第93回全国高等学校野球
選手権大会

第93回全国高等学校野球選手権大会は
西東京代表、日大三高の優勝で幕を閉じた。

思えば、ぼくは神宮球場で行われた
西東京大会の決勝戦をテレビで観戦していた。
観ているうちにぐいぐい引き込まれたその試合は、
いわゆる、どちらが勝ってもおかしくない接戦で、
日大三高は2対1という僅差で早稲田実業をくだし、
西東京代表の座を勝ち取った。

けっきょく、
日大三高はそれから一度も負けることなく、
全国の頂点に立ったことになる。

8月20日、日大三高と光星学院の決勝戦を、
甲子園に観に行こうかとも思ったのだけれど、
この夏、あちこちを飛び回って
あまりにも家族と過ごせてなかったので
家で過ごすことにした。

試合がはじまる時間を勘違いしていて、
テレビをつけたらすでに大差だった。

スコアブックをつけるつもりもなく、
「観る」というよりは「見届ける」つもりで
ぼくはテレビの前にいた。
甲子園へ通っていたころの張り詰めた気持ちではなく、
夏の最後の坂道をゆっくりと
歩いて下りていくような感じだった。

それで、変な言い方だけれども、
その試合の終盤にすでに大差がついていて
ぼくはすこし、ほっとした。
どちらの高校が勝っているからというわけではなく、
一球一球に鼓動の緩急をゆだねる覚悟のようなものが
そのときはなかったのだ。

とはいえ、観ているうちに
条件反射のように気持ちは高まり、
難しいバウンドのゴロを
鍛えられた内野手がさばくときなどは、
うまいっ、と短く叫んで
子どもたちをびくっとさせることになったけれども。

野球のルールをまだよく把握しない長男は、
11も得点が刻まれたことをめずらしがっていた。
もっと奥の方にあるたのしさを見つけてくれると
父親としてはたいへんうれしいのだけれど、
無理をすると逆効果になるし、
下の子には、すでにちょっとそういう傾向がある。

親がなにかに夢中になりすぎると、
子どもたちはそれを疎んじる。
身をもってわかってはいるけれど、
できれば子どもたちとそれを共有したいという
勝手な思いを
完全に抑えることはけっこう難しい。

『はなかっぱ』が観たい、という下の子を
なだめつつ、ごまかしつつ、最後のイニングを見守る。
11点の差が縮まることはどうやらなさそうだ。
東北の悲願がまたしても果たせなかったのは残念だけど、
両チームを、かけがえのない達成感が包むだろうという
安心感のようなものがぼくにはある。

最後の打者は背番号12。
この夏、最初で最後の打席。
日大三高の吉永くんがツーストライクと追い込む。

真っ直ぐで終わりたいだろう、と、
ついぼくは口に出してつぶやく。
下の子を膝にのせて、居間のソファの上で。

最後の直球は145キロ。
大きく高めに外れたが、
背番号12は、なんとしてでも振る気だった。
それはじつに正しい決意だ。
金属バットは空を切り、
カメラは投手のガッツポーズをとらえ、
ぜんぶの夏が終わった。

すべての高校の夏が、ここにつながっていた。
その頂点に立つというのは、
ほんとうにものすごいことだ。
日大三高に、そして光星学院に、
尊敬の気持ちを込めた拍手を送ります。
おめでとう、日大三高。
おめでとう、光星学院。

今年の甲子園は、ほんとうにおもしろかった。
以前もそう書いたけれど、
データ的にもそれは裏づけられていたようだ。

延長戦は歴代最多タイとなる8試合。
サヨナラゲームも7試合におよんだ。
この夏、9回に何度ドラマを観たことだろう。

個人的には、
ああ、このチームはいいな、と思うと、
その高校が負けてしまって、
つぎつぎに新しく好きなチームができる、
というような大会だった。

歓喜の輪を見届けて、閉会式を観ることはあきらめる。
約束通り、録画した『はなかっぱ』を観る。
8月20日、土曜日。夏休みの昼。

スポーツのなかで
とりわけ野球が好きな理由はなんだろうとよく考える。

個人的な結論のひとつは、
野球が「祈れるスポーツ」だということである。

野球では、しばしばプレイが止まる。
一球一球のまえに、選手だけでなく観客にとっても
集中をうながすインターバルがある。

そこで、観る側は、
こうなってくれ、と祈ることができる。
ほかのスポーツでもできなくはないけれど、
こんなに細かく、具体的に、随所で、
こうなってくれと祈れるポイントのあるスポーツは
野球以外にそんなにはないとぼくは思う。

そのとき、「祈り」は、
具体的であれば具体的であるほどいい。

たとえば、「勝て」よりも、
「打て」のほうが観る側を高める。
「打て」よりも「初球を引っ張れ」のほうが
より祈りは具体的で、
しかもその結果はいちいち祈った直後に出る。
結果を受けて、観る側はまた新しく具体的に祈る。
そのように祈りながら、試合は終わりへ近づいていく。
終わりが近づくことで、祈りはより具体的になっていく。
それが、ぼくにとっての野球を観るおもしろさだ。

言い方を変えると、
具体的に祈れるようになることが、
野球をおもしろく感じることのプロセスである。

たとえば、3点差で負けているときに、
バッターボックスに入る打者に対して
漠然と「ホームランを打て」と祈るのは、
あまり具体的ではない。

なぜなら、それでは1点しか入らない。
そのつぎの打者にも、そのつぎの打者にも
「ホームランを打て」と祈り続けるという理屈も
あるのかもしれないけれど、
なんというか、それじゃあまりにも闇雲である。

そうではなくて、「勝て」と願うにあたり、
そこへつながるプロセスを、そのときどきで、
正しく、具体的に、祈れるようになると、
野球は(それ以外のスポーツもそうだと思うけれど)
ものすごくおもしろくなる。ほんとですよ。

3点差で負けている最終回では、
まず「先頭打者、出ろ」と、
心から祈れるようになると、野球はおもしろい。
そして、どうにか、祈りが少しずつかなっていって、
「一発出れば同点」という場面がようやく訪れて、
ついに「ホームランを打て」と祈れるようになると、
もう、そういうふうに祈れるというだけで、
おもしろさの半分以上は享受しているといえる。

そう、2点を追った聖光学院の
九回裏のツーアウト満塁の場面のように。

「具体的に祈れるようになるというだけで、
 願いはもう叶いかかってるんだ。」

これは、糸井重里が以前書いたことばで、
ぼくがくどくどと書いた野球のおもしろさも、
煎じ詰めればこのひと言で済む。

そう、具体的に祈れるというだけで、
いろんなことはすでに叶いかかっていて、
それこそがぼくらの生きる手応えとなる。
最終的に、それがぎりぎりのところで
叶おうと、叶うまいと、
その頂に向かう最後の坂道のところに、
きっとぼくらの手応えはある。
行く道のてっぺんに最後の青空がちらと見えた瞬間に、
ある意味でその人はもう報われている。

だからこそ、
負けて悔いがないと断言できる笑顔があるのだし、
坂の向こうに青空を見られなかったときの
具体的な悔いもあるのだと思う。

具体的に、甲子園出場を祈るチームもあるし、
具体的に、全国優勝を祈るチームもある。
具体的に、地区予選での一勝を祈るチームもあるし、
具体的に、予選への出場を祈るチームもある。

そして、今年の福島の夏が特別だったのは、
「野球ができること」自体を
具体的に祈った人々がたくさんいたということだ。

福島について、考えることは難しい。
それは、言いかえると、
具体的に祈ることが難しいということだと思う。

壊れた街が復興へ向かって進むとき、
そこには具体的な祈りがあり、
それが叶う喜びの予感とともに
困難に立ち向かう情熱が生まれるのだと思う。

でも、福島については、具体的に祈ることが難しい。
思えば、この夏がはじまるまえに、
ぼくはそんなふうに思っていたのだと思う。

けれども、いま、少し、ぼくは違う。

ぼくは、この連載をはじめるときよりも、
わずかであるけれども、
具体的に祈れるようになっている。

誰かの考えを鵜呑みにするのでもなく、
自分の身に余る使命感を背負うのではなく、
ふつうの実感として、
具体的に思うことがいくつもある。
それは、現状の福島を好転させるような
すばらしい祈りではない。

けれども、その祈りはぼくにとって
まちがいなく具体的なものだと断言できる。

たとえばぼくは、
「先頭打者、出ろ」と祈るように、
飯舘村で保護した「むすぶ」の
首の傷が癒えればいいなと思っている。


たとえばぼくは、
「きっちり送れ」と祈るように、
あの切ない洗濯物が取り込まれればいいなと思っている。

たとえばぼくは、
「スクイズっぽいから外したほうがいい」と祈るように、
急に散り散りになってしまったクラスメートたちが
同じ場所で同じ時間を過ごせるように
なればいいのにと思っている。


そして、1ヵ月前よりは、より具体的に、
こんなことがくり返されてはいけない、と思っている。

そんなことは当たり前だし、
そのためにどうすればいいかは
あいかわらずわからないけれども、
ぼくは、部屋でもやもやと未来を考えていたときよりも
はるかに強く、実感として、
こんなことがくり返されてはいけない、と思っている。

警戒区域での移動中に、
ぼくは後部座席でうとうとしていた。
ぼくが取材を兼ねて参加していることを
知っている友森さんたちが気を遣ってくれて、
永田さん、撮りますか、と言って
ほんのちょっとだけ車を停めてくれた。

福島第一原子力発電所。
もしもそこに近づいたら、
自分はなにを感じるのだろうと思っていた。

感覚はにぶく、具体的な思いは生まれなかった。
なんというか、それはやっぱり風景だった。
ただ、写真を撮ろうとしたときに、
反射的に窓を開けることを考えて、
あ、だめだ、と思った。
そのときの精神的な息苦しさは忘れがたい。

経験した福島の特別な夏は濃密で、
まだそれらは自分のなかに
生々しく、ぐずぐずとあり、
ぼくはそれを抱えたまま毎日を過ごしている。

大事なことは、この夏のはじまりに、
わからないながらも
具体的な一歩を踏み出してよかったと
心から思っていることだ。

その夏も終わろうとしている。
来週、8月の終わりに、最後の挨拶をして、
この、どうなるかわからないながらも続けてきた
不思議な連載を終えたいと思います。

(次回が最終回です)



2011-08-25-THU