警戒区域 その2

長く甲子園の大会を見続けている人なら
きっと同じように感じているんじゃないかと思う。

今年の甲子園は、とりわけ見応えがある。

熱戦が続く。接戦が多い。もつれる。
終盤のドラマ。延長戦。サヨナラゲーム。

もちろん、どの大会のどの試合も、
それぞれに劇的なのだけれど、
どうにも今年は目が離せない試合が多い。

聖光学院を破った金沢高校は
習志野高校に2対1で敗れた。
釜田くんはあいかわらず
すばらしいピッチングだった。
そして、桜吉くんという選手は
ほんとうにいいトップバッターだと思う。

いま、甲子園は準々決勝。
山間に湧いたキラキラ光る小さな流れが
何本も何本も集まって
大きな川となって海へ向かうように、
この夏、ぼくが目撃してきたぜんぶの高校の思いは
習志野高校に受け継がれている。

取材をしてはじめて知ったことのひとつは、
ゲームセットのあと、校歌斉唱をもって
両チームのやり取りが終わるわけではないということ。
応援団はかならずエールの交換をする。
そしてベンチと控え室の掃除を終えた両チームは
球場の外に集まって並び、千羽鶴などを受け渡す。
そこには、試合直後にはない、笑顔がある。
託すほうにも、受け継ぐほうにも。

そのようにして対戦はくり返され、
夏を終えたチームは
まだ夏を続けていられるチームへ
千羽鶴だけでなく、いろんな思いを託す。

スキー部員が活躍した南会津も、
最終回の最後の打席に最初のヒットとなる
最初のホームランが飛び出した相双連合も、
監督が長く長く応援席に頭を下げていた小高工業も、
笑顔の消えた投手に思わずキャッチャーが
駆け寄った須賀川高校も、
九回表にしぶとく同点に追いついた日南学園も、
いまはぜんぶ、習志野高校に受け継がれている。

思えば、すごいシステムだなあと思う。

聖光学院の夏の終わりとともに
終わるつもりでいたこの記事は、
ぼく自身にとってもちょっと意外なことに
まだこうして続いている。

構成を担う編集者としては、
すっと終わったほうが理想だとわかっている。
けれども、考えながらゆっくりと起ち上げた
このコンテンツは、
どうやら理想的なラインから
不格好にはみだす放物線を描いて
どこかに着地しようとしている。

完全に他人事みたいにしていえば、
律する編集者としての視点より、
まだちょっと書いておきたいことがあるという
現場からのわがままな声のほうに力があるみたいだ。

ああ、ここで終わればきれいなのにな、
と思う映画や漫画をいくつも挙げられるけれど、
それは、こんなふうにしてできるのかもしれない。

いくつか書いておきたいことのひとつは、
警戒区域内でのこと。
信号の消えた風景の、つづき。

福島第一原発から20キロ以内に
取り残された動物たちが餓死しないよう、
エサと水を補充する。
立ち入りの許可を得て活動を続けている
ミグノンの友森玲子さんの車に
ぼくは同乗させてもらっていた。

誰もいない街。ひび割れたままの道路。
暑い日で、防護服を着ているだけで汗だくになった。

東京で水とフードをたっぷり積んだ車は、
ポイントごとにエサと水を補充しながら、
警戒区域内を移動していた。
ハンドルを握るカメラマンの山内信也さんは
警戒区域内での活動経験があり、
滞りなくエサやりのポイントを巡っていく。

ときどき、猫を見かける。
いま警戒区域内にいる猫は、
よほどのことがない限り、
保護することはむつかしいので
エサと水を絶やさないようにするしかないと
友森さんは言った。

たしかに、猫たちは、
車を見かけるとすぐに逃げてしまう。
降りて呼びかけようにも、
こちらは真っ白な防護服を着ている。
たしかに、異様だ。
用心深い猫が逃げてしまうのも無理はない。

突然、ちょっと止めて、と友森さんが言った。
降りた友森さんが路地へ入る。
何かを見つけたのだろうか。
エンジンを切って、ぼくと山内さんも車から降りる。

誰もいない街。崩れたままの建物。
時折、セミの声。遠くから犬の声。
落ちた瓦が散在したままの路地を友森さんは進む。

ときおり友森さんは立ち止まり、
なにかを探しているように当たりを見回す。
何を探しているのだろう。
人の気配の消えた街には、奇妙な静寂がある。
セミの声。遠くから犬の声。

──犬の声?

聞こえる? と友森さん。
聞こえます。もっと向こうだ。

街にいて、遠くで犬が吠えているのは
当たり前のことだけれども、
警戒区域内でそれは普通ではない。
ぼんやりしているぼくは、ぜんぜん気づかなかった。

もう1本向こうの道かな、と言いながら
友森さんは路地をどんどん進む。
吠える犬の声が、次第に近づいてくる。
つまり、犬は、ひと所にとどまって吠えている。

まさか、つながっている?
それはないと思うけど、と友森さん。


いた。


赤い首輪をした犬。
やせている。
敵意のある吠え方だ。


友森さんがエサを置いて犬を呼ぼうとする。
犬は逃げない。けれども、近寄っても来ない。

山内さんが回り込む。
やはり、犬は逃げない。
一定の距離を置いて、
ぼくらに向かって吠え続けている。

まるで、奇妙な出で立ちのぼくらを
そこから追い払おうとするかのように。
どういうことなんだろう。

「たぶん、子犬がいる」
友森さんが言った。

ぼくは、びっくりしてしまう。
こんなところに、子犬が?

垂れた乳房の状態を見て、
授乳中だと思うと友森さんは言った。
そうか、それでこの犬は、
この場所から立ち去らず
ぼくらを追い払おうとしているのだ。

なんていうことだろう、と、
一瞬、考えがあふれそうになる。
けれども、それよりもいまは、
はっきりとやることがある。

子犬を探すのだ。
この炎天下、エサも水もままならないなかで、
いつまで生きられるかわからないから
と友森さんが言う。
そのとおりだ。子犬を探すのだ。

こんなところに取り残された犬が、
こんなところで子犬を生んで、
こんなところでどうするのだろうと、
かなしいことを考え続けずにすんだのは、
子犬を探さなくてはいけなかったからだ。

少し申し訳ない気もしたけれども、
犬が子どもを生みそうな屋根のある場所、
そのあたり一帯の庭先にぼくは足を踏み入れた。

そして、その庭先の風景に、
あまりにも生活感があって、
ほんとうに、なんの準備もしないまま、
人々はここを出て行かざるを
えなかったのだということがわかって、
ぼくは途方に暮れそうになる。

たとえば、釣りの道具が広げられていた。
たとえば、栗が干されていた。
たとえば、ゴミがまとめられていた。
たとえば、ヘルメットが無造作に置かれていた。

軒下に、洗濯物が干されている。
子ども用の長袖の服。
たとえそこに誰もいなくても、
風が吹けば、洗濯物はくるくると回る。
回っている洗濯物がとても切なかった。

けっきょく、子犬は見つからなかった。
エサと水をたくさん置いて、ぼくらは車に戻った。
つぎに来たときに子犬を探さなきゃと友森さんは言った。
そういうリストを、
ほんとうにきりがないくらいたくさん、
友森さんは抱えているはずだ。

誰もいない街に、蔦は這い、葉は茂る。
まるで人がいなくなってできた街の隙間を
緑が埋めようとしているかのようだ。

いま考えてはいけないと思う。
けれども、当たり前なようで
当たり前ではない奇妙な風景を見ていると
行き場のない考えがあふれだしてしまう。









あるポイントで、水を大量に補充しているとき、
小さな甲虫が飛んできて、
作業するぼくの膝にとまった。
小さな虫は防護服の上をしばらく這ったあと、
調子を確かめるように薄い羽根を何度か出し入れし、
やがて、ぶーんと飛んでいった。

情けないことに、
作業中、軽い熱中症になったみたいで、
しばらく後部座席に寝転んでいた。

頭がぐるぐるした。

気づくと、検問。
警戒区域を出る。

検問で書類を提出したあと、
保健所でスクリーニングを受ける。



身体のあちこに計器を向けられ、
数値をチェックされる。
まったく問題ありません、と言われて
やはりホッとする。

そのあと向かったのは、
覚えのある動物病院である。


あの日、甲子園にもたらされた知らせのとおり、
彼の首に巻き付いていたロープは
獣医さんの手によってきれいに取り除かれていた。

ああ、よかった。
荒かった呼吸も治ってるみたいだ。
ほんとによかった。

さぁ、行こう。
彼は、しばらくシェルターで暮らすことになる。
首の傷が癒えたら、譲渡会で、
里親さんとの出会いを待つ。
ハンサムだから、すぐもらわれるんじゃないかな、
と友森さんは言う。

うん、そういわれてみると、
彼はなかなかいい顔をしている。

動物病院の待合室にはテレビがあって、
映っていたのは甲子園だった。
精算を待つあいだ、
つい点差とイニングを確かめてしまう。
ええと、どういう経緯で
自分はここにいるんだっけな。

帰り道、被災者の方から猫を一匹あずかって、
この日の予定はようやくすべて終わる。
サービスエリアで食事をして、
千葉のシェルターに寄って、
東京に着くころには、やっぱり深夜になりそうだ。

着くまでに、彼に名前をつけてください、
とぼくは友森さんにお願いした。

一日が終わるころ、友森さんは彼に、
「結(むすぶ)」という名前をつけた。

首に結ばれていたロープにちなみつつ、
出会いやつながりを感じさせる
とってもいい名前だと思う。

(終わりどきを考えながら、つづきます)



2011-08-18-THU