CHILD
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日野原重明さんに聞く
「これでも教育の話」より。

第3回 死を考えるエクササイズ


こちらは日野原先生の近著です。

生きかた上手

日野原 重明 (著)
価格:¥1,200
ユーリーグ ;
ISBN: 4946491260 ;

糸井 よど号の中で、
『カラマーゾフの兄弟』を読むって、
ものすごい体験ですね。
死と生をリアルに感じますもの。
日野原 それでもね、私はその時に
五、六十枚の原稿を持っていたんです、医学の。
糸井 へぇー。
日野原 それ、爆発されたら、
まぁ死ぬか、あるいは助かるけれども、
その原稿もバラバラになってしまうでしょう。
だから、縛られてるけど、原稿を守ろうと思った。

ナワがあるけれども、
ボストンバッグをあけて、原稿を取った。
ナワはトイレに行くときだけ
緩められるから、トイレに行くスキを見て、
衣類の内側に、ワイシャツの側から、
全部プロテクターのように
原稿を押し込めたんです。
せっかく書いたから、惜しいから、って。
糸井 必死ですよねえ。
日野原 ええ。

プロテクターのようにしながらも、
こっそり鉛筆を出して、
そこらの小さな紙切れに、
彼らが向こうの通路から行ったときに
サーッとメモを書きましてね……。
糸井 それは何を書いたんですか。
日野原 彼らが何を言ったかということです。
要するに、
バックグラウンドミュージックが聞こえたら、
「これはグリーンスリーブス(英民謡)だ」とか。
「リムスキー・コルサコフの
 歌劇《サトコ》の中の曲だな」とか。
糸井 いかにも、飛行機で聞こえそうな音楽ですね。
日野原 ええ。
それを4日間、もうずうっと繰りかえしだから、
今でもグリーンスリーブスを聞くと、
「あのときに、こうなったなぁ」って……。
糸井 うわぁ!
何でもしみこんじゃうんですね、
そういうときっていうのは。
日野原 ほんとにしみこんだねぇ。
それで、いよいよ私がよど号から帰って
何か考えが変わっかと言えば
書かれた歴史の本をあんまり信用しなくなった。
糸井 ははー。
日野原 歴史家は、とにかく
いろいろなことを書くでしょう?
わたしは、その事件の時には、
ずっと現場にいたわけです。
ですから飛行機の中のことは、よく知ってる。
ところが、記事を読むとまるで別のことが書いてある。
糸井 あぁ、身を持って知った、と。
日野原 あとは、
「人間のカラダというのは、不思議よね」
とも思った。

ぼくはハイジャックされてから
4日間も大便には行かなかった。
腸がとまるわけ。

絶食しても、胆汁が出たりするから
本来、便は出るものなのに、
そういう非常事態では、
すっかり身体の機構が変わるんですね。

ほとんど水もなかったし、そのうえ
中は気温が40度近くなっていたから
汗で蒸発していて、お小水なんか出ないわけ。

そもそも、
「水なんか出ないから、
 トイレはきたないだろうなぁ」
と思うと、身体は行きたくなくなるのね。
糸井 お医者さんだから、
そういうことを冷静に
いちいち考えてらしたんですね。
日野原 ええ。
「ハイジャックする」と言われたときに、
僕はすぐ反射的にやったのは、ふっと自分が、
僕は今、緊張しているかどうかの調査。(笑)
脈をはかってみました。
糸井 ほんとですか?
日野原 そうです。
こういう時になると、
ぼくもやっぱり緊張しているなと。
糸井 「ぼくも」って……(笑)
日野原 ぼくの隣に女の人がいたの。
その女の人の脈を見たかったの。
でもね、ちょっと手を握るって
エッチな感じが、するじゃない?
糸井 (笑)
日野原 そうやって女の人の脈を見るのは、
ちょっとこれはぐあい悪いなと思ってね、
それはできなかった。
糸井 学問的な興味があったわけですね。
日野原 そう。
だから、自分がその時に、
動転しているかどうかを
脈で見よう、ということでして。
糸井 もう、生まれついての医者みたいな人ですね。
日野原 いやいや。
ぼくが感心したような人も、いましたよ。
横田先生という
駒込病院の副院長の方は、
ハイジャックの宣言が出たとたんに、
バッグから録音機を出してオンにしたそうです。
それはぼくでもできなかった。

そんな、録音なんてしているところを
見られたら、何されるかわからないでしょう?
それなのに上手にやったんだね。
糸井 その先生もすごいですね。
お年は同じくらいだったわけですね。
日野原 同じくらい。
糸井 はあー。
その年代の方というのは、
やっぱり育ち方が違うんでしょうか。
日野原 例えばぼくは、戦争を経過しているんです。
いま75歳以上の人は、55年前が戦争だった・・・
その頃に20歳だったわけです。

男性なら戦争に行き、あるいは
女性の場合には空襲から家や子どもを守っていた。

その年代の人はお砂糖はないし、
お塩は配給だし、ほんとに雑炊みたいなもので、
ずうっと生活をしていましたよね。
病院の食事も、その頃はひどかった……。
そういうことに耐えた年代と言えます。
糸井 そうでしょうねぇ。
日野原 大勢の人が戦死したし、
B29にはたまに爆撃されるし、
焼夷弾も日常茶飯事。

警報が鳴ると、庭に穴を掘って、
そこにトタンを入れて中に逃げこむ・・・

梅雨の防空壕は、
ジメジメしていて大変でした。
そういう死の体験を経ている人たちですから、
たしかに、突然ハイジャックに遭っても
心の準備が、多少は違うのかもしれません。
糸井 死について考えるエクササイズが、
あらかじめ、済んでいるということか……。
日野原 ええ。

(つづく)

2002-09-18-WED


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