モラッティ、インテル会長を辞任。
「インテル」の危機については、
僕は何回もここに書きましたが(2003-10-27など)、
またもや、です。
イタリアのサッカー界はいま、
インテルにかかわる、ある事件に衝撃を受けているのです。
1月19日、日曜日。
ついに運命の日が来てしまいました。
マッシモ・モラッティが会長を辞任したのです。
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ティフォーゾたちの要求で
辞任を決意したのでしょう。
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この前日にインテルは
センセーショナルな負け方をしました。
相手は、リーグ戦カンピオナートの中で
最も弱い組にいる、エンポリです。
モラッティは、
強いインテルの復活を模索し続けるかわりに、
会長を辞任しました。
たぶんティフォーゾたちの要求に応えたのでしょう。
それ意外に理由は考えられません。
インテルはティフォーゾ(熱狂的サポーター)の数では
ユベントスに次ぐ多さを誇りますが、
ここ15年間というもの
イタリアのチャンピオンタイトルを、
そう、あの有名な「スクデット」を
勝ち取れていないままなんですから。
ちなみに、モラッティは、会長の座を退いてもなお、
インテルのオーナーであることに変わりはありません。
会長であったこの9年間に、
彼は延べ111人の選手を買い入れ、
10人ほどの監督を入れ替え、
そのために、およそ5億ユーロを使いました。
(編集部註:日本円にしておよそ675億円)
たいへんな額ですが、結果は‥‥書いた通りです。
モラッティの後任の新会長に選ばれたのは
ジアチント・ファケッティです。
ファケッティはキャプテンも務めたことのある、
インテルのOBです。
彼が活躍したのは、マッシモ・モラッティの父君の
アンジェロ・モラッティの時代、1960年代のこと。
当時のインテルは、
世界の中でも強豪チームのひとつでした。
そのような背景があって新会長に抜てきされた
ファケッティですが、
彼がなんの権限も持たないであろうことは明らかです。
ファケッティが会長という役割でインテルに注げる能力は、
他の強豪ユベントスにおけるアニェッリ一族や
ACミランのベルルスコーニには、
到底およばないでしょう。
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モラッティの気持ちを察すると
僕の胸にも痛みが走ります。
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社会的にもアニェッリやベルルスコーニに
引けをとらない富豪モラッティは、
なぜ辞任に踏み切ったんでしょうか?
僕が思うに、彼はインテルを愛しすぎなのです。
ティフォーゾの中のティフォーゾなのです。
彼は、本当はインテルを離れることなど
考えられないくらい、インテルを深く愛しているのです。
ところが、インテルのティフォーゾたちは
彼を見離しました。
辞任の前日、インテルがエンポリに負けつつある時、
サン・シーロ競技場では、怒りに満ちたティフォーゾたちが
横断幕を張り巡らせました。
「モラッティ、帰れ」
という意味の言葉が書かれていました。
彼がこういう仕打ちを受けたのは、
これが初めてのことではありませんが
(2003-11-03)、
今回も、彼は黙って、そこを去りました。
恋人に裏切られた男のように、
呼んでも叫んでも愛した人から二度と
応えてもらえないような、悲しい恋をする男のように‥‥
そう、まさに行方を失った愛なのです、
だれよりもインテルのティフォーゾであるモラッティは、
同じティフォーゾたちからの突き上げを、
たいへんな痛みで受け取ったはずなんです。
それは情けない試合の結果の数々よりも深く、
彼を傷つけたはずなんです。
彼はきっと、こう思ったでしょう。
「家族は別としても、
他のなによりもインテルを愛している自分が、
どうしてこんなふうに否定され得るのか‥‥?」
自分の愛が受け入れられていないと感じる時、
人は相手のことを
「裏切り者」と思いたくなるものです。
モラッティも、ティーフォーゾたちのことを、
そう感じたでしょうね。
君たちは、僕のことを理解し、
愛してくれていたんじゃないのか???
違ったのか!?!?
この感情のすれ違いを、
僕なりに分析してみるならば、こうなります。
モラッティは勝利よりも、インテルを愛するという
同じ感情を持つ総ての人々との連帯感を望んでいた、と。
本当のティフォーゾとはそういうものだと、僕も思います。
同じ色のもとに、
つまり同じチームのユニフォームの色のもとに、
愛をもって集まる人々との連帯感がなければ、
ティフォーゾとは言えません。
連帯感があれば、スクデットを取れないでいるとしても、
モラッティが「ティフォーゾのトップ」つまり
「インテルの会長」として居続けることが
できたはずなんです。
しかしインテルのティフォーゾたちは、
モラッティを非難し、辞任させました。
でもどうでしょう、彼らはモラッティを
理解する努力は、したのでしょうか?
理解しようともせずに非難することは簡単です。
「理解する」と僕は書きましたが、
深く確かな愛情が、より気高いレベルの感情で
あり続けるためには、なんらかの犠牲が必要です。
そのことを含めて、彼らはモラッティと、
インテルへの彼の愛を、
理解できなかったのでしょうか?
モラッティはインテルへの「気高い愛」のために、
自分を犠牲にしてティフォーゾたちを鎮めようとしました。
断腸の思いだったことでしょう。
でも僕は思います。もしティフォーゾたちが
モラッティのインテルに対する愛を理解し、
彼に対する気持ちも良い方に戻った時には、
モラッティは喜んで帰ってくるでしょう。
ひょっとして数カ月後には、
またモラッティが会長の座にいたりしてね。
相変わらず、とてつもなく寛大で情熱的なまんまでね。
ああ、でも今は、
モラッティはただ孤独で寂しい
ひとりの男なのです。
モラッティ氏(右)とフランコさん。
訳者のひとこと |
先日のテレビで糸井さんが
「それが必要だと証明するには、
それを一旦どけてみれば良い」
とおっしゃいました。
一旦どいたモラッティさんが
やっぱり必要、という判定が
出ることを、私個人的には
願っています。
フランコさんもモラッティ氏の
味方のようですね。
ただ、人格と経営とのことは
難しい問題なのも確かですから‥‥。
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翻訳/イラスト=酒井うらら
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フランコさんのくわしいプロフィールはこちら、
フランコさんのホームページはこちらです。(日本語もあるよ!) |