ほぼ日刊イトイ新聞 フランコさんのイタリア通信。アーズリにいちばん近いイタリア人の生活と意見。

2009-10-27-TUE

パトの素晴らしい夜。

franco

アレシャンドレ・パトが、
今までの人生でもっとも素晴らしい夜を迎えました。

10月21日水曜日のこと、
彼はマドリードのベルナベウ競技場で
幸せの涙を流しました。
こんなことは2年ぶりです。
そう2年前に横浜の競技場で、
当時世界一の選手だったロナウジーニョと戦い、
トヨタカップに勝利した時以来の、歓喜の涙です。

さらにその前年の2006年12月には、
彼はまだ17歳になってから
数ヶ月しかたっていませんでしたが、
ブラジルはポルト・アレグレ市の
SCインテルナシオナルでプレイしていました。
その後、ACミランが彼を購入し、
その年のカンピオナートで、すでに、
大きな素質を示しながら健闘したのです。

しかし、この10月21日にはさらに、
サッカー界のどの「太陽」よりも
まぶしい輝きで、彼は炸裂しました。
今回も2年前の横浜の時と同様に、
彼のアイドルの一人であり、
夏にACミランからレアル・マドリードに移ったカカを
打ち負かした勝利です。

洗練された2ゴールを入れただけでなく、
試合全般を通しての彼の一連のプレイを、
サッカー界は高く評価し賞賛しました。

試合の後、パトは泣きました。
まるで汚れの無い子どものような純粋な顔になって。

サッカー選手として始まりのことを聞かれた彼は、
言いたいことは沢山あったのでしょうが、
4歳から、ブラジルの多くの子どもたちと同様に
サッカーを始めたと、言うにとどめました。

じつは彼は、大きな試練を超えてここまで来たのです。

骨の癌を克服して。

片腕を骨折する10歳まで、
彼はサッカーを続けていました。
そして骨折のために
病院でレントゲン撮影をした時、
医者たちは彼の骨に不審な影を見つけ、
さらに綿密な検査をしました。

その影は恐ろしい「骨の癌」でした。
そして彼に、腕の切断という診断が下されたのです。

しかし一人の医者が、切断の必要はない、
特別な治療で大丈夫なはずだと言ったことで、
彼の運命は大きく変わります。
パトはその治療を受けて治り、
2年後にはサッカーに戻りました。
彼は次世代の非凡な選手であると噂され、
書き立てられるようになるまで、
さほど時間はかかりませんでした。

彼の二人のアイドルの一人である
ロナウジーニョとACミランで一緒にプレイしながら、
もう一人のカカのいる
レアル・マドリードを下した試合の後、
必ずしも幸せではなかった幼少期を
彼は思い出していたはずです。

franco

友人たちには
「サッカーが、ぼくの救いだった。
 子ども心にも再発が怖かったけど、
 14、5歳までは大丈夫だろうと思っていた。
 サッカーのボールを蹴ることが、
 薬より良かったんだ」と、
彼はもらしています。

franco

横浜で、会いましょう。

でも彼は今、幸せです。
妻もいて、彼はまだ20歳ですが
子どもを欲しがっています。

「妻と子どもを持つことは人生を変えます。 
 結婚したことで、ぼくは実際の年齢より
 ずっと成熟していると感じます」
と彼は言います。

そうは言ってみても、
ピッチに足を踏み入れた途端に、
彼は少年にもどるんですけどね。

「イタリアのカンピオナートは世界一険しいし、
 ACミランが優勝するのは難しいと思っています」
彼はこうも言いましたから、
なかなかクールな面もあるようです。

そして彼は、こう続けました、
「でもUEFAチャンピオンズ・リーグでは、
 ACミランには、レアル・マドリードに次ぐ
 2位の勝率の伝統があります。
 今回そのレアルに勝利したのは、
 素晴らしいことでした。
 ぼくらの力を、
 ぼくら自身に分からせてくれましたから。 
 UEFAチャンピオンズ・リーグではがんばれる。
 そして横浜という、
 ぼくにとって幸運な街で、
 また新たな夢を実現させられると思います」と。

franco


訳者のひとこと

癌を乗り越えて、
自分の憧れの人と同じ空間にいるだけでなく、
勝利までしてしまう‥‥幸せでしょうねぇ。
同じ病気の子どもたちにとっても、
心強いことでしょう。

サッカーのボールを蹴る方が
薬より効く、
これはあり得ると思います。

うららさんイラスト

翻訳/イラスト=酒井うらら



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