|
|
|
質問:
この連載では、
編集者の人のこれまでの経歴なども
うかがっているのですが、
園部さんは、これまで、
どんなふうに仕事をしてきましたか。 |
|
|
|
ぼくがはじめに就職したのは
本田技研工業株式会社です。
ディーラー、工場の現場で
半年間研修をした後に、配属になったのは
海外流通部船積課というところでした。
ぼくの担当は自動車の輸出でした。 |
|
|
|
船会社に
「日本から
サウジアラビアにシビックを百台、
南米のバハマにアコード十台」
などと船の予約をしたりしていました。
船積課で半年ほどが経ちなんとか
仕事の流れがわかってきたかなと思っていたら、
突然課長に呼び出されて
「フランスに行くという話があったらどうする」
と聞かれたので、
二つ返事で「行きます」と答えました。 |
|
|
|
当時、たまたま本田技研に
昔あったトレーニー制度
(将来の海外駐在要員を若い時に
一度外に出しておくというもの)
が復活したために、ぼくにも
「行く気があるなら」
と声をかけていただいたんです。
外国に住んでみたいというのが
とにかく本田に入社した大きな理由だったんで、
うれしくて仕方ありませんでした。 |
|
|
|
とにかく言葉を身につけろと言うことで、
当時のホンダ・フランスの社長のはからいで、
トゥールのフランス語学校で
五か月、勉強だけの日々を送りました。
ロワール河流域にありましたので
有名な古城を暇をみては訪ね歩いたり、
週末には北の方では、
ランス、ブリュッセル、アムステルダム、
南ではボルドーなどへと
ちょこちょこと旅に出ていました。 |
|
|
|
ぼくはトレーニーだったので
駐在員のかたのお仕事のサポートをしていました。
ホンダ・フランスは
従業員が二百数十名のこぢんまりした会社で、
ダイレクトに仕事をしている感じが、
本社にいるのとはちがっていました。 |
|
|
|
またフランス人相手に
いろいろとやり合うのですが、
文化の違いやことばができないことによる
ストレスはかなり感じました。
フランス人はやっぱり論理的に話をするから
すごいとか、一方で仕事があるのに
金曜日の午後は平気で早退したり……。
帰国子女でもない自分にとっては
すごく刺激的でした。 |
|
|
|
フランス語学校には
企業派遣でINSEADという
経営学大学院の
受験準備などをしている日本人がいました。
彼ら(三人いた)に、合格した後にあったら
「すごい大変だよ。でもおもしろい」
ぼくもお調子者で負けず嫌いなので
「そんなに大変だっていうんなら、
どのくらい大変かみてみよう」
なんていらぬ競争心を出したりして……。
(次回に続きます。) |
|
|
Photo : 大森克己
|
|