日野原 |
もともと、よど号から解放されて、
金浦空港に4日目に着いて、
飛行機からの、タラップを降りたでしょう?
それで金浦空港の土を踏んだときにね、
「地球に帰ったな」という感じがした。
足の裏に地球を、大地をものすごく感じたわけです。
4日間、飛行機に乗っていたと同じでしょう?
だから、あぁこれは、アポロから帰った人が、
地球に生還したときの感覚だなあと思ったのです。
その足の裏の感覚が、今まで、今も続いているわけです。
「地球に帰ったなあ」という、そういう感じがね。
だから、もう一度僕の人生を
ここで始めるんだなというふうな気持ちで
羽田に帰ってきたわけです。 |
糸井 |
それはもう
「うれしい」とかって気持ちとは違うんですね。 |
日野原 |
違います。
だってね……。
ふつうに飛行機に乗っていたのにゴタゴタして、
福岡の空港で6時間ぐらいいて、
それでも何とか軍隊や警察が
捕まえられると思っていたけれど、
ぜんぜんできなかった。
子供と老人をおろした後で100人いて、
また飛行機が出たときに、
テロリストの彼らは、意気揚々としたんですよ。
いよいよピョンヤンに行けるなぁ、と。
「お客さん、随分迷惑をかけましたけれども、
皆さん、ピョンヤンに行ったら、
またこの飛行機できっと折り返し日本に帰れるから、
まあ、悪く思ってくれるな」
非常に、彼らとしてはもう勝利だから、
「赤軍のパンフレットや、
金日成の伝記や、赤軍の活動状況や、
マルクス、レーニンのものがあるから、
向こうに着くまで時間かかるから、
読みたい人はお貸ししますよ」
そんなことを、言っていました。
そこに、伊藤静雄の詩集とか、
ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』
といったものが、あったんです。 |
糸井 |
あぁー。 |
日野原 |
それで、
「誰か読まれる方は?」と言われた。
麻縄で、こんなんなって
くくられているんですよ。
誰も手を挙げない。
非常事態だから、
そんな読むだとかいうことには、
なっていなかったんです。 |
糸井 |
余裕がないわけですね。 |
日野原 |
そうですよ。
それでも僕はこう手を挙げたら、来て、
「何が読みたいですか?」と言うから、
「じゃ『カラマーゾフの兄弟』読ましてください」
と言ったら、向こうさん、ポーンと5冊ぐらいね。
「あぁ、これでもうよかったよ。
これで日夜読んでおれば、
この不安はもう免れるな」
そう思った。
そして、ロシアの小説だから、
登場人物の言葉は長いし、
ゆっくり読んで、ゆっくり覚えようと。
とにかく、ゆっくりね。
そのときは僕は
「これは1カ月は抑留されるだろうなぁ」
と思っていました。
1カ月、じっくりドストエフスキー読もう、って。 |
糸井 |
少しずつ読もうと思ったわけですね。 |
日野原 |
もうこれでいいなというふうに思ったら、
もう怖さがなくなった。 |
糸井 |
はぁー。 |
日野原 |
自分の死の不安が、なくなった。 |
糸井 |
ドストエフスキーは、
もともとお好きだったんですか? |
日野原 |
学生のころや、若いときには
私はドストエフスキーを好きでした。
文科に行っていた私の友人も
ドストエフスキー好きだったから
一緒によく彼を論じていましたね。 |
糸井 |
はぁ、じゃ、もともと
ドストエフスキーをお好きだったところへ、
それが偶然あったんですね、
そんな飛行機の中の非常時に。 |
日野原 |
うん。
そして、
カラマーゾフを開けたらねぇ、
あの最初に聖書の言葉があるんです。 |
糸井 |
そうですね。 |
日野原 |
「一粒の麦が
地に落ちて死ななければ、
それはただ一粒のままである。
しかし、もし死んだなら、
豊かに実を結ぶようになる。
(ヨハネによる福音書。第十二章二十四節)」
ほんとうに、死ねば多くの実が結ぶからね。
ひとりの人間は、まずは一つの麦だけど、
このまま麦であるだけなのか、それとも
死んだあとに実を結ぶように成長するか、
そういうことがこのテーマだったなあ、
と偶然に驚きました。 |
糸井 |
そういう状況で読むと、
やっぱり心から通じるんでしょうね。 |
日野原 |
ええ。
「長老ゾシマがこう言った」なんか出ると、
自分に働きかけている言葉を覚えていますね。 |
糸井 |
若いときに論じている時代と
本の内容は、まったく違う、しみこみかただった。 |
日野原 |
そう。
ものすごく自分のものとして受け取ってね。 |