことですよ。

結局は、
「やったものだけが、成功できる」。
当たり前なことですが、
『プロジェクトX』のどの回を見ても、
いつもそう思います。
もちろん、「やったから、失敗した」って話も、
実は、ヤマのようにあるわけですけど。
ほぼ日 ドキュメンタリー番組制作現場で、
ディレクターは、どう育てられるのですか?
有吉 基本情報から、まず、お伝えすると
NHKのドキュメンタリー的な番組は、
民放とは
ずいぶん違う仕組みで作られています。

基本的には、
ディレクターがひとり、
デスクっていう立場がひとり、
プロデューサーがひとり、ってなってます。

民放の多くの番組は、放送作家がいたり、
構成作家がいたりするんですけど、
それがほとんどないんです。
ディレクターが、取材からロケから台本書きから
お弁当を取ったりも含めて、
ほとんど一人でやります。

プロデューサーは、
お金の管理や番組全体の責任者ですね。
NHK特有なのは
デスクという立場がいて、
これがまぁ、中身の質の管理みたいなことを、
プロデューサーと一緒にやっていく。
ぼくは『プロジェクトX』では
1年半、このデスクっていう役でしたね。

ドキュメンタリーに関していえば
主役は、やっぱり現場に行くディレクターです。
ドキュメンタリーは、「撮れてなんぼ」ですから。

取材現場の
「空気」や「雰囲気」を切り取れるかどうか、
インタビューで、いい話がとれるかどうか。
ディレクターの腕にかかっています。

同じことを訊ねても、
質問するディレクターによって
取材された人の答えは変わってくる。
人間性の勝負みたいなところがあります。
ロケはどうやってもマニュアル化できません。

・・・ただ、ディレクターは、
どんどんテーマに入りこんでいくので、
どうしても、視野が狭くなりがちですよね。

見ている人に、伝わる番組にするために、
NHKのドキュメンタリーの場合には、
編集マンというのが、
大きな役割を担うんですよ。

民放のことはあまり詳しくないのですが
編集マンはつかないか、ついても
単なるオペレーターの場合が多いと聞きます。
NHKのドキュメンタリーの場合には、
編集マンが、ディレクターとともに
何十時間もの映像を吟味し、
カットを選び出し、それを再構成して行きます。

ディレクターは現場にいっているので、
わかった気になっているけど
編集マンは映っているものしか見ないから
「あなたの撮っているものは、
 これだけしか伝わらないよ」
と、きちんと言えます。

実際に映っている画面と、
ディレクターが現場で見ているものとは、
大きな落差があるわけで。
この編集マンの役割は非常に大きいです。
これは、NHKに独特のものかもしれません。

それと、音響効果も。
NHKのドキュメンタリーの音効は、、
他のテレビ番組の音効とは、
考え方の根本が違うんじゃないか
と思います
単に、場面場面を音楽で盛り上げるの
ではなく、
番組全体で伝えたいことを
わかりやすくするために、
「音」で番組を構成していくんですよ。
彼らが音をつけると、
わかりにくかった番組が
ぱっとわかったりする。
ものすごく専門的な世界なので、
ぼくにも、よくわかりませんが。

ディレクターって、
先輩のディレクターや
プロデューサーやデスクからも、
指導を受けるんですけど、
それよりも
編集マンや、現場のカメラマン、
音響効果マンから
たくさんのことを教わるんです。
ディレクターには、それがいちばん大きい。

編集マンは、厳しいです。
こっちが撮った
すべてのラッシュを見るわけです。
「何でこう撮るの?」
「何でこんな訊き方をするわけ?」
「どうして、こんなことになっちゃうの?」
って、ずっと言われますから・・・。

若いころ、それがつらい時もあった。
僕は渡辺政男さんという名編集マンに
徹底的にやられました。
でも、今から思うと、
「それに育てられたんだなぁ」と思います。

今日は、ディレクターの育ちかたなどを
 うかがいましたが、読んで、いかがでしたか?

 前回の更新後、みなさんから、
 「そのフォアマンの番組、見ました!」
 と、早速のメールを、いただいたんですよー♪

ちなみに、有吉さんがプロデューサーとして
いま作っている番組『BS にっぽん人の幸せ』では、
「日常生活のなかの、ちょっといい話」
についての体験談を、募集しているんだって!
http://www.nhk.or.jp/shiawase/
よかったら、こちらに、体験談を寄せてみてね。

このページへの感想は、
メールの表題に「ドキュメンタリー」と書いて、
postman@1101.comに送ってくださいね。

2003-05-22-THU

第1回 モハメド・アリを撮影する。
 

ほぼ日 「ほぼ日」の読者の方には、
『プロジェクトX』を好きな人もいっぱいいるし、
何かを調べてまとめる仕事をしている人も多いので、
「有吉さんのお話って、参考になるし、
 たくさんの人が興味を持つんじゃないかな」
と、前々から、思っていたんです。
そこで、漠然と、ドキュメンタリーの仕事を通して
実感してることを、うかがいたいんですけど。
有吉 ま、ぼくがドキュメンタリーを
語る資格があるかどうかはおいときますけど、
ドキュメンタリーって・・・
ぼくが思うには、熟練していくということが、
かならずしも、いい番組を作ることにつながらない。
そういうところが、ありますね。

ドキュメンタリーと言っても、
ヒューマンなものから
緻密な取材に基づく調査報道まで幅広いんですけど、
とりあえず、僕が主に作ってきた、
「今、動いている現在進行形のものを撮影する」
というものに限ると、うまく言えないんですけど、
ドラマとかと違って、「運」が左右する部分が、
とても多いような気がしているんです。

と言いますのは・・・
たとえば、すこし長いことテレビに関わってると、
「こうなって、こういうシーンが撮れれば、
 番組として見ていただける質のものになるな」
っていうのが、わかるようになるわけです。

でも、その通りにロケを進めていくと、
非常に予定調和というか、
それは別にヤラセではないんですけど、
番組のかたちが、作る前に見えちゃうっていうか、
そのままでは、つまらない。

だから、ロケ現場では、
「最初の方針を壊していく」みたいになるんです。

たとえば、いちばん大切なことを
撮影の前の取材段階であらかじめ聞いてしまうと、
ロケの時にもう1回改めて聞かなければならない。
ほぼ日 緊張感は、ないでしょうね。
有吉 そこで
「ほんとうに
 その人にいちばん聞きたいことは、
 ロケの本番の時までとっておく」
というようなことをやるんです。
でも、そうすると
とんでもない空振りになることもある。
うまくいけば、予想もしなかった
いい言葉が撮れるんだけれど、
どうしてもギャンブル的要素が強くなる。

もちろん、
NHKの放送で、
受信料をいただいて番組を作っているわけですし、
放送日も決まっているので、
しめきりまでに一定以上の
質のものを出さないといけない。
でも、リスクヘッジだけをしていると、
ヒットは出るけどホームランにはならないんです。
でも、三振はしちゃいけないという立場にもいて。

だから、「運」
すごい大切になってくるというか。

ぼくに至っては、運だけで来たってところが、
かなり、あるんですよね。

話はちょっと、それますけど、
放送って、本と違って読みかえせないですよね。
だから、1回流れてしまえばおわりで、
映画みたいにくりかえしってものでもない。
でも、一生懸命作るし、やっぱり
見てくれた人の中に、何かが残ってほしい・・・。

その時の
「残る」とは、どういうことなのか、
ってことなんです。

見終わったら忘れちゃうのが、ほとんど。
だけど、お茶の間で寝転がって見てる人にも、
ちょっと、何かは、残っていてほしい。
作ってる人、みんなそうだと思いますけど。

その「残る」って何かと考えると、どうも、
整然とウェルメイドに作られているものより、
何か、ゴツゴツした引っかかり、
そういうものが、大事なような気がするんです。

翌朝までは残ってるとか、
3日くらい、余韻が残ってるとか、
もしかすると一生残ってるとかいう、
そういうのが、ぼくにとってのホームランと言うか、
撮れたらいいなぁ、ってモノなんですよ。

ただ、そういう残るものって、
突然降ってわいてきたり、
突然起こったりすることなんですね。
だからこそ、見てる人は驚きもする。

「こうしておけば、最低限、番組はできるな」
ってことだけをやっていると、
突然起こった、予想外のものが来た時に、
やっぱり、見逃してしまう場合が多いんです。

ぼくの場合、だいたい、
どうしようもないような状況になった時に、
何かが起こっているんです・・・。
ほぼ日 具体的に、その「運」が
やって来た時のことを、おしえてもらえますか。
有吉 作家の沢木耕太郎さんと一緒に、
ヘビー級の元チャンピオンだった
ジョージ・フォアマンの番組を
作ったことがあります。
(※'94年のNHKスペシャルで放送された
 『奪還 ジョージ・フォアマン45歳の挑戦』)

フォアマンは、
かつて、モハメド・アリに負けたことが
大きな転機になっているから、どうしても
アリのインタビューを撮りたかったんですよね。

・・・ところが、彼は病を抱えていたから、
当時、一切のインタビューを断っていた。
正式にいろいろなルートでお願いしたんだけど、
ぜんぶ、ダメだと言われていたんです。

そのうえ、沢木さんと一緒にアメリカに行くと、
フォアマンが「取材なんて聞いてない」って言う。
マネージャーをしていたフォアマンの弟から
オッケーをもらっていたのに、
そのタイトルマッチ用には
別のマネージャーが立てられていて
「そんな長期の密着取材は受けられない」
と言い出したんです。

1週間ぐらい、毎日、彼のジムに通っていると、
「まぁ、わざわざ日本から来たんなら」
ってことになって、
「この場所は撮ってもいいけど他はダメ」とか、
「スパーリングは公開のものだけしかダメ」とか、
そういうことになって、それでも
ずいぶん制約はあったけど、
話が進められることになりました。

そしたら、フォアマンの弟が、
ぼくらに前にオッケーって言っちゃったことを
悪いなぁと思ったらしく、気を使って、
「モハメド・アリが、
 ヒューストンにチャリティーでやってくるよ」
と、教えてくれたんですよ。

アリが泊まっていたのは、その時、たしか、
ハイアット・リージェンシー・ホテルだったかなぁ。

沢木さんとぼくは、
もっと場末のところに泊まっていたので、
「もしもアリが来るなら宿を変えよう」
って、急遽、そのホテルに行ってみたんですよ。
もちろん、取材ができる保証は
まったくありませんでした。

ただ、チェックインをしてる時に
ふとうしろを見たら、向こうから
モハメド・アリが歩いて来たんです。
ほぼ日 おぉ。
有吉 それで何だかついていって、
アリがエレベーターに乗って
エレベーターがガーッと閉まりそうな時、
ぼく、思わず、手をドアの間に突っ込んだんです。
「いてて」と言ったら、中の人が開けてくれた。
それで、沢木さんとぼくは、飛び乗っちゃったの。

正直、ぼくは英語も堪能じゃないし、
通訳は下にいたわけで、
でも、しゃべるならその時しかなかったんです。
アリの部屋は、エレベーターから鍵を開けないと
入れないっていう、そういう階だったんです。

向こうは、ファンだと思っていたんでしょうね。
取りまきがいっぱいいて、
「日本から来たのか」みたいなことをやってる。
で、なんだかくっついてきてるみたいだから、
親切にしてくれた。

握手とか、してもらって、
部屋までついていっちゃったんです。
そこでマネージャーみたいな人に、
つたない英語で、
「こういう番組を作っていて、
 彼にインタビューをしたいんだ」と言ったら、
「聞いてあげよう、また後でおいで」
って、答えてくれたんですよ。

だけどそのマネージャーは、
自分のインタビューだと勘違いしていたんです・・・。
ま、ぼくたちの英語が拙かったためなんですけど。
「いや、あなたじゃなくて、
 モハメド・アリにインタビューをしたい」
「そりゃ、ダメだ」

でも、なんとか、お願いしますと言ったら、
「それじゃあ、歩いてるところの撮影ならいいよ」
ってことになったんです。
ほぼ日 へぇー。
有吉 部屋からエレベーターまで歩いていくところなら
撮影させてあげると言われて、
そこで、沢木さんと相談したんです。
「千載一遇のチャンスだ」と。

アリは、エレベーターのところまでくると、
いったん、立ちどまるに違いないと読んで、
「その瞬間に、質問をしましょう」って。

放送にも出たシーンですけど、
沢木さんは、そこで、みっつだけ声をかけました。

まずひとつめは、
「あなたの拳を見せてください」

そして、ふたつめは、
「あなたの拳は、あなたに何をもたらしましたか」
アリは、ちょっとうめきながら、
「・・・テン・ミリオン・ダラーズ」と。

みっつめの問いは、
「ジョージ・フォアマンは勝てると思いますか」
「・・・オールド・マン・・・」
そう言って、来たエレベーターに乗っていった。
ほぼ日 いいシーンですね。
有吉 カメラマンが本当に渾身のカットを
撮りました・・・でも、運です(笑)。

仮にもし、モハメド・アリが
インタビューをオッケーしてくれたとしても
たぶん、ああいう風にならなかっただろうな、
と思うんです。

それに、その試合も、結果的に
フォアマンが勝ったからこそ、よかったという。
挑戦して、負けたら負けたで、
違う方針で放送したかもしれないけど、
ニュースとしても、みんなに見てもらえたから。
その勝ち負けも、偶然ですよね。

ディレクター時代のNHKスペシャル制作のことを
 話してもらいましたが、読んで、いかがでしたか?
 次回、運を呼びこむための技術についておとどけです!

ちなみに、有吉さんがプロデューサーとして
いま作っている番組『BS にっぽん人の幸せ』では、
「日常生活のなかの、ちょっといい話」
についての体験談を、募集しているんだって!
http://www.nhk.or.jp/shiawase/
よかったら、こちらに、体験談を寄せてみてね。

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2003-05-20-TUE

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