|
|
|
質問:
保坂さんのいちばん好きな小説は何ですか? |
|
|
|
ぼくがいちばん好きな小説は
カフカの『城』なんだけど、
あの小説ってどういう順番で
ものごとが並んでいたか思いだせないんです。
でもすくなくともカフカ本人は
覚えていたはずだから、ぼくも何度も読めば
『城』を覚えられるかもしれないと思って、
五年前に三回つづけて読みなおしてみたんです。
それでもまだ
「すこしは覚えたかな?」という程度で、
あの覚えられなさだけでも
すごい小説だと思いますね(笑)。 |
|
|
|
小説家が小説を書いている時の
注意力や集中力や持続力は
やっぱりたいしたもので、その小説に対して
同じだけの理解をするには
もうほとんど丸暗記するような読みかたしか
ないんじゃないでしょうか。
こういうことをいうと人に
イヤがられるかもしれないんだけど、
丸暗記のようなやりかた以外には
小説家の考えの全体には近づけないと思います。 |
|
|
|
イントロとエンディングだけでは
音楽にならないし、
サビだけいい音楽ってつまらないし。
ほんとのクラシック好きって、
六十分ぐらいの曲でも
全体をおぼえていますもんね。
それと、似たようなことです。
日本の小説家は遠慮してへりくだって、
「いや、つまらない小説ですから」とか
「身内にひとり小説家が出たら三代の恥だ」
とかわけのわからないことをいって
自分から小説のことを低くいうもんだけど、
本音はそんなに小説がつまらないとは
思っているはずないでしょ?
そんなおもねったことをいっても、
人に何も伝わらないと思うんです。 |
|
|
|
だから自分の感じているおもしろさを
人にいうことは、
ほとんど小説家の義務じゃないのかなぁ。
世間の人が小説を読んで感じていることよりも、
これだけ読みこめるほどおもしろいものなんだと
伝えないといけないでしょう。
小説家は小説というものを
おもしろいと思っているから
自分でも小説を書いているわけであって、
きっとどの小説家も
「小説を書いていない人は、
自分ほどこの小説をおもしろいと思って
読めていないだろう」
と感じていると思うんです。
それならそのおもしろさは
いわなきゃダメじゃんと思うんです。
だから、ぼくの近刊の『小説の自由』の中では、
「ここがこういう風におもしろい」とか
「こういうところに着目するとおもしろい」
という風に、具体的に書きました。
|
|
|
|
いっても伝わらないかもしれないけど、
伝わるかもしれない……
伝わらなくったっていうものなんだよね。
サッカーのブラジル代表のキャプテンだった
ドゥンガが十年ぐらい前に
ジュビロ磐田に来ていたとき、
あの人は試合中に指示しまくって
選手を怒りっぱなしだったんです。
「おまえらがヘタなら、俺はただ出稼ぎで
遊びにきているように思われるだろうが」
「日本のサッカーのレベルがあがってくれなきゃ、
俺がまじめにやる場所にならない」
ドゥンガは怒って怒って、
「何度いってもわかんない」といいながらも
絶対あきらめないじゃない。
そういうものなんだと思う。
|
|
|
|
伝わらないとかいってもしょうがないから、
伝わっても伝わらなくても
どちらにしてもいわなきゃいけないんだよ。
小説家のアタマの中には、
それを伝えたくなるだけ
自分の小説が入りこんでるんだし、
他の人の小説の良さだって
ちがう見え方がしているんだし、
読む人もそれがほんとうは可能なはずで、
そのことがいちばん、
その小説をおもしろく読むことなんですよね。
そういうおもしろさって、
伝えつづけていればきっと伝わるんです。
ひとチームが十一人のサッカーも
九人の野球も五人のバスケットボールも、
ひとりが入るとチームが変わるじゃない?
だから、ひとりの人間がいっていれば
やっぱりそのことは伝わるんですよね。
それできっとすこしなにかが変わるんです。 |
|
|
|
明日に続きます。
|
|
|