糸井 |
岩井くんって、
どこで生まれたんでしたっけ? |
岩井 |
ぼくは、仙台です。 |
糸井 |
東京と仙台の距離って
どのぐらいあるか知らないけど、
仙台にいるとき、
東京が大人に見えませんでしたか? |
岩井 |
いやぁ〜、見えましたよ。 |
糸井 |
ねぇ? |
岩井 |
ええ。 |
糸井 |
ぼくは群馬なんですけど、
東京は、
来ようと思えば来られる距離でした。
もう、何回もどこかで話しているんだけど、
『おそ松くん』という漫画の
チビ太の持ってるおでんって、
見たことがなかったんですよ。
でも、全国にばらまかれてる
漫画というメディアの中で持ってるおでんは
あれだ。あれが、おでんだって、
漫画の中の人たちは認め合ってる。
おでんの記号として、
あのチビ太が持ってるおでんが
普遍化している。
それはおれにとって
大人であり、全国であり、
ナショナルだったんです。
そして、小学生のとき、東京に来たときに、
屋台のおでん屋で、あれを
見ちゃったんですよ。 |
岩井 |
存在したんですか! |
糸井 |
おれのいとこが
それを普通に持っていたときに、
ガーン。 |
岩井 |
ハハハハ! |
糸井 |
自分のいる場所が
リアルだけど認められてなくて、
どこかに認められている世界があって、
という、そういう距離感がある。
例えば「大人」もそうですよね。
思春期の子どもからみれば、
「大人はセックスしていい人」です。
子どもは「してはいけない」
「したことない」が、リアル。
だけど、「大人」という、
認められている社会というのが別にある。
社会と自分との断層みたいなものを
飛び越すときに、
いつもわくわくするわけよ。
いま、自分がもうこんな年になっちゃっても
まだうれしいんだよ。
つくった広告が出たとか、
自分が発言したことを「覚えてます」と
言われたとか。まだ欲張っています。
そうじゃないと、この仕事は
やめているとさえ思うんです。 |
岩井 |
そうですね。何なんだろうなぁ。 |
糸井 |
それは「上昇志向」という
名前をつけてもかまわないし、
「向上心」という名前をつけても
かまわないんだけど、
ぼくにとってはもっと
プリミティブなことなんです。
年をとっていても、幼い子でも、
「大人にジャンプする」、そんな気持ち。
形のないメダルのような。
そんなことを、教育された覚えはないよね。 |
岩井 |
ないですよね。
ぼくは、自分でこれから映画を撮れるぞ
という状況になって、最初に思ったのは、
「長続きするのだろうか」
ということなんです。
だって、ぼくがつくりたかったものって
「映画」なんですよ。 |
糸井 |
フフフ。 |
岩井 |
映画をつくっていけるという状況があって、
それぞれの映画が自分の作品になっていく。
そこに自分は興味があるのだろうか?! |
糸井 |
ハハハ!
それで、その答えはどうなったんですか。 |
岩井 |
ううーん。いまだに、
「どうしよう」というかんじはあります。 |
糸井 |
ぼくは、なにかの仕事をし終えるごとに
絶えず「ただの人」に
戻ってるんじゃないか
という気がするんですよ。
だから、また「行きたい」んじゃないかな。
映画が上映されている時期の映画監督って、
みんなが「今日、見ましたよ」とか、
言いますね。そういうときは、
映画をつくり終わっていたとしても、
映画監督です。
だけど、その映画が終わってしばらくして、
次の映画を準備しているときは、
人から見たら「ただの人」で、
自分自身も、
ものを考えてるだけの「ただの人」。
その「ただの人」に戻れるという場所が
あると、次がつくれるんじゃないかなあ。
ぼくが映画監督だったとして、
全国を監督として講演旅行したとしたら、
次の作品はできないような気がするな。
ただのお父ちゃんになってしまったり、
友達同士で「岩井!」って呼ばれたり。
それをキープしてないと、
「自分」が来ないでしょう? |
岩井 |
そうですね。
まあ、ほとんど日曜はそんなかんじで
すごしてます。 |
糸井 |
オーラが消えてる時間って、
ものすごく大事ですよね。 |
岩井 |
そうですね。ぼくは学生のころ、
映画研究会にいたんですけど、
そんなところですら
「ガッチガチの映像屋だぜ」という人は
少ないんです。
だからあんまり認識されてなくて、いまだに
「何者?」というポジションなんですよ。
30人くらいのなかで、
「あいつ、何なの?」
「ああ、あの人は岩井っていって、
映画撮ってるんだよ」(笑)。 |
糸井 |
いや、わかる、わかる(笑)。 |