日野原 |
冒険というのは、楽しいなぁと思う。
学生にしても、クラスに出ていると、
ドローンとした目で、聞いているのかどうか
わからないし、「質問は?」とたずねてみても
質問を言わないけれども、たとえば行事で
ミュージカルなんかをやるとすると、
衣装は彼らが自分たちでみんなつくるわけだし、
バックもつくって、宣伝はこうやって何やってって、
ぜんぶ自分たちでやれるわけですよね。
その巧みなこと……。
だから、能力はそうとうあるんですよ。
やりたいから、できるんだ。
ところが、クラスや実習というのは
やらされているからダメなんです。
やろうと思えば、だいじょうぶ。
だから、ぼくは行事での学生の姿を見てから、
いくらナースの点数が悪くても、
現場ではやるだろうと思った。 |
糸井 |
なるほど。 |
日野原 |
ぼくはね、入学式に言うんですよ。
「あんたたちは、ここでいい点を
取るというのでなしに、低空式で
60点さえ取れればだいじょうぶだから、
なるべく学外のことをやりなさい」と。
もっと学外のことを勉強しなさい、
それがナースとしての人間形成に必要だ
ということを伝えたい。
ほかの教授の先生は、ぼくの言うことを聞いて
変に思うかもわからない。
成績はどうでもいいといっているんだからね。 |
糸井 |
でも、学校での成績ぐらいなら
大した違いはないということですね。 |
日野原 |
ええ。
つまり自分でやるという、
動機づけをしさえすれば、
押し出せばいいんです、先生は。
あんまり手をとって足をとってって
やるから、よくないんです。 |
糸井 |
ある種の、何というんだろう、
それはもう、逆に「スパルタ教育」ですよね。
大きい意味ではね。 |
日野原 |
自分だって、やりたいことを、今も
チョッチョッと医学以外のことをやっている。 |
糸井 |
その「チョッチョッ」が大きいですねえ。 |
日野原 |
「先生は65年も医者をやっているけど、
今度、改めて生まれたら何になりたいですか?」
なんて聞かれるとき、フッと考えて、
「そうだねえ、
交響楽団の指揮者になるのもいいし、
劇の演出家もいいなあ」
なんて思うんです。
いまもやってみたいなんて思うぐらいです。
ふつうの人から考えたら、ただでさえ
「食べないで寝ないで、よくやってるよな」
と思うだろうけれど、自分からやりたいことだから、
疲れを感じない。 |
糸井 |
その方法は、マネしたいですね。 |
日野原 |
いつ何か起こるかもわからないし、
それはもういつ来れば来るというね。
やっぱり自分が何か人にアドバイスを与えたり、
失望している人に望みを与えることが
できるような職業になっていることには
ものすごく感謝しています。
みんな、体を回復する力を持っているのだから、
ちょっと支えてあげれば、回復できるんですよね。
それと、発想の転換ね。
それさえあれば、とてもさわやかな気持ちで
毎日の生活ができると思います。 |
糸井 |
ありがとうございます。勇気が出ました。
やっぱりお声で聞くと、また違いますね。
活字で読んでいるときにも、勇気をいただくのですが、
お会いすると、印象がまた全然違いますね。 |
日野原 |
あなたはそれで今、お幾つ? |
糸井 |
53です。 |
日野原 |
53でしょう?
そうすると、ぼくからいえば、40年あるんだよ。 |
糸井 |
ありがたいですねえ。 |
日野原 |
40年ですよ、これから。 |
糸井 |
40年たっても
日野原さんのようなら、やってみたいですねえ。 |
日野原 |
旧約聖書には、200歳とか400歳だとか
500歳の年齢が出てくる話がある。
ぼくはあれは物語だと思っていたけれども、
このごろ考え直しました。
たとえば、悲しんでいる患者さん、
エイズになって絶望的になっている患者さん、
輸血でエイズになったという、
その話を聞くと、ほんとに気の毒でしょう?
自分の体験のように思うんです……。
そうするとわたしは、人の話は、
「生涯」をもらっているの。
だから、人の生活もらって経験しているから、
いまの年齢の何倍も生きているよ。 |
糸井 |
そうですね。 |
日野原 |
ぼくは、だから、
ふつうの人の300歳ぐらいの経験をしてる。
というのは、主人にはいえないことを
奥さんがぼくに訴える、
お父さんにはいえないことを話しに青年が来る。
そういうことの聞き役になって、
私はいろんなことをやっているから、
ほんとに世の中における、「本当の生活」がわかる。
それを知るのには長い長い生活をしないと
いけないけど、職業柄、やっぱりそういう……。 |
糸井 |
命のかかったようなものが
全部先生のところにいらっしゃるわけですからね。 |
日野原 |
そうですよ。それで、1人の人が
それに耐えたというストーリーを、
すでにあったストーリーを、次の人に伝えると、
リアリティーがあるものだから、
「先生、わたしもできるんですねえ」
「できますよ」というだけで、支えられる。 |
糸井 |
勇気……わいてきますねえ。
ああ、やっぱり会うってすごいことですね。 |
日野原 |
出会いね。 |
糸井 |
ええ。 |
日野原 |
だれかに出会う。 |
糸井 |
耳の鼓膜をふるわせたもので感じるのというのは、
すごいですね。改めて思いました。
ありがとうございました。 |
日野原 |
声というのは本当にすごい。
たとえば、ぼくが電話をかけた時に、
出た人が「日野原先生ですね」という場合がある。
ぼくも努力しようと思ってるんだけど。
電話がかかったら、
「花子さんですね」とでも言いたい。
声というのは、もう本当にいろんな要素を持って
人間が交わるものなんです。
だから、目が見えなくなると、不自由でしょう?
でもね、聞こえるでしょう、声がね。だからいい。
ところが、耳が聞こえなくなると、
目で見ても、何しゃべっているのか、笑っているのか、
テレビを見てても、おもしろくないでしょう? |
糸井 |
そうなんですよ。
一見、目のほうが大切に見えるけれど。 |
日野原 |
声の方は、じかに訴えるから。 |
糸井 |
ヘレンケラーも耳が欲しかったそうですね。
三重苦といわれるけど、
一つだけといったら何といったら、
耳だったらしいですね。 |
日野原 |
人がいよいよ最後に亡くなるときにも、
目が見えなくても、物がいえなくても、
聞こえている場合が多いということを、
僕は体験しているの。
だから、亡くなる前に、お孫さんでも、
「おじいちゃん、天国に行ってね。
花子も後から行きますね。
わかったら手を握ってください」
と言うと、手を握ります。 |
糸井 |
あぁー……。 |
日野原 |
握るという反射は、割合ずっと続くの。
あれは子供のとき以来、あるからね。
とうやって、
「これでよかったなあ」という気持ちになったり、
生まれてきて感謝だなあという気持ちになったり、
去り行く人がそうなれば、もうそれがいちばん。 |
糸井 |
何よりですよねえ。 |
日野原 |
人生の99%が悲劇でも、
最後、別れる時に、
生まれてきてよかったねえとか、
意味があったよというか。
“終わりよければすべてよし”
というシャイクスピアの言葉です。
で、年をとるというのは終わりだからね。
だから僕は終わりに向かっての
クレシェントが、人生なんだと言ってるんです。 |