アースダイバーの経験論!
経験論について プロフィール
09 質問:
この連載では、
編集者の人のこれまでの経歴なども
うかがっているのですが、
園部さんは、これまで、
どんなふうに仕事をしてきましたか。
ぼくがはじめに就職したのは
本田技研工業株式会社です。
ディーラー、工場の現場で
半年間研修をした後に、配属になったのは
海外流通部船積課というところでした。
ぼくの担当は自動車の輸出でした。
船会社に
「日本から
 サウジアラビアにシビックを百台、
 南米のバハマにアコード十台」
などと船の予約をしたりしていました。
船積課で半年ほどが経ちなんとか
仕事の流れがわかってきたかなと思っていたら、
突然課長に呼び出されて
「フランスに行くという話があったらどうする」
と聞かれたので、
二つ返事で「行きます」と答えました。
当時、たまたま本田技研に
昔あったトレーニー制度
(将来の海外駐在要員を若い時に
 一度外に出しておくというもの)
が復活したために、ぼくにも
「行く気があるなら」
と声をかけていただいたんです。
外国に住んでみたいというのが
とにかく本田に入社した大きな理由だったんで、
うれしくて仕方ありませんでした。
とにかく言葉を身につけろと言うことで、
当時のホンダ・フランスの社長のはからいで、
トゥールのフランス語学校で
五か月、勉強だけの日々を送りました。
ロワール河流域にありましたので
有名な古城を暇をみては訪ね歩いたり、
週末には北の方では、
ランス、ブリュッセル、アムステルダム、
南ではボルドーなどへと
ちょこちょこと旅に出ていました。
  ぼくはトレーニーだったので
駐在員のかたのお仕事のサポートをしていました。
ホンダ・フランスは
従業員が二百数十名のこぢんまりした会社で、
ダイレクトに仕事をしている感じが、
本社にいるのとはちがっていました。
  またフランス人相手に
いろいろとやり合うのですが、
文化の違いやことばができないことによる
ストレスはかなり感じました。
フランス人はやっぱり論理的に話をするから
すごいとか、一方で仕事があるのに
金曜日の午後は平気で早退したり……。
帰国子女でもない自分にとっては
すごく刺激的でした。
フランス語学校には
企業派遣でINSEADという
経営学大学院の
受験準備などをしている日本人がいました。
彼ら(三人いた)に、合格した後にあったら
「すごい大変だよ。でもおもしろい」
ぼくもお調子者で負けず嫌いなので
「そんなに大変だっていうんなら、
 どのくらい大変かみてみよう」
なんていらぬ競争心を出したりして……。

(次回に続きます。)
photo
Photo : 大森克己
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2005-07-27-WED

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