質問:
考えやすいことを
考えたふりをして終わるのでなく
考えにくいことを考えてゆく筋道について、
保坂さんの考えを、うかがえますか?
ほんとは
考えてもつながらないものが多いんです。
考えるための材料は
実際にはぜんぜん不足していますよね。
だからそういうつながりにくい問題を、
どうつなげるかの
手段とか道筋とか公式とかを
ひとつでもつくりだしてゆくようなものが
小説だろうと思うんです。
「実際、そんな手段をつくれているの?」
と疑問に思う人もいるかもしれないけど、
少なくともぼくは
そういうことを考えつづけることで、
世間の人と比べると
「すこしヘンな人」にはなっていますよね(笑)。
で、こういう「ヘンな人」の話を聞いていると
気持ちの中にいい風が
通り抜けるような感じがするでしょ?
決まりきったことばっかり
しゃべる人の話を聞いてると
息がつまってくるけど、そうじゃないでしょ?
それはぼくが小説に奉仕しているからです(笑)。
芸術というのは自分のためにあるんじゃなくて、
奉仕するためにある。
正解なんか関係ないんですよ。
というか、正解がある問題なんか
問題のうちに入らないと思う。
ぼくは「つながりにくいもの」を
考えているからそう思うんだけど、
わかりきったすでにある手段を使って
すでにある問題を分析するのは
もうほんとに学校教育とおなじですから、
テクニックにすぎないですよね。
テクニックではないところで
ものを考えるための訓練には、
小説家なら小説、野球選手なら野球のことを、
毎日、考えるという姿勢を身につけるのが
いちばんなんだと思います。
質問:
さきほどおっしゃった
「死んだ猫のことを考える」というのは、
実際に
『カンバセイション・ピース』
で、
保坂さんが実行したことですよね。
うん。
「死んだ猫と、
生きている自分を
どうつなげるかを考える」
という作業をくりかえすということは……
「死ぬ」ということを、
まず、なににどうつなげたらいいのかが
わからないんですね。
それが出ていたせいか、
『カンバセイション・ピース』を読んで、
「死ぬというのは
ほんとにたいへんなことなんだな」
ということを考えたという友人がいました。
彼は両親が生きているし、
身内があまり死んでいないし、
動物も飼っていなかったから、
死ぬことのたいへんさというのが、
まずは、わかっていなかったそうなんです。
死ぬというのは、
それだけでたいへんなことなんですよね。
そしてそれはいずれかならずやってくる。
ぼくは死ぬことのたいへんさは
もうきてしまっていたから
ただそれをどうつなげたらいいか
考えていたんだけど、
あまり小説のなかで問題にしていなかった
「死ぬことのたいへんさ」を
前提としてわかったといってくれた人がいて、
それだけでひとつクリアできた気がしますね。
だって、「死ぬことのたいへんさ」を
無視した小説ばっかりだから、小説の中で
簡単に人を殺しちゃったりできるわけでしょ?
明日に続きます。
2005-06-28
Photo : Yasuo Yamaguchi All rights reserved by Hobo Nikkan Itoi Shinbun 2005