聖光学院対金沢

終わりは急にやってくる。
こんなに急に終わりがやってくるなんて、
思ってもみなかった。

自分が冷静なつもりはなかったけれど、
こうまで思い込んでいるとも思わなかった。
最後の最後の瞬間まで
なにかが起こると信じていた。

そう、残り時間という概念のない
野球という競技では、
最後の最後まで勝利を願うことができる。
「奇跡」とも呼びたくない。
あくまでも、「勝利」を、
終わるその直前まで、
観るぼくらは願うことができる。
ぼくが、野球という競技を好きな理由のひとつである。

9回裏、2点を追って。

先頭の斎藤湧貴くんが三遊間を破って出る。
最終回、願いをかけたイニングで、
先頭打者がヒットで出る。
もう、それだけで、甲子園の醍醐味のひとつだ。
背中がびりびりとしびれる。

つづく七番バッターは、
背番号14の佐藤くん。
福島大会でもほとんど出番はなかった。
起用に応えて、前の打席では
センター前ヒットを打っている。

うまく合わせたが、
ショートへのハーフライナーになった。
ワンアウト。

ピッチャーの歳内くんが打席に入る。
ここまで、4点取られたとはいえ、
14個も三振を奪っている。
とくに、2回から4回にかけての
6者連続三振は圧巻だった。

打順は下位だけれども、
歳内くんは打撃にも非凡なものを持っている。
勝負所、集中したときの打席はとくに期待できる。
1回戦、日南学園戦でのサヨナラヒットも記憶に新しい。

快音。三遊間を白球が抜ける。
興奮が背中から頭のてっぺんへ突き上げる。
ワンアウト、一二塁。

金沢高校のベンチから伝令が飛ぶ。
マウンドに集まる内野陣。
三塁側の応援席では黄色いメガホンが揺れる。
奇跡ではなく、勝利をイメージしている。

打席には遠藤耕平くん。背番号16番。
福島大会では打撃成績がない。
つまり、この夏、最初の打席。

マウンドには、金沢の豪腕、釜田くん。
最速152キロのストレートを誇る。
おそらく、今大会最速のピッチャーだろう。

三振。145キロ。ツーアウト。

とうとうツーアウトになった。
あとひとり、アウトになれば、試合は終わる。
けれども、そのイメージをぼくは、
なんというか、押しつぶしている。

そういうことではない、と。
むろん、理屈ではない。
人がなにかを強く願うときに、
根拠はまったく重要ではない。

打順はトップに戻り、斉藤侑希くん。
3年生。左打席。
なんでもできるバッターだ。
何度も期待に応えてくれたバッターだ。


ツーボール。
午後6時。
甲子園球場にはすでに照明が入っている。


打て。つなげ。まだまだ。
こめかみを、血が走る。
ファウル。フルカウント。


釜田くん、渾身の一球は高めに大きく外れた。
フォアボール。
出た。つないだ。
つまり、満塁。





打席は中村くん。
一回戦でサヨナラのホームを踏んでいる。
安定したサードの守備が、
何度チームをすくったことか。
今日も5回にレフトへヒットを放っている。



9回裏。4対2と金沢高校リード。
2点を追う聖光学院の攻撃。
ツーアウト、満塁。
一打出れば、同点。
長打が出れば、逆転サヨナラの場面。

記憶はスローモーションだ。
合わせた感じの打球だった。
鈍い音が響き、一二塁間へ転がる。
セカンドがバウンドに合わせて腰を落とす。
グローブを下からあてがう。
右手を上から添える。

一塁ランナーとやや交錯する。
が、完全に重なるわけではない。
なにしろ、二塁手はそういったケースに慣れている。
夏の甲子園の二回戦だ。
これまでいくつのセカンドゴロを
さばいてきたと思っている。

間に合うタイミングだと身体が覚えているから、
無理につっこまない。
待って、ゴロを捕球する。
右手で握り直して一塁に送る一連の動作は
生活の一部のように染みついている。

ヘッドスライディング。
終わりを意識したのは、どのへんだろう?
いま、じっくりと、思い返してみると、
二塁手の桜吉くんが腰を落としたあたりかもしれない。

そう、ヘッドスライディング。
俊足の中村くんが一塁へ滑る。
その両手が一塁ベースへ着くとき、
一塁手は格別の達成感に包まれて
すでにホームへ向かっている。

ああ、とぼくは思う。

こんなところで終わるつもりじゃなかった。
自分がなんのつもりかわからない。
どういうつもりでいたのかわからない。
けれども、ただただ、ぼくは思う。
こんなところで終わるつもりじゃなかった。

おかしな話だと思う。

立ち上がった中村くんは、少し怒っていた。
なにも持ってない拳を地面に向かって振り下ろして、
凡退したその打席をしっかり悔やんでいた。
呆然でなく、満ち足りてなく。
そう、彼も終わるつもりはまったくなかったのだ。

整列へ向かう選手たちを撮った写真に
聖光学院の背番号3が写っていることにぼくは気づく。
キャプテンの小澤くんだ。
この試合、小澤くんが一塁コーチを務めていたことに、
ぼくははじめて気づく。

今日、彼は先発を外れた。
どういう気持ちだったろう。
結果的に最後となった試合で、
キャプテンの彼は先発を外れ、
何人かの控え選手が試合に送り込まれたものの、
けっきょく、最後まで出番はなかった。

きれいなユニフォームのままで、
小澤くんが列の先頭に並ぶ。

じつは、小澤くんは、この春まで、
副キャプテンを務めていた。
キャプテンは歳内くんだったのだ。

斉藤監督にうかがって知った。
ピッチャーの歳内くんは、
どちらかというと繊細なところがある。
彼を投球に集中させるために
斉藤監督はいくつか手をうっている。

非凡な打撃センスを当然知りながら
下位を打たせているのもそのひとつだろう。

キャプテンを小澤くんに任せたのも、
歳内くんの負担を少なくするためだと思う。
もちろん、小澤くんに
その力量があってのことだとは思うけれども。

キャプテンを務める人の負担が軽くないことを、
この夏、たくさんの取材を通してぼくは知った。

たとえばキャプテンは、
試合前の大事な時間にメンバー表を提出し、
相手のキャプテンとジャンケンをして攻守の順番を決め、
主審からの注意などをしっかり聞かなくてはならない。

試合後は長く取材を受ける。
とくに、彼は福島の代表校のキャプテンだから、
震災についての微妙な質問に
何度となく答えなくてはならない。

予選から観ていたぼくには、
打席での彼がつねに進塁打を心がけていた印象がある。
バントも多かった。
この夏、予選から通して彼のヒットは3本。
レギュラーのなかではもっとも少ない。
ほんとはもっとのびのび打てる選手なのかもしれないと
ぼくは勝手に思ったりした。

大会中、キャプテンに笑顔は少なかった。
優勝旗を返還するときの厳しい表情のまま、
彼は夏を終えようとしている。
それは、福島県大会を5連覇した
聖光学院のキャプテンという務めの重さかもしれない。
せめて、終わりに解放の安堵が、
わずかでも訪れることをぼくは願う。

聖光学院、たとえば、その機動力。
福島大会決勝戦での二度にわたる三盗。


聖光学院、たとえば、その集中力。
スコアリングポジションに走者を置いたときの確実性。
けっきょく、この夏、聖光学院には
ホームランが1本しかない。
あとは、すべて、つないで得点をとってきた。

聖光学院、たとえば、その守備力。
甲子園で乱れたのがほんとうに残念だったけれども、
微妙な球際の判断や、徹底したカバーなど、
記録に残らないすばらしいプレーがいくつもあった。

そして、やはり、歳内くんのスプリット。
この夏、彼はじつに90個もの三振を奪った。
そのほとんどを目撃できたことを幸運に思う。
そして、その決め球を身体で止め続けた
キャッチャーの福田くんにも拍手を。

でも、ほんと、正直、
負ける姿の想像しにくいチームだった。
斉藤監督によく鍛えられた、強いチームだった。
静かで、たのもしい、尊敬すべき選手たちだった。

応援団への挨拶を終えると、
たのもしい球児たちはみな高校生へと戻る。
大きな身体を折って泣き崩れる歳内くんを
ささえているのは斉藤監督だった。

客席のぼくはまだ頭が切り替わらず、
得点をあらためて噛みしめたりしている。
そうか、2点差だったのか、などと。





グラウンドに深々と頭を下げて、
聖光学院の選手たちが、甲子園を去っていく。

先頭で号泣している彼の表情が
あまりにもいつもと違うから、
一瞬、誰だかわからなかった。
キャプテンの小澤くんだ。

聖光学院は、強いチームだった。
ほんとうはもっと強いんだと
ぼくは全国の高校野球ファンに
言ってまわりたかったくらいなんだけど、
また、そういう機会は、
ほかにあるのだと思うことにする。
将来、2011年の聖光学院について、
ぼくが誇らしげに周囲に吹聴するときがくることを
たのしみにしている。

大きな球場は、夕暮れに包まれようとしている。
わずかにぽつぽつと、雨粒も落ちてきている。



なにもしてないぼくが、
どうしてこんなにも立ち去りがたい思いを抱え、
やみくもになにかを考えてつづけているのだろう。



さよなら、甲子園球場。
もっといるつもりだったけど。
もっといたかったけど。

こんなに曇っているくせに
落ちる夕陽がきれいだった。

そして、横断歩道を渡って、
高架をくぐるときに、
突然、涙が出てきてびっくりした。
ああ、もう、泣いてもいいかと思ったら
しばらく続いたので自転車置き場で
用があるみたいにして立っていた。

書き残したことが、
まだ、いくつかあるので、
お盆が明けたころにでも、
すこし、更新をして、
ぼんやりと終わりたいと思います。

こう書きながら、ようやく、頭が、
終わりに向かって動きはじめたような気がします。
遅いって。

(もうすこし、つづきます)



2011-08-13-SAT