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質問:
パリ駐在がおもしろかったのですね。 |
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二年間のパリ駐在が終わると
福岡の営業所に配属されました。
それはまた新しい仕事なのでたのしかったし、
福岡も大好きな町になりましたので
よかったのですが、心のどこかで
「次はいつ外国に行けるのかな」
と思うようになりました。 |
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福岡で営業をした後には、
本社の広報部に行きました。
広報部は自分でも
すごく希望していたのですが、
どうしても外国に住みたい。
とくにフランスにという気持ちは強かったです。
二十代の後半でまだ血気盛んですから、
会社の人事を
のんびり待っていられなかったんですね。 |
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そこでホンダ・フランス時代に知った
INSEADという学校の存在が
あらためて浮上してきました。会社を辞めて
外国を遊び歩くわけにもいかないし、
かといって学生時代の
フランス文学の続きをやっても
しょうがないしというわけで、
自分のキャリアにもなるし
会社にもすこしは貢献できる形ということで、
MBAを取りに行こうと思いました。 |
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ときはバブルでしたから、
学生時代の知り合いのなかでも
MBAをとる人間も多くいましたし、
これでいいだろうと思いました。
大学院の入学の許可が出たので、会社に
「企業派遣の方もいる学校なので、
前例はないと思いますが
会社派遣にしていただけませんか」
と伝えました。会社の方は
「会社派遣をするつもりはないが、
休職扱いにしましょう。
昇給は停止しますが
帰国後の身分だけは保証します」と。 |
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希望が容れられず残念でしたが、
最低限の身分保証があったのは
ありがたかったですね。
現地で何が起きるかわからないし、
たとえば交通事故に遭うとかいう
リスクを考えると、やはり会社が
そう言ってくれたのはありがたかったんです。 |
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フランスの学校で、フランスで
「勝ち組」として生きていくための
勉強をはじめたのですが、
しかしこれが実際にやってみると
ものすごくきつかったんです。
やはり
オックスフォード、
ポリテクニーク、
ハーバード卒の各国のみなさん、
すごいんですよ。 |
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勉強できるのは当たり前で、
けっこう人格者。それでいてアグレッシブ。
だけど人当たりもいいみたいな。
夜中の三時四時まで遊んでいた後、
朝の八時からケロッとした顔で
コンピュータに向かって
レポート書いたりするわけですね。
こちらはヘロヘロなんです。
頭脳・体力・言語トータルすると、
これはちょっとぼくでは
戦いにならないということを思い知らされました。
それまでも挫折はありましたが、
これはけっこう決定的だったですね。
(次回に続きます。) |
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Photo : 大森克己
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