糸井 |
日野原先生、ものすごくお元気なんですけれども、
お医者さんでもありますから、落ち込んだ人と
会われる時もあると思うのですが、
その時には、どういうことをこころがけるのですか? |
日野原 |
それはね、音楽療法の理論と同じ方法です。
ぼくは日本音楽療法学会の会長なんですけれども、
ウツの人に、マーチはよくないの。
人の心を浮き浮きさせるような音楽はよくない。
もっと、マイナーで単調の、悲しい……。 |
糸井 |
気持ちと同じものを
溶け込ませていくという感じ? |
日野原 |
ええ。
音楽と同じように
こちらも、悲しさに同調する。
そのほうが、心を支えるという原理があるんです。
そういう理論がね。
だから、一緒に悲しんであげないといけない。
「元気だしなさいよ!」とかいうような
プラスな方向に持っていくのではなしに、
ほんとに一緒に痛みを感じてあげて……
そのタッチで、患者とぼくの心が通じるんです。 |
糸井 |
さっき、日野原さんが
本でも読み聞かせるとおっしゃったけど、
似たような意味で、
自分の肉体にその人の心を通しているんですね。
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日野原 |
そうですよ。
たとえば3か月療養している若者がいるとなると、
自分の二十歳ぐらいのころを思うんです。
ぼくは21歳のとき、医学部2年のときに、
結核で治療方法がなくて、
38℃の熱があって床につきっぱなしで、
8カ月トイレに行けなかった。
でも、そのときに、辛抱して詩を読んだり、
音楽を聞くことがとっても身にしみて感じられて、
病気のときに歌を詠んだりするというのは、
とっても感性が鋭敏にはたらくんです。
そういう経験があるから、
「何か好きなものとか、読みたまえよ。
でも、君はまだトイレは行けるんだから、
いいじゃないの。
ぼくは8か月のそういう時期があって、
そのあともほんとに困ったけれども、
それだけに君のつらいのよくわかるよ。
今度1週間後回診するから、
そのときにあなた何か読んだものがあったら、
これ読んだということをいってくれない?
それ、ぼくも読みたい」
それで、肩をぐっと押して、
「じゃ、また来週来るよ」というと、
そうするとその青年は来週が待ち遠しい。 |
糸井 |
なるほどなぁ。 |
日野原 |
ぼくは、病む人に、未来を提供する。
1週間先には先生がまた入ってきて、
励ましてくれるんだなあ、というふうな未来を、
わたしは行動や言葉で残すように努力している。
そしてわたしが大学を1年間休学した頃、
同級生はすでに医局に入っていたわけです。
みんな秀才やなんかで、エリートなんです。
そうすると、医局に入るときには、
1年休学しているぼくがどんなに努力をしても、
1周前を走っているわけだから……
もう、抜けそうもない。
京都大学から東京に来るという動機はそうなんです。 |
糸井 |
へぇー。 |
日野原 |
もう1周目で倒れちゃったけれど、
「どんなに勉強してもそれは無理だ」じゃなくて、
「違ったところへ、
白紙のところへ行った方がよい」
と思ったのね。
ただ、実は休んでいた1年があるからこそ、
患者にとっての「失われた時」という感覚が
よくわかるようになったわけで、
とてもよかったんです。あとで気づいたんだけど。
はじめは、1年は失なった時だと思っていた。
ところが、それがなければぼくは、
「患者学」を学ぶことができなかった。
医学は研究や教科書で勉強できるけど、
患者学はだれも教えてくれないもの。
1年おくれて、みんなより損をしているなあと思って、
「むだだった」と思っていたけれども、
後から見れば、病人を経験したことは、
医者としてはものすごく大切だった。
あれでよかったの。
あの方がよかったというか。 |
糸井 |
先生のお話は、全部、
不運とか、ピンチとか、そういうものを
ひっくり返す方法を、よく使っていますね。 |
日野原 |
肯定的になるの。 |
糸井 |
そうですねえ。 |
日野原 |
逆の発想になっちゃうの。 |
糸井 |
それってどこから来るんですか?
もともとは、親がそういうことを
教えたということではないですよね。
自分で身につけたものなんですか。 |
日野原 |
やっぱり、病気になったことですよ。 |
糸井 |
最初のきっかけは、自分のご病気ですか。 |
日野原 |
そうです。 |
糸井 |
それまでは、負けるというのは
つらいことだという……。 |
日野原 |
ぼくが小学校の1年生のときに、
学校の先生は母に、こう言った。
「こんな負けん子は、将来、
偉くなるか、不良になるかどっちだ」と。 |
糸井 |
やっぱりそういう子供だったんですか? |
日野原 |
お子さんは、うまくいければすごいけれど、
不良になるかもしれない。とても我が強い。
わたしには1つ上の姉がいましたが、
何かで学校に行く時間が遅れて、そして
子どもにとって、遅れて行くというのは嫌でしょう?
そうすると行かないといって泣いちゃうでしょう?
でも、姉は、最終的には
涙をふいてパーッと出ていくの。あきらめがいいの。
でも、ぼくは絶対にその日は学校に行かない。
そして、家の台所のしっくいの流しの
水が流れるところで、ズボンを無理やりにぬらしてね。
行けないようにするという。 |
糸井 |
それだけ負けん気の強い子どもが
病気になったというのは、やっぱり
相当のショックがあったでしょうね。 |
日野原 |
ええ。それはもう、大ショックですよ。 |
糸井 |
おれはもう一生勝ち続けていくんだ、
みたいに思っていたわけですね。 |
日野原 |
うん。だから病気になった時、はじめは、
このつらい気持ちはどうしたらいいかと思ってた。 |