さて、ぼくの夏休みのレポートもこれが最終回です。
ぼくは毎夏、別荘のあるトスカーナの
モンテプルチアーノに来ますが、
ここには、ぼくの親類たちが住んでいます。
親類の中でもいちばんおチビな
アレッサンドロの話を、
きょうは書きたいと思います。
イタリア語には
Padrino(パドリーノ)という単語がありますが、
これは英語でGodfather(ゴッドファーザー)と翻訳され、
マーロン・ブランドの勇壮な演技とともに、
世界的に有名な単語になりました。
イタリア人が幼児洗礼を受けてクリスチャンになる時の、
その式の証人が「パドリーノ」で、
教育上必要とあれば、その子の親代わりになります。
マーロン・ブランドのように優秀でもなければ、
映画「ゴッドファーザー」で哀しくも悪名が高まった
マフィアの習慣も持たず、
これらとは何の共通点も持ってはいませんが、
ぼくもひとりの「パドリーノ」です。
ぼくの目にも心にも
世界で最も素晴らしいもののひとつである
アレッサンドロ坊やの、ね。
ぼくがいつもモンテプルチアーノで過ごす
夏の数週間というもの、
自分が60歳以上も若返ったように感じます。
アレッサンドロと一緒にいると、
彼と同じように考え、彼と同じような
子どもっぽい仕草になっちゃうんですね。
ぼくが初めて彼に会ったのは、
今から2年前の2007年7月のことでした。
ぼくの従妹が、
彼女の家での数日間のヴァカンスに、
ぼくを招待してくれたのです。
そこには彼女の、生まれて8ヶ月の孫もいて、
彼はぼくを見るや、
口より先に目でぼくに微笑みかけました。
ぼくはすぐに、その無垢な眼差し、
その汚し難い子どもらしさがいっぱいの目に、
すっかり魅せられてしまいました。
もちろん彼はまだ口はきけませんでしたが、
その眼差しが千の言葉よりたくさんのことを
語っていました。
少なくもぼくにはそう思えました。
アレッサンドロの祖母にあたる、ぼくの従妹は、
彼をとても可愛がっていましたが、
まだ赤ちゃんの彼が、
皿いっぱいの米料理を食べるのを見て、
ぼくはちょっとビックリしました。
アレッサンドロは、
ぼくには「おデブちゃん」に見えました。
いや、実際そうだったので、
もしこの子が日本人だったら
将来は相撲取りになれるのではないかと、
思ったほどでした。
ぼくの従妹の娘がアレッサンドロの母親ですが、
彼女に
「1年後の洗礼式でパドリーノになって欲しい」と、
ぼくは頼まれました。
そしてその1年後、2008年7月、
ぼくはモンテプルチアーノに4週間滞在し、
アレッサンドロの洗礼式でパドリーノになりました。
アレッサンドロは1年のうちにとても大きくなり、
相変わらず良く食べ、
そして歩くことを覚え始めていました。
2歩進んでは転び、
3歩進んでまた転び‥‥
そして起き上がるたびに、
ニコニコしながらぼくをの方を見るのです。
心配しなくていいよ、
どこも痛くしなかったよと、
ぼくを安心させるかのように。
きっとぼくは、
心配そうに見つめていたのでしょうね。
当時の彼は、babbo(バッボ=パパ)、
mamma(マンマ=ママ)、
nonna(ノンナ=おばあちゃん)、
この3つの言葉が言えました。
そしていよいよ洗礼式の時、
あるカトリック教会の中で
彼は大泣きし、大声で叫びました。
見たこともないくらい大勢の招待客や、
この子をお守り下さいと神に祈る
コーラスの歌声に、ビックリしたのでしょう。
それでも、彼の生まれて初めての
大きな儀式は、無事に終わりました。
そしてこの夏もまた、
ぼくはアレッサンドロに会いに行き、
今年もまた、嬉しいビックリが待っていました。
彼はもう2年前のような赤ちゃんではなく、
去年の、まだ歩くことも話すことも
できなかった子でもなく、
こんなにも可愛く育っていたのです。
アレッサンドロはこの2年間に、
ぼくをテレビで見ており、
そして彼の両親は
「ぼら、見てごらん、
フランコ伯父さんが‥‥‥」と、
そのたびに言っていたようです。
が、この7月始めにぼくに会った時には、
賢そうにぼくを見つめたものの、ぼくが
「ぼくの名前を知っているかい?
ぼくは誰でしょう?」と聞くと、
それには答えずに、興味深そうな眼差しで
微笑んだだけでした。
ちょっと照れていたのかな。
それからの4週間、いっしょに遊び、食べ、
いっしょに野原の草の上をころげまわり、
やがて、ぼくのヴァカンスの終わりの日が来ました。
その最後の日に、ぼくは言いました
「可愛いアレッサンドロ、
ぼくはミラノに戻らなくちゃ。
元気でね」と。
するとどうでしょう、
彼は小さな手でぼくの手を握ると、
か細い、でも心から届いた声で
「いやだよ、フランコ伯父さん‥‥」と答えたのです。
ぼくは、まるでアレッサンドロと同じ
2歳半の子どものように、泣いてしまいました。
こうして、ぼくの夏休みは
感動のうちに幕を閉じたのです。
今年もたくさんの思い出と共に。