2017 新春対談 家庭料理のおおきな世界2017 新春対談 家庭料理のおおきな世界

糸井重里

土井善(料理研究家)

きれいかどうか。

糸井
土井さんの料理番組を見ていると、
「必ずできる感」がすごいなと思うんです。
いっしょにいる人に
「わたしが手を出さなくてもできます」とか
「大丈夫ですよ」とか言って作らせる。
だから、教わるほうも自分を出せる。
そしてはめる型はないけれど、
ちゃんと基本の型があるというか。
あのやり方だと、みんな上達すると思いますね。
土井
料理は基本のところに大きな川があるから、
その幅の中であれば、どれだけ揺れても
いいと思ってるんです。
たとえばニンジンを切るにしても、
「どう切るのが正解?」とか聞かれますけど、
実際はどう切ってもいいんですよ。
糸井
たしかにそうですね。
土井
まぁ「どう切ってもいい」と言うと、
いまの人はまた切れなくなったりしますけど。
そういう場合はこう伝えるんです。
「自分食べんねやろ? なに使って食べんねん。
スプーンで食べんねやろ。
じゃあスプーンにのる大きさがええよね」って。
お箸で食べるんやったら
「お箸でどう食べたい?」ですし。
そういう設定から答えが見えてきますよね。
糸井
ええ、ええ。
土井
あと、わたしはどちらかいうと
「脳で考えることをあんまり信じたらあかんで」
と思ってるほうなんです。
むしろ「なんとなく気持ちいいな」とか、
心地よさとか、違和感のなさとか、
そんなふうに、身体が感じることで
判断していったほうがいい。
そういう基準で選ばれているものこそ
「ああ、ええなあ」と思うんです。
糸井
その基準って、よりはっきりと言葉にすると
どういうことなんでしょうね。
土井
そうですねぇ。
わたしがふだんから思っているのは
「きれいかどうか」といいますか。
糸井
きれいかどうか。
土井
日本人ってなんでも擬人化しますよね。
かぼちゃを見て「ええ顔してんな」とか、
「この魚優しそう」とか
「いや、こっちの魚のほうが
優しそうな顔してるからおいしいで」とか。
料理ひとつ見ても
「この皿、景色がええなあ」とかね。
糸井
はぁー。そうですね。
日本人そういうことしますね。
土井
そんなふうになにかを「美しいなぁ」
「きれいやなぁ」と感じる心が、
わたしはすごく重要やと思っているんです。
「きれい」って「心が気持ちいい」んですね。
人はきれいなものが好きなんですよ。
糸井
そのきれいさにも、いろいろありますよね。
赤ちゃんのときの「きれい」もあれば、
いろいろなことを経験したあとでわかる
「きれい」もあって。
土井
多様にありますけど、
わたしがこのごろいちばん思ってるのは
「我慢こそが美しいことや」と。
我慢してる人って、きれいですよね。
糸井
きれいですね。わかります。
土井
わたし、我慢してる人ってもう尊敬しますわ。
「もうほんとうにきれい」と思って。
糸井
なにかを見てて思わず泣いちゃうのって、
その健気さが胸にひびくんですよね。
健気も我慢のかたちですよね。
こどもが我慢してる姿とか、たまんないですよ。
土井
たまんないですねぇ。
糸井
それこそ花だって、
冬のあいだ我慢してるという。
土井
そこに、なにかあるんですよ。
そしてわたしが思うのは、
ほんとうに自由で美しいことのためには、
やっぱりちょっと苦しみが伴わないと
ダメなん違うかって。
糸井
あぁ‥‥そうかもしれない。
土井
このところあまりできてないんですが、
わたしは日々走ってるんです。
すこし前に100キロマラソンとか出てね。
糸井
そんなことまでされてるんですか。
土井
はい。そしたら配られたTシャツに
「苦しいときこそがたのしいとき」
みたいな言葉が書いてあったんです。
それを見てわたし、
「ほんとにそのとおりやな」と思って。
わたしはどこか
「ああ、苦しそうやな。わたしも苦しみたいな」
と思うところがあるんです。
糸井
それ、現代のことばでは
「マゾ」とか言われますけど。
土井
やっぱりその先に快感があるんですよ。
100キロなんてほんとに苦しくて、
走りはじめたら、
すぐにでもやめたいのが本心です。
だけどちょっとすると
「あぁ、このまま苦しんでたいな」
という気持ちが出てくる。
人間って難儀なもんで、
やっぱりちょっとしんどいことをしないと
幸福が得られないんかなと思いますね。
糸井
その苦しみたい土井さんと、
料理をする土井さんには
通じるところがありますか?
土井
わたしはやっぱり料理ひとつでも、
簡単にやるのはいやなんです。
知ってることをするだけで仕事は済みますけど、
そうじゃないほうがいい。
たとえば雑誌の連載企画とかで
「フォーマットを作って、
毎回同じ形式が続くかたちにしましょう」
とか言われることもありますけど、
わたしはそういうときも
「いやいや、毎回苦しみましょうよ」って(笑)。
糸井
瞬間瞬間、自分の好奇心を
掻き立てることをしつづけたい。
土井
そうなんです。
ああでもない、こうでもないと言ってる時間って
すごくたのしいと思うんですね。
「これが決まりだから」では、
どうにもモチベーションが上がらないんです。
糸井
みんなが土井さんから受け取って
喜んでいるのも、完成品のところではなく、
そういうプロセスのほうですよね。
それこそ走る道のりのおもしろさで。
土井
そういうつもりですね。
作るときのたのしさを伝えたいんです。
糸井
はい、はい。
土井
だから、わたしはいまの世の中の
「おいしい」に疑いがあるんですよ。
みんなよく「おいしいものを食べたい」
とか言いますけど、
ほんとに誰もがそないにおいしいもんを
食べたいんかなって。
糸井
それ、ぼくも思います。そこは怪しい。
土井
だからいま、まるで「おいしいブーム」みたいに、
食べることばかりが主役になってるのは
おかしいと思うんです。
「食べる人がえらい」みたいになってるけど、
ほんとの食の主役は作り手のほうじゃないかと。
だからほんとは作り手側がもっと
料理の意味を理解して、
たのしみながら作るべきだと思うんです。
糸井
はぁー。そうか。
土井
たとえばテレビなんかで
「受けがいい」言うてるパエリアみたいなん、
見栄えがいいだけで、作ってる最中、
ぜんっぜんおもしろくないと思うんですよ。
それよりもわたしは
「ずっとかき混ぜ続けてないとダメ」とか
「ずっと走り続けてないとダメ」とかね。
糸井
はい(笑)。
土井
そんなふうに「食べたい」より
「作ってみたい」という、
プロセス重視のお料理もあるわけで。
糸井
それは「したい仕事」の話ですね。
土井
そうです、そのときのわたしの仕事は
「作り手がやりたいことを提案する」
ことなんですね。
糸井
土井さんのその姿勢は、途中の失敗も、
まるごと肯定してしまうようなものですね。
土井
そう、失敗もおもしろくて、
わたしはよく「ど真ん中のストライクを
バーンととっても仕方ないやろ」と思うんです。
そのとき
「コーナーぎりぎりで、ひとつ間違ったら失敗」
というのを教えてあげたら、
そこを狙うたのしさがあるじゃないですか。
プロは失敗をおそれますけど、
わたしはいつも番組で料理をしながら
「これ、失敗してもおもしろいな」
と思ってる(笑)。
糸井
(笑)。
昔の狩りなんかも、もともとは
そうだったと思うんです。
原始人もきっと、獲物をとるだけじゃなく、
狩る行為自体がおもしろくて
やってたはずですよね。
土井
あとわたしは、計画通りに進むだけでは
ちょっと‥‥と思ってる節がありますね。
むしろ「さいご、時間がない!」とか
「もうそれしか手がない!」みたいなことが
いろいろなことをおもしろくすると
信じてるところがあるんです。

(つづきます)

2017-01-08-SUN