質問:
ひとりで小説を書くなかで
見えてくるものとはどういうものですか? 人間の滑稽さが
むきだしになるんじゃないですか。
社会では共通のルールが生まれますよね。
でも、ひとりでなら
できることというのはあるんです。
突然わめきちらせたり、家では裸でいられたり……
おかしなことも恥ずかしがらずにできるのが、
「ひとり」のいいところだと思います。 つまりだからこそ
小説はひとりじゃないと書けないんです。
相談した途端に社会になるから
小説にはならないし、
書いてもどこにでもある考えと変わらないから
つまらないんですね。
小説に書くのなら、そこに見える護国寺も
普通の護国寺を書いていたってしょうがない。
異常な護国寺とか別な護国寺とか……
ひとりにひとつしかない
護国寺じゃないといけないのではないでしょうか。 ひとりで小説を書いていると
せいぜい編集の人としか
つきあわなくなりがちなんです。
小説家はみんなひとりでできるから
人と会う必要もないわけです。
バンドみたいに集まってオンラインでつないで
「おぉ、そうしゃべったか。
 それなら俺はこう書く」
みたいなことはないですし。 会う人間が固定すると考えも固定するんです。
考えが固定すると
エリート意識も生まれますし
排他的にもなりますし、
その同族意識がテレビのような
マスの媒体ならまだいいのですが
小説はちいさな社会のものですから、
より考えが閉鎖的で固くなりがちなのですね。
小説家の職業病みたいなこの現象を防ぐには、
たとえば音楽をやるのは
非常にいいと思います。
原稿を書くのは予定通りにできますが、
音楽はライブの日程ひとつ決めるのでも
「俺、その日ダメだわ」
とかいうことがしょっちゅうで、
ぜんぜん自分の思う通りにならないですから。
「ぜんぜん話にならない出来事」
がおもしろいんですね。
明日に続きます。
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2005-06-11 
Photo : Yasuo Yamaguchi [Hobo Nikkan Itoi Shinbun] 
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