岩井俊二監督と、
ほんとにつくること。

対談「これでも教育の話」より。

第1回
決然と、「絵を捨てよう」。




岩井俊二(いわい・しゅんじ)

1963年生まれ。宮城県出身。
1988年よりプロモーションビデオと
CATVの番組制作をスタートし、
CFなどで独特な映像が注目を浴びる。
1993年、
テレビドラマ
「ifもしも〜打ち上げ花火、
下から見るか?横から見るか?」で
日本映画監督協会新人賞受賞。
その後、長編映画「Love Letter」を発表。
数々の映画賞に輝く。
代表作に、
「Love Letter」「スワロウテイル」
「四月物語」「リリイ・シュシュのすべて」
などがある。
最新作はインターネットで「花とアリス」
http://www.breaktown.com/を公開中。
公式HP http://www.swallowtail-web.com/
 


糸井 岩井くんはそもそも、
なぜ映画を撮りはじめたんでしょう?
映画を仕事にしたかったのか、それとも
作品をつくりたいと思ったのですか?
岩井 最初は、どうだったかなぁ?
糸井 岩井くん、絵も描いてましたよね。
岩井 ええ。文章を書いたり、絵を描いたり、
そういうことが好きでした。
高校時代ぐらいから
映画を「見る」のは好きだったんですよ。

絵と小説については自分で書いて
形にしてみたりしていたのですが、
映画に関しては
考えたことがありませんでした。
というのは、映画は
「はたしてどうやって
 映画になっているのか」が
皆目見当がつかなかったから。
ぼくにとって映画は、
ただ楽しむものだったんです。

でも、70年代の終わりぐらいに、
あるインディーズ映画が
上映されていて、それを見に行ったんです。
結構おもしろい映画ではあったんですけど、
ひどいつくりだった。
カメラが回っている音が
ガラガラ聞こえているし、
照明らしきものも使われていない。
「ただ撮った」というものでしかない。
糸井 ホームビデオも
まだそんなに普及していない時代ですよね。
岩井 ええ。そこでぼくは生まれてはじめて
「手づくりなかんじのする映像」を
見たんです。
この延長線上に映画もあるんだ、
と感じることができた。
つまり、
「映画も人間がつくっているんだ」
ということに気づいたんですよ。
映画は、つくれるんだ!
それが最初でした。
糸井 反面教師みたいな要素もあったわけですよね。
おれでもできる、と。
岩井 そう思ったんです。
でも、ぼくは子どものころから
ちょっと変な傾向があって。
糸井 どんな傾向?
岩井 たとえば、小説を書いてみたいと思う
いちばん最初のきっかけは何かというと、
自分が書いた文章を
活字にしたかったから

なんです(笑)。
ぼくが小学生のころは
ワープロはありませんでした。
なんとか活字化できないかなと思って、
プラ板を買ってきて、
カリカリカリカリ、
カッターで削ってハンコみたいにして、
平仮名をつくってみた。
「つ」と「し」はつくったんですけど、
それ以上は難しくて(笑)。
糸井 ハハハハ!
それが50音あったら
活字化できるはずだ、と。
岩井 何というんですかね、
ぼくは、全体的に、ものごとに対して
ハートから入っていかないんですよ。
糸井 ということは、様式から?
岩井 ええ。
とにかく、小説でいえば、
手書きのものと全く違う、
「活字上で書かれている文章」という別世界に
異常なあこがれがあって。
糸井 いやぁ、その環境そのものに、
ハートを感じるよ。
「ひとりでいる男」というかんじで。
岩井 小学校のときは陰にこもったガキでした。
でも、そのときほど、
思いつくままに思いつくままのことを
やっていた時代はないですね。
今、ちょっとそんなことを思いついても、
やってみようとは思えない(笑)。
糸井 その対象がグローブとボールだったら、
壁にボールを当てて、自分のイメージで
野球の守備をやっているようなつもりになる。
ふつうならそうやって
野球少年になるんだけど、
でも岩井くんは「机の上で」なんだ。
岩井 近所の文具屋に
写植のコーナーがあったんです。
よくのぞき見していたんですけど、
あの機械が欲しくて欲しくて。
とうてい手の出るものじゃ
なかったんですけど(笑)。
だから、ワープロが出現したときは、
すごい感動がありましたよね。
糸井 世の中の人とは別の意味で。
岩井 なんでそんなことにあこがれていたのか、
ぼくもよくわからないですけど。
糸井 ということはつまり、岩井くんは
根本的に独学なんですね。
岩井 ええ。
糸井 でも「できが雑だった映画」が
先生だったときがある。
あるいは「活字というもの」が
先生だったときがある。
勝手に先生をさがしていく生徒ですよね。
岩井 そうですね。
糸井 そういうやりかたを
ずうっととってきたような人が、
ひょっとしたら
クリエイティブ的な要素を、
人に教えられるんじゃないかというふうに、
思えるんですよ。
岩井 これまで、ぼくはあんまり
人の評価をあてにしないでやってきたんです。
特に映画は、自分だけの判断でやろうと、
実はかなり強く思ってて。
それは、絵をやっていて感じたことの
反動なんですけれども。
糸井 ひとりでやっていこう、という
信念がありますよね、
いつもどこかに。
岩井 高校生のとき、市で
絵の展覧会があったんです。
それに入選して、
県の展覧会に出すことになった。
自信作を「これは大丈夫だ」と
思って出したら、もののみごとに。
糸井 落ちた?
岩井 ええ。
賞をとった絵は
色紙みたいなものが貼られているんですが、
ぼくの絵には何もついてない。
ただ置かれてるだけ。
「何がだめだったんだろう!」と、
そうとう悩んじゃったんです。
そして、大学に入って、
絵の専攻だったんですけど、
最初に石膏デッサンをやりました。
見渡すと、自分よりうまいやつもいれば、
下手なのもいる。
でもそのとき、教授が
ぼくのデッサンをいちばん
褒めてくれたんですよ。
今度は、褒められた。
展覧会でだめだったときと
褒められたそのときが、
点と点でつながって、
「あ、そういうことか」って思ったんです。

つまり、
人に評価されてばかりでは
だめだ、ということなんです。
自分で自分の実力が
わからなくなってしまうから。
褒められたところもわからなければ、
だめだというところもわからない。
糸井 評価はいつも、
相手が決めることなんですよね。
岩井 そう。自分ではわからなくなってしまった。
それで、絵のほうはその瞬間すぐに
やめちゃったんです。
糸井 おお!
岩井 いっときは絵の道に進めるかな、と
思ったんですけど、
もうわからないからやめた。
ゼロから全部「わかる」ことを
したいと思ったんです。
そのときにちょうどやりはじめていたのが
映像だったので、
これはだれにも習いたくないと思いまして。
自分がわかった
一歩一歩だけを理解していきたい、
という思いがすごくあったんです。
糸井 それは、身の丈を上げていく
ということですよね。
それ、意識的に
どこかからつかんだものだったんだね。
岩井 そうですね。でも、そのぐらい、
人に褒められたりけなされたりするのって、
精神的動揺があるものです。
当時は反発的な年ごろでもあったので、
そういうことも嫌だったんだと思います。
褒められたことで
かえって混乱してしまっている自分が
嫌だった。
糸井 褒められて、
うれしさがないことはないでしょう?
岩井 ええ、ないことはないですよ。
ちょっと甘く考えれば、
うれしくもあったりする。
ただ、それで「やった!」と喜んでも
明日からどういう絵を描いていいかは、
わからない。
だから、絵のことそのものを
ごみ箱に捨ててしまおうと思った。
これはなかったことにしよう。
糸井 アイデアだね。
岩井 学校からの帰り、バスに揺られながら、
決然と「絵を捨てよう」と思ったのを
いまでも覚えています。
「これは自分にとって、
 重要なひとつの分岐点だ」
と、強く感じました。
そのときに選択肢をひとつ、
あえて捨ててしまったから、
だから逆に、
映像に関してすごく
貪欲になれたのかもしれません。
糸井 絵のようにはしまい、と。

<つづきます>

2003-04-09-WED

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