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質問:
編集者として
中沢新一さんと出会うまでの
いきさつをおきかせください。 |
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結局、著者と編集者は
「人と人」の関係という部分が、
通常のビジネスよりも強いかな
と思うことがよくあります。
中沢さんがはじめて原稿を下さったときに、
「園部くん、原稿は愛なのよ」
って渡されました(笑)。 |
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編集者が誰なのかによる本のデキの違いは、
あってほしいと思います。
著者が
「あの編集者に渡す原稿なんだ」
と思うところで、
書く力が入ってくれるのなら、
編集者冥利につきますが、実際には
あんまり変わりがないのかもしれませんね。 |
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ぼくは学生時代に
ニューアカの洗礼を受けました。
もともと中沢さんのファンで、
特に二冊目に書かれた
『雪片曲線論』という本の中の
「ゲームフリークはバグと戯れる」
という論文が頭に残っています。
「ゲームで学問がこんなに面白く語れるんだ」
と非常に印象的でした。 |
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その本の帯にかいてあったのが
「メチエの精神」というもので、
これは「講談社選書メチエ」という
シリーズ名の案に「メチエ」と出した
きっかけでもあります。
つまりもちろん、一九九二年に
講談社選書メチエを立ちあげた時から
ずっと、中沢さんに
書いてもらいたいと思っていました。 |
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早い段階で執筆依頼をしました。
中沢さんは
「何かやりましょう。
内容が決まったら連絡します。
でも、ぼくは
きつく催促されるのは嫌いだからね」
と言われたので、忘れられない程度には
季節のご挨拶をだけしておりました。 |
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そのうちに、講談社選書メチエの
五周年記念(一九九九年)の際に、
講談社のPR誌『本』に
推薦文を書いてくださいとお願いしました。
「メチエという名前は、
中沢さんの『雪片曲線論』からいただいたので、
是非というか、先生には書く義務がある」
なんておねがいをしたところ、
原稿を書いてくださったんですね。
(「メチエを讃えて」という原稿です) |
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そこにリップサービスかもしれないけど
「近々ぼくも書く予定になっている」
とメチエのことを言ってくださったんです。
またそれから、ちょこちょこ
連絡をするというふうに進んでゆきました。
(次回に続きます。) |
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Photo : 大森克己
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