糸井 |
岩井くんはそもそも、
なぜ映画を撮りはじめたんでしょう?
映画を仕事にしたかったのか、それとも
作品をつくりたいと思ったのですか? |
岩井 |
最初は、どうだったかなぁ? |
糸井 |
岩井くん、絵も描いてましたよね。 |
岩井 |
ええ。文章を書いたり、絵を描いたり、
そういうことが好きでした。
高校時代ぐらいから
映画を「見る」のは好きだったんですよ。
絵と小説については自分で書いて
形にしてみたりしていたのですが、
映画に関しては
考えたことがありませんでした。
というのは、映画は
「はたしてどうやって
映画になっているのか」が
皆目見当がつかなかったから。
ぼくにとって映画は、
ただ楽しむものだったんです。
でも、70年代の終わりぐらいに、
あるインディーズ映画が
上映されていて、それを見に行ったんです。
結構おもしろい映画ではあったんですけど、
ひどいつくりだった。
カメラが回っている音が
ガラガラ聞こえているし、
照明らしきものも使われていない。
「ただ撮った」というものでしかない。 |
糸井 |
ホームビデオも
まだそんなに普及していない時代ですよね。 |
岩井 |
ええ。そこでぼくは生まれてはじめて
「手づくりなかんじのする映像」を
見たんです。
この延長線上に映画もあるんだ、
と感じることができた。
つまり、
「映画も人間がつくっているんだ」
ということに気づいたんですよ。
映画は、つくれるんだ!
それが最初でした。 |
糸井 |
反面教師みたいな要素もあったわけですよね。
おれでもできる、と。 |
岩井 |
そう思ったんです。
でも、ぼくは子どものころから
ちょっと変な傾向があって。 |
糸井 |
どんな傾向? |
岩井 |
たとえば、小説を書いてみたいと思う
いちばん最初のきっかけは何かというと、
自分が書いた文章を
活字にしたかったから、
なんです(笑)。
ぼくが小学生のころは
ワープロはありませんでした。
なんとか活字化できないかなと思って、
プラ板を買ってきて、
カリカリカリカリ、
カッターで削ってハンコみたいにして、
平仮名をつくってみた。
「つ」と「し」はつくったんですけど、
それ以上は難しくて(笑)。 |
糸井 |
ハハハハ!
それが50音あったら
活字化できるはずだ、と。 |
岩井 |
何というんですかね、
ぼくは、全体的に、ものごとに対して
ハートから入っていかないんですよ。 |
糸井 |
ということは、様式から? |
岩井 |
ええ。
とにかく、小説でいえば、
手書きのものと全く違う、
「活字上で書かれている文章」という別世界に
異常なあこがれがあって。 |
糸井 |
いやぁ、その環境そのものに、
ハートを感じるよ。
「ひとりでいる男」というかんじで。 |
岩井 |
小学校のときは陰にこもったガキでした。
でも、そのときほど、
思いつくままに思いつくままのことを
やっていた時代はないですね。
今、ちょっとそんなことを思いついても、
やってみようとは思えない(笑)。 |
糸井 |
その対象がグローブとボールだったら、
壁にボールを当てて、自分のイメージで
野球の守備をやっているようなつもりになる。
ふつうならそうやって
野球少年になるんだけど、
でも岩井くんは「机の上で」なんだ。 |
岩井 |
近所の文具屋に
写植のコーナーがあったんです。
よくのぞき見していたんですけど、
あの機械が欲しくて欲しくて。
とうてい手の出るものじゃ
なかったんですけど(笑)。
だから、ワープロが出現したときは、
すごい感動がありましたよね。 |
糸井 |
世の中の人とは別の意味で。 |
岩井 |
なんでそんなことにあこがれていたのか、
ぼくもよくわからないですけど。 |
糸井 |
ということはつまり、岩井くんは
根本的に独学なんですね。 |
岩井 |
ええ。 |
糸井 |
でも「できが雑だった映画」が
先生だったときがある。
あるいは「活字というもの」が
先生だったときがある。
勝手に先生をさがしていく生徒ですよね。 |
岩井 |
そうですね。 |
糸井 |
そういうやりかたを
ずうっととってきたような人が、
ひょっとしたら
クリエイティブ的な要素を、
人に教えられるんじゃないかというふうに、
思えるんですよ。 |
岩井 |
これまで、ぼくはあんまり
人の評価をあてにしないでやってきたんです。
特に映画は、自分だけの判断でやろうと、
実はかなり強く思ってて。
それは、絵をやっていて感じたことの
反動なんですけれども。 |
糸井 |
ひとりでやっていこう、という
信念がありますよね、
いつもどこかに。 |
岩井 |
高校生のとき、市で
絵の展覧会があったんです。
それに入選して、
県の展覧会に出すことになった。
自信作を「これは大丈夫だ」と
思って出したら、もののみごとに。 |
糸井 |
落ちた? |
岩井 |
ええ。
賞をとった絵は
色紙みたいなものが貼られているんですが、
ぼくの絵には何もついてない。
ただ置かれてるだけ。
「何がだめだったんだろう!」と、
そうとう悩んじゃったんです。
そして、大学に入って、
絵の専攻だったんですけど、
最初に石膏デッサンをやりました。
見渡すと、自分よりうまいやつもいれば、
下手なのもいる。
でもそのとき、教授が
ぼくのデッサンをいちばん
褒めてくれたんですよ。
今度は、褒められた。
展覧会でだめだったときと
褒められたそのときが、
点と点でつながって、
「あ、そういうことか」って思ったんです。
つまり、
人に評価されてばかりでは
だめだ、ということなんです。
自分で自分の実力が
わからなくなってしまうから。
褒められたところもわからなければ、
だめだというところもわからない。 |
糸井 |
評価はいつも、
相手が決めることなんですよね。 |
岩井 |
そう。自分ではわからなくなってしまった。
それで、絵のほうはその瞬間すぐに
やめちゃったんです。 |
糸井 |
おお! |
岩井 |
いっときは絵の道に進めるかな、と
思ったんですけど、
もうわからないからやめた。
ゼロから全部「わかる」ことを
したいと思ったんです。
そのときにちょうどやりはじめていたのが
映像だったので、
これはだれにも習いたくないと思いまして。
自分がわかった
一歩一歩だけを理解していきたい、
という思いがすごくあったんです。 |
糸井 |
それは、身の丈を上げていく
ということですよね。
それ、意識的に
どこかからつかんだものだったんだね。 |
岩井 |
そうですね。でも、そのぐらい、
人に褒められたりけなされたりするのって、
精神的動揺があるものです。
当時は反発的な年ごろでもあったので、
そういうことも嫌だったんだと思います。
褒められたことで
かえって混乱してしまっている自分が
嫌だった。 |
糸井 |
褒められて、
うれしさがないことはないでしょう? |
岩井 |
ええ、ないことはないですよ。
ちょっと甘く考えれば、
うれしくもあったりする。
ただ、それで「やった!」と喜んでも
明日からどういう絵を描いていいかは、
わからない。
だから、絵のことそのものを
ごみ箱に捨ててしまおうと思った。
これはなかったことにしよう。 |
糸井 |
アイデアだね。 |
岩井 |
学校からの帰り、バスに揺られながら、
決然と「絵を捨てよう」と思ったのを
いまでも覚えています。
「これは自分にとって、
重要なひとつの分岐点だ」
と、強く感じました。
そのときに選択肢をひとつ、
あえて捨ててしまったから、
だから逆に、
映像に関してすごく
貪欲になれたのかもしれません。 |
糸井 |
絵のようにはしまい、と。 |