フランコさんのイタリア通信。
アズーリにいちばん近いイタリア人の生活と意見。

シェフチェンコ、バロンドールに輝く。

ACミランのシェフチェンコに
本年度の「バロンドール」が与えられました。
バロンドールについては、
もう良くご存じのかたも多いでしょう。
「フッボル」(フットボール)というフランスの雑誌が、
ヨーロッパ内でその年にもっとも活躍したサッカー選手を、
審査委員会で選んで与える賞です。
サッカー選手たちが、
いちばん良く知っている最高の賞でもあります。



愛称シェヴァ、万人に愛される男。

「シェフチェンコ」という名前ですが、
これがイタリア人にとっては
覚えにくく書きにくい名前です。
それでイタリアでは、みんなが彼を
「シェヴァ」と呼んでいます。

シェヴァという愛称は、
ACミランのファンではない人たちも、
愛情をこめて使っています。
いかにも優秀な青年らしい顔つきと、
イギリスの寄宿学校生のような規律正しい雰囲気で、
だれからも愛されているのです。

乱れた言葉づかいや、言い争いや、陰口は、
彼とは無縁です。
そんなシェフチェンコ、いやシェヴァを、
サッカーファンならだれもが、
自分の贔屓のチームに来て欲しいと思っているはずですよ。

彼は現在はACミランに所属していますが、
同じミラノ市に属するインテルや、
歴史的な宿敵であるユベントスのティフォーゾたちさえも、
彼を評価し賞賛しています、
それは、彼の優秀さと人柄が
階級やシャツの色の違いなどふきとばすほど、
魅力的だからです。

そんなシェヴァに
本年度の「バロンドール」が与えられたのです。



シェヴァは、ウクライナという、
数年前まではソ連の共産主義下にあった国の出身です。
同じようにかつて共産主義の国であったチェコ出身の
パヴェル・ネドヴェドも、同じ賞を昨年受けています。

今年の予想としては、
全員がとは言わないまでも、少なくも「多くの人びと」が、
バルセロナのブラジル人選手ロナウディーニョか、
アーセナルのフランス人選手アンリを考えていました。
だからシェヴァの受賞には、じつは多くの人が驚きました。
いちばん驚いたのはシェヴァ本人だったかもしれません。

実際に、シェヴァは、
ヨーロッパでもっとも優秀な選手として
この賞を与えられると知った時に、こう言いました。
「ぼくも正直なところ
 受賞はロナウディーニョだろうと思っていた」と。
理由は単純明快でした。
「だってぼくは、ぼくより彼のほうが
 優秀だと思っているから」

ゴールを決めた時や賞を取った時、それから自分が
ティフォーゾたちのアイドルになっていると知った時などに、
多くの選手たちが「嘘の謙虚さ」を見せます。
本当は鼻高々なくせに、妙に謙遜してみせたりして、
もちろんそんな「嘘の謙虚さ」は、
ぼくらからはみえみえなのですが、
シェヴァの言葉には嘘や作りごとは
感じられませんでした。

ぼくが思うに、
シェヴァは自分がこの賞をとるとは、
本当に思っていなかったのでしょう。
ここ数週間、ひょっとしてシェヴァがとるか?
という気配も、なくはなかったのですが。

実はイタリア政府首相でACミラン会長である
シルヴィオ・ベルルスコーニは、
ヨーロッパ各国の新聞記者たちで構成されている
この審査委員会を左右しようとして、
けっこう早い時期から、ほとんど無節操に
動いていたらしいのです。

ベルルスコーニは11月始めに、こうもらしました。
「もしシェヴァがパロンドールをとれなければ、
 賞そのものの意味がないじゃないか」

まあ、ベルルスコーニの、
ぱっと聞くと興味深いような、
でもあまり意味の無いようなこの発言とは関係なく、
結局はシェヴァが自力で賞を勝ち取ったのです。
彼の数々のゴールそのものが、
ヨーロッパ各地の競技場で賞賛をあびたのですし、
中でも彼の受賞に有利に働いたのは、たぶん
バルセロナでのUEFAチャンピオンズ・リーグの
2試合で彼がマークした、2ゴールでしょう。

息子にバロンドールを捧ぐ。

シェヴァは、
クリスティーヌ・パジクという
素敵なアメリカ人モデルと一緒に暮らしています。
ふたりには息子がひとりいるのですが、
その息子にバロンドールをささげたいと、
彼は言っています。
「彼が大きくなった時に、
 サッカー選手としてのぼくというよりは、
 男として、父親として、夫としてのぼくの姿を
 誇りに思ってほしいんです」



2003年5月28日、
シェヴァと彼のチーム、ACミランは
UEFAチャンピオンズ・リーグに優勝しました。
その数日後に彼はキエフの墓地を訪れ、
ディナモ・キエフの監督で、
シェヴァにとっては
師匠というより父親のような存在であった
名匠ロバノフスキーの墓に、勝利の報告をしました。
2003年9月8日の記事を参照ください)

そしてナンバー7の付いた赤黒の、
UEFAチャンピオンズ・リーグの決勝戦で
シェヴァが着ていたシャツを、
彼にとって父親同然だった師匠の墓にささげました。
その1ヶ月ほど後に生まれた息子に、
今年はバロンドールを、彼は贈ったのです。

この彼の一連の行動からは、
「家族の素晴らしさ大切にする」という人類の伝統に、
彼がしっかりとつながっていることが見えてきます。
この価値観が彼の人生を性格づけていると
言っても良いでしょう。

そんな彼を、どうして愛さずにいられますか?
ひとりの人間としての彼をね。



訳者のひとこと
シェフチェンコにかぎらずイタリア人の名前でも、
よく短くして愛称にします。
デル・ピエロをデルピエとは言いませんが、
名前のほうのアレッサンドロは、一般的には
アレックスとかサンドロとか呼ばれます。
日本では名字を呼び合うことのほうが多いですが、
イタリアでは友人どうしや、職場でも同僚などは
名前のほうを使うことが多いです。
同じ名前が多いので、まぎらわしいことも
ありますけど。
翻訳/イラスト=酒井うらら


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2004-12-13-MON

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