フランコさんのイタリア通信。
アズーリにいちばん近いイタリア人の生活と意見。

インテルは人生の鏡か?


ひとつのサッカー・チームを
「熱狂的に愛する」(tifare=ティファーレ)
ということは、
裏切られても失望しても、
それでも愛しつづけるということです。
サッカーをティファーレする人を
「ティフォーゾ」と呼ぶのですが、
「愛すること」を最優先する人々すべてを、
サッカーに限らないどの場面においても
(広い意味でいえば)
「ティフォーゾ中のティフォーゾ」と呼んでいいでしょう。
そして、ティフォーゾたちは、
裏切られたと感じる「恋する者」の常にのっとり、
言い争ったり、悪態をついて人を傷つけたり、
苦しんだり泣いたりと、
平穏無事ではない行動にでるのです。

こんなインテルが人気を保っている。
ぼくには、不思議でならない!


ヨーロッパで最強のクラブ・チームを決める
UEFAチャンピオンズ・リーグにおいて、
昨年の上位3チームはイタリア勢でした。
ACミラン、ユベントス、インテルです。
ACミランが優勝して、
横浜で開かれたトヨタ・カップに
参戦しましたね。
トヨタ・カップは取れませんでしたが。

それから1年も経たないというのに、
UEFAチャンピオンズ・リーグとUEFAカップ、
ヨーロッパで最も重要な
このふたつの大会のどちらにおいても、
イタリアのチームは
8強にさえ残れませんでした。

最後に敗退したのはインテルでした。
UEFAカップのほうですが、
4月14日にイタリアのミラノで行われた準々決勝で、
フランスのマルセイユに負けてしまいました。

イタリア・サッカーの中でも
大きなチームのひとつであるインテルは、
ヨーロッパ優勝どころか
イタリア国内リーグ優勝の印のスクデットさえ、
長いこと勝ち取れないでおります。
僕は以前にも、この事を何度かここに書きましたが、
(そして、また書いているわけですが、)
これはイタリアでは実に
「あり得ない」と言えるくらいの
仰天の事態なのです。

この「黒青シャツ軍団」がスクデットを勝ち取ったのは
1989年が最後で、
それ以来、失望につぐ失望の年月が、
このチームを取り巻く人々に
続いています。

にもかかわらず、
このチームの人気は衰えを知りません。

「愛は盲目」と言われますが、
恋する者が苦しむのは当たり前
ということなのでしょう。
勝てないということは
常に次へ向けて夢を見させてくれる、
いや、むしろ夢を見続けざるを得なくなるわけで、
はやばやと見捨ててしまえるようでは
「恋」だの「愛」だのとは言えません。



いまから40年前、インテルは。


恋して、夢見て、一向に現実を見ようとしない
この人たちのなかでも一番の大物が、
9年以上もインテルのオーナーである
マッシモ・モラッティであることは
間違いありません。

彼はインテルの会長でもありましたが、
数カ月前に、
その座をジアチント・ファケッティに譲りました。
マッシモの父アンジェロ・モラッティの時代、
1960年代ですが、
インテルのキャプテンもつとめた人物です。
2004-01-26

当時、今から40年前には、
インテルはイタリアでもヨーロッパ内でも
世界へ出ても勝利するチームでした。
息子マッシモに受け継がれた現在のインテルは
イタリアでもヨーロッパでも
世界でも負けるチームなのです。

そんなはずはないと、
インテルのティフォーゾたちは
まだまだ忍耐力を保っていますが、
希望のほうはそろそろ
崖っぷちまで追いつめられつつあります。

昨年の11月には監督が
クーペルからザッケローニに換えられました。
選手たちも、アドリアーノとスタンコヴィッチが
1月に購入される以前から、
激しく入れ替えられています。
しかしどうもある種の良からぬ習慣というものは、
変わっていないようです。

その筆頭が、チームの柱ともいうべき
クリスチャン・ヴィエリの私生活です。
ぼくだってジャーナリストであるだけじゃなく
あるときはロマンチックなイタリア男であるわけですが
ヴィエリのあの色男っぷりは
同じイタリア男としてもどうなんだと
言いたくなるくらいなんです。
夜の帝王と噂されるほどディスコの常連で、
サッカーのチャンピオンというよりは
ポップ・スターという感じです。
じゃあベッカムはどうなんだ、
彼も選手というよりは
ポップ・スターじゃないかと言う人もいますが、
それはともかく、
インテルのティフォーゾたちは、
やっぱりヴィエリにはサッカーのことを
真剣に考えて欲しいと感じ、
遊び回る彼の姿を見るたび
裏切られたと感じています。
彼らにとってのインテルは
恋人や妻や愛人のようなものなのです。
その恋人が他の男の元へ行ってしまったかのような
裏切られ感を抱いているのです。

インテルはまるで
苦しく悲しい人生のようだ。


そうでなくても勝てないチームのティフォーゾは
失望がちで不安定な状態を強いられます。
たとえばマッシモが新しい選手を購入した時には、
これですべてが変わるだろう、
勝利の夢が実現するにちがいない、と、
希望で胸をふくらませて上機嫌になり、
それでもやっぱり負けようものなら
憂鬱な失望は以前にも増してしまいます。

もはやインテルのティフォーゾたちは、
ロベルト・カルロス、ロナウド、
クレスポ、シードルフ、ピルロなど、
重要な選手たちがモラッティによって売られても、
嘆く事さえしなくなってしまいました。
これが他の伝統的なチーム、
ACミランやユベントスのティフォーゾだったら
黙ってはいないはずです。
インテルのティフォーゾたちは、ある所にまで
追いつめられてしまったのだと思います。
つまり、彼らの愛するチームは、
もはや素晴らしい夢ではなく、
現実の日常生活、
実際は悩みや憂鬱や苦しみにあふれる
人生そのものの鏡なのだと、
彼ら自身が認めてしまったように
見えるのです。

インテルの恋人たちは、
泣く為には裏切られることが必要だと、
ほとんどそんな風に望むまで、
ねじれてしまったかのようです。

いくらなんでも、
これはとても悲しい事態ですねえ。
こちらまで気が滅入ってしまいます。


訳者のひとこと
ティフォーゾの語源は
tifo=ティーフォで、
チフスのことです。
熱病にかかっていると言えるほどの
熱狂的なファンをティフォーゾと
呼ぶわけす。
恋は生ものですからねえ、
新鮮なうちはともかく
腐ったりもしますからねえ、
でも誰にも恋をしていないのよりは
良いかもしれません。
イタリア語には
Meglio che niente.
「メーリョ ケ ニエンテ」
という言い方があります。
何も無いよりはまし、という意味です。
ふ〜。(ため息)
翻訳/イラスト=酒井うらら


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2004-04-19-MON

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