UEFAチャンピオンズ・リーグでは、
イタリアの3チームが決勝トーナメントに進出しました。
まさに前回と同じ流れです。
でもサプライズにはこと欠きません、
デル・ピエロのいるユヴェントスのまさかの敗退から、
ACミランとインテルも
決勝トーナメント進出を決めたのは、
最後の試合だったことまで。
そんな中で大いに喝采をあびたのは、
ヨーロッパの強豪のひとつである
リヴァプールを破って勝ち残った、
フィオレンティーナでした。
もちろんACミランやインテルも
喝采を受けましたが、
インテルの予選リーグ最終戦である
対ルビン・カザニ(ロシア)は、
一方でモウリーニョ対モラッティの、
もう一方でモウリーニョ対バロテッリの
論争を爆発させました。
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騒動をおこした張本人はモラッティ? |
マリオ・バロテッリは、
モウリーニョがインテル監督に就任してから、
ミリトやエトーの故障時を除いては
レギュラーの席を取れないでいました。
ところが対ルビン・カザニ戦では、
自身が最高の才能を持つ
若いイタリア選手であることを
決定的に示したのです。
彼は、ラインぎりぎりから踵で放った
みごとなパスでエトーのゴールをアシストし、
その後、自分も、
2対0の勝利の決め手となる決定的なゴールを、
30メートル近く離れた場所から入れました。
これはインテルにとって、
決勝トーナメントを賭けた試合でしたから、
リスクを避けるためには、モウリーニョも
試合の最初からバロテッリを出さざるを得ませんでした。
たぶんその決断の後ろには、
モラッティ会長からの圧力もあったでしょう。
モラッティは、バロテッリは守るべき宝であり、
彼にこそ、ついに偉大なインテルの
未来を託せると信じていますから。
対ルビン・カザニ戦の3日前、
カンピオナートの試合ですが、
インテルはトリノでユヴェントスに負けました。
そしてバロテッリは、
すでに負けが見えていた最後の10分ほどしか、
プレイさせてもらえませんでした。
モラッティはこのことに怒り、
翌日、こう言っています。
「バロテッリはインテルに不可欠な
並外れた選手であり、
彼はモウリーニョ監督との
相互理解の努力が必要だ、
監督も同じように理解につとめる必要がある」と。
モラッティはここのところ、
6月からインテル監督をつとめる
モウリーニョを解雇すると決めており、
すでにローラン・ブランと合意しています。
ブランはインテルでプレイしたこともあり、
フランス代表の選手として
1998年のW杯フランス大会と
EURO2000に優勝し、
現在はボルドーの監督です。
60年代に世界で勝利していたころのインテルで、
たぶん最も重要な選手であった
サンドロ・マッツォーラも、
対ルビン戦の前に
「モラッティは
モウリーニョを解雇するだろう」と言っています。
ルビンに勝つことで
ことはいくぶん鎮まるかに思えたのですが、
勝利試合の後、モウリーニョ自身が、
バロテッリとモラッティについて重い発言をしました。
「バロテッリは良いプレイも悪いプレイもした。
私がシーズンの終わりにはインテルを去るかって?
もちろん私が他のチームに行くことに問題はない。
私はモウリーニョであり、
自分が適切と思うところへ行く」
彼は、そう言い放ったのでした。
また、全ての新聞が
勝利の功績はバロテッリにあるとしたことも、
モウリーニョには気に入りませんでした。
「彼にプレイさせると決めたのは、この私だ、
私の選択が報われたのだ」と、
後日に語っています。
▲上段「ユーヴェ、フェッラーラが崖っぷち」
真ん中「これがバロテッリのインテルだ」
その下「なんというフィオレンティーナ!」
その一方でモラッティ会長は、
この19歳のとんでもなく優れた選手を絶賛しました。
「バロテッリは立派だった、
イタリア代表チームに呼ばれるに値する。
彼はアズーリのシャツを着るべきだ」と。
まったく、インテルというのも不思議なチームです。
チームとして、
まちがいなくカンピオナートの首位にあり、
UEFAチャンピオンズ・リーグでも決勝リーグに進出、
それでなお日々これ論争の嵐が‥‥。
モウリーニョは優秀でしょうが、
モラッティは契約期限よりずっと手前での
解雇を決めています。
リッピ、シモーニ、そしてマンチーニの時と
同じことをくり返そうとしていますね。
そこでインテルのティフォーゾたちを
悩ます問題はこういうことになるのです。
「しかしインテルには、
いったいいつ平和が来るのだ?」