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質問:
フランスでの生活の後に、
どんな方向に進んだのですか。 |
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たまたま当時、講談社が
海外経験のある人を求めていて……。
実は、大学新卒のときの第一志望が
マスコミ系でしかも出版社だったんです。
なんかぐるぐると回って
自分の希望の原点に戻ってきたという感じでした。 |
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本田技研にはほんとにお世話になりました。
いい会社でした。
おかげさまでいろいろと幅広い経験を
させて頂いたと思いますし、
休職扱いにしていただいたことの
ありがたさも身にしみていましたけど、
辞めさせてもらいました。
ただ今でもホンダの文系の同期とは
ずいぶん仲がいいんです。 |
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いまだに誰かの異動があると
同期で集まったりしますね。
クルマやバイク好きのやつらが、
入社してすぐに、
工場実習で生活を共にするわけです。
鈴鹿の工場で三か月間は
組立工とか工員さんを経験するのですが、
その時に家族用の寮に四人で住むわけで、
これがすごくおもしろかったんです。 |
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二交代制なので朝の六時に起きて
連れだって出かけたり……
すぐに仲良くなって
ツーリングに出かけるようになりましたし、
東京に帰ってもそのメンツで
ナンパに行ったりごはんを食べに行ったり。
だからいまだに集まると昔のノリで、
すごく楽しいんです。 |
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転職したのは三十歳過ぎでした。
出版のことなんて
まったく知らないでスタートです。
緊張しました。
ラッキーだったのは、
講談社選書メチエの立ちあげから
ずっと十二年間はメチエの仕事に
携わることができたことです。
創刊を経験できたこともよかったし、
一カ所に長い間いることができたおかげで、
蓄積ができました。 |
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それまで本は読んでいたとはいえ
好きなものだけ読んでいるわけで
偏っていましたから、それを機に
ほんとに何でも手を出すようにしていました。
講談社選書メチエが
出はじめる前の準備段階では、
それこそ編集会議を毎週やっていたので、
自分の知ってる分野の企画だけでは、
一か月と保ちませんでした。
すぐに案が尽きてしまうんですよね。 |
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そこで『現代思想』や『大航海』や、
学術系の雑誌を読んでは
「この論文は短いけどおもしろいから、
これをふくらませて
一冊にできるかもしれない」とか、
毎週必死になって
企画会議に持っていってましたね。
毎週の企画会議は一年半続けたのですが、
いい訓練にはなりました。
最初に出した企画、おぼえています。
「丸山圭三郎さんと栗本慎一郎さんと……」
と著者の名前しか出せなかったから(笑)。
どんなテーマで書いてもらいたい、
なんてところまで行き着けませんでした。
(次回に続きます。) |
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Photo : 大森克己
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