アースダイバーの経験論!
経験論について プロフィール
05 質問:
編集者として
中沢新一さんと出会うまでの
いきさつをおきかせください。
結局、著者と編集者は
「人と人」の関係という部分が、
通常のビジネスよりも強いかな
と思うことがよくあります。
中沢さんがはじめて原稿を下さったときに、
「園部くん、原稿は愛なのよ」
って渡されました(笑)。
編集者が誰なのかによる本のデキの違いは、
あってほしいと思います。
著者が
「あの編集者に渡す原稿なんだ」
と思うところで、
書く力が入ってくれるのなら、
編集者冥利につきますが、実際には
あんまり変わりがないのかもしれませんね。
ぼくは学生時代に
ニューアカの洗礼を受けました。
もともと中沢さんのファンで、
特に二冊目に書かれた
『雪片曲線論』という本の中の
「ゲームフリークはバグと戯れる」
という論文が頭に残っています。
「ゲームで学問がこんなに面白く語れるんだ」
と非常に印象的でした。
その本の帯にかいてあったのが
「メチエの精神」というもので、
これは「講談社選書メチエ」という
シリーズ名の案に「メチエ」と出した
きっかけでもあります。
つまりもちろん、一九九二年に
講談社選書メチエを立ちあげた時から
ずっと、中沢さんに
書いてもらいたいと思っていました。
早い段階で執筆依頼をしました。
中沢さんは
「何かやりましょう。
 内容が決まったら連絡します。
 でも、ぼくは
 きつく催促されるのは嫌いだからね」
と言われたので、忘れられない程度には
季節のご挨拶をだけしておりました。
そのうちに、講談社選書メチエの
五周年記念(一九九九年)の際に、
講談社のPR誌『本』に
推薦文を書いてくださいとお願いしました。
「メチエという名前は、
 中沢さんの『雪片曲線論』からいただいたので、
 是非というか、先生には書く義務がある」
なんておねがいをしたところ、
原稿を書いてくださったんですね。
(「メチエを讃えて」という原稿です)
そこにリップサービスかもしれないけど
「近々ぼくも書く予定になっている」
とメチエのことを言ってくださったんです。
またそれから、ちょこちょこ
連絡をするというふうに進んでゆきました。

(次回に続きます。)
photo
Photo : 大森克己
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2005-07-21-THU

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