フランコさんのイタリア通信。
アズーリにいちばん近いイタリア人の生活と意見。

ACミラン、チャンピオンズ・リーグ優勝!



ACミランが,
UEFAチャンピオンズ・リーグで優勝しました。
果たされるべきだった雪辱が果たされたのです。
そして今、ACミランはこの勝利を完全なものにするために、
日本でのトヨタカップ
(FIFAクラブワールドチャンピオンシップ)
の時を待つばかりとなりました。

2年前にイスタンブールで行われた
UEFAチャンピオンズ・リーグ決勝戦で、
ACミランが全く信じ難い負け方をしたことを、
5月15日更新の記事でお話ししましたが、
まさにその時の対戦相手だった
リバプールを下しての優勝です。
アテネで行われた今回の決勝戦で2ゴールを決め、
勝利者、そしてACミランの英雄となったのは、
フィリッポ・インザーギでした。

おめでとうインザーギ、カカ、
マルディーニそしてアンチェロッティ!


この勝利の功績はインザーギによるものでありますが、
カカによるものでもあります。
カカは試合後にアテネのオリンピコ競技場の
フィールドにひざまずき、
彼にサッカーの才能を与えた神に感謝しました。
その才能が彼を世界的に有名な選手にしてくれましたからね。

そして勝利の栄光は
アンチェロッティ監督のものでもあります。
この監督は試合前に、
「もし優勝したら、私は禁煙する」と約束しました。
彼は約束を必ず守る人だと思いますから、
きっと煙草をやめるでしょう。
彼は監督として2度めの
UEFAチャンピオンズ・リーグ優勝を果たしました。
優れた知性と良い人間関係を持つ彼が優勝したことで、
人生のひとつの道理が示されたと言えるでしょう。

アンチェロッティはACミランの選手たちにとって、
まず友だちであり、そしてその次に監督なのです。
彼は現キャプテンのパオロ・マルディーニとは
数年間一緒にプレイしており、世界各地で勝利しています。

そしてまさに5月24日の夜、
パオロ・マルディーニは彼の5回めの
UEFAチャンピオンズ・リーグ優勝カップを、
アテネの空に高々と掲げました。
その何年も前の1963年には、
彼の父親のチェーザレが、
やはりACミランのキャプテンとして、
今回の7度めの優勝につながる長い勝利の歴史の
最初のカップを空に向けて掲げました。
当時はヨーロピアンカップと呼ばれていたこの選手権で、
それまでスペインやポルトガルのチームに
独占されていた優勝カップを、
ACミランが初めて奪い取ったのでした。

ミラノじゅうで勝利を祝いました!


さてアテネの夜の翌日、ACミランの選手たちは、
英雄がいつもそうするように、
凱旋パレードをしました。
もちろんミラノ中がこぞって彼らの勝利を讃えました。

ACミランのUEFAチャンピオンズ・リーグ7回の優勝という成績は、
レアル・マドリードに次ぐものです。
けれどACミランの勝利を取り巻くサッカー的環境は、
とても現代的です。
サッカーのテレビ世代と言えるでしょう。
世界中のどこでも同時に、
生中継で見ることのできるサッカーですね。

そしてまさにメディア王でもある
シルヴィオ・ベルルスコーニ会長は、
もちろん自分のチームのティフォーゾ筆頭として
アテネ入りしていましたが、
試合後最初の彼の言葉は
「私たちはヨーロッパで一番強い、そして
 過去にそうであったように世界一になりたいと思う。
 日本よ、私たちを待っていてくれたまえ」
でした。
とても明確な発言です。

クラブチームの世界チャンピオンを決めるトヨタ・カップで、
ACミランはすでに2度優勝しています。
そしてその2回ともに出場したパオロ・マルディーニは、
今回もやる気満々です。
彼はこう言っています、
「ぼくは東京の国立競技場では2回優勝していますが、
 今回は横浜で、2002年W杯の決勝戦を
 闘えなかったあの競技場で勝ちたいと思います」と。

日韓共催W杯からは5年が過ぎたのですが、
パオロ・マルディーニにとって、
時間はぜんぜん過ぎないかのように思えます。

訳者のひとこと
ベルルスコーニ会長は、
ジラルディーノを先発させたかったようですね。
アンチェロッティ監督がインザーギにこだわり、
そして監督の判断が
正しかったという結果になりました。

実はイタリアでは直前に航空会社のストライキがあり、
アテネへ飛行機で向かおうとしていた
ティフォーゾたちが困惑したようでもありました。

衛星中継放送を見たくて、
よその家のアンテナを盗もうとした人もいたようです。
翻訳/イラスト=酒井うらら

2007-05-29-TUE

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