マルチェッロ・リッピは非常に優れた監督です。
全てに勝ちました。本当に全てに。
ユーヴェをひきいてのスクデットの数々、
UEFAチャンピオンズ・リーグ、
そしてトヨタカップを勝ち取り、
イタリア代表アズーリとは
2006W杯ドイツ大会で優勝しています。
マルチェッロ・リッピは
勝利監督のアイコンです。
加えてその外見も、まるでモデルのような物腰の
フォトジェニックぶりです。
ジャケットに合わせるシャツの色や
ネクタイを間違えるなんてことは、絶対にありません。
彼は偉大なる成功者なのです。
‥‥にもかかわらず、彼は無愛想で、
イタリア人たちが最も愛している監督とは言えません。
来年の6月、
2006年に勝ち取ったW杯を守るイタリアのベンチに、
彼は座っているでしょう。
イタリアは予選を通過しましたからね。
かように、イタリア人たちから
最も愛されてしかるべきリッピ監督ですが、
今、もっとも感じが悪いと
だれよりも抗議の的になっているのでした。
そもそも怒りっぽくて、
皮肉なジョークを受け入れない人です。
ぼくと彼は30年前からの知り合いですが、
彼と仲たがいしたことがあります。
ある日のあるテレビ放送で、
「リッピはポール・ニューマンに似ている」
と言った人に、ぼくはこう答えました。
「ぼくは1994年にアメリカで
ポール・ニューマンに
インタビューしたことがあるけれど、
実際にはポール・ニューマンよりも
リッピのほうがハンサムですよ。
でもポール・ニューマンの方が
サッカーを分かっていました」と。
これはもちろんジョークだったのですが、
リッピは大いに気を悪くして、
私をからかうな、と言いました。
その後、仲直りするまで、
数年かかりました。
イタリアでは今、アズーリが好かれていません。
その理由をお話ししましょう。
先週のこと、パルマで
とても不愉快なことが起りました。
パルマと言えばオペラの世界では権威があり、
レージョ劇場の観客たちが
歌い手たちを批評することは容易なことで、
この点についてはイタリアのなかで
もっとも手厳しいのです。
オペラの神話であるマリア・カラスや
パヴァロッティでさえ、
パルマではブーイングされたことがあります。
しかし、パルマ市民たちが
何でもかんでも批判する性格だというのではなく、
そこにはちゃんと批判の理由があるわけです。
そんな彼らは9月14日に、
イタリア対キプロスの試合を観に
競技場へ行きました。
その試合は、W杯の予選をすでに勝ち抜けている
イタリアにとって、
重要なものではありませんでした。
しかもキプロスは
ヨーロッパでもっとも弱い組に属する
チームです。
ところが終了前15分、
そのキプロスが2対0で
イタリアを下そうとしていました。
結局イタリアは、最後の数分間に
ジラルディーノが入れた3ゴール、
ハットトリックのお陰で勝つことができました。
しかしパルマの観客たちはブーイングの口笛を
アズーリに向けてならしはじめます。
マルチェッロ・リッピは、
試合の最初のころから
ブーイングされていましたが。
どうもイタリアのティフォーゾの8割がたは、
アントニオ.カッサーノを
代表チームに望んでいるのです。
でもリッピは彼を招集したことがありませんし、
W杯に招集しないのも確実です。
カッサーノはこの2年ばかり、
イタリア人でもっとも優れた選手ですが、
リッピの息子であるダヴィデとケンカをし、
リッピがアズーリの監督をしているうちは
彼は受け入れてもらえないでしょう。
パルマでは、
イタリアの選手たちとリッピに向けられた
ブーイングの口笛とともに、
カッサーノを求める声も聞こえました。
キプロスを負かすことのできた
ジラルディーノの3ゴールは、
明らかにリッピの気持をかきたて、
試合後にリッピは観客たちを激しくののしりました。
彼はテレビのマイクに向かって
「観客は恥じるべきだ、
W杯に勝利したチームをその価値通りに
認めて支えることが必要なのであって、
逆に誰かをブーイングするような人は
競技場に来るべきではない。
働きに行くべきだ」と叫んだのです。
新聞やテレビはおおっぴらに
リッピを批判しました。
そして彼はいきなり
最も感じの悪いイタリア人になってしまいました。
その時点では反感を買うものだったので、
イタリアのフェデレーションはその後、
リッピの発言についての謝罪を、
ファンたちに向けて正式表明しました。
これで、アズーリが南アフリカへ出発する日まで、
リッピ監督は今から延々と
ハードな日々を送ることなったわけです。
カッサーノは、それを楽しみながら、
そしてイタリアの負けを待ちながら、
眺めていることでしょう。
「イタリアの負けを待つ?
そりゃあ、ぼくを呼ばないから
アズーリは負けたのさ」って、
きっと、言いたいでしょうからね。