橋本 |
作家の頭と絵描きの頭が違うって話なんだけど、
絵描きの時代、
冬が好きだったの。なんで冬かっていうと、
木が葉っぱを落とすでしょ?
そうするとね、枝のかたちが見えるわけ。
そうすると、この木は、
こういうふうな枝の生え方してるんだな、
っていうのがわかるわけですよ。
そうすると、ああ、あれに葉っぱを
つけるんだってなる。
つまり、木の解剖学なの。
きれいだな、っていって、
絵描きだからきれいに見てるってわけじゃなくて、
あの木は、ああなっててこうなってて
こうなってこうなってるんだ、
っていうふうに見てるのよ。 |
糸井 |
はぁー。じゃ、すっごい痩せた人に
会ったりするの、好きだった? |
橋本 |
ま、それは好き。
この腰骨のここのところのこの盛り上がり方と、
この鎖骨の感じとか
電車乗ってても、前に座ってる人が、
じいさんとばあさんだとすると、
この人、若いときはどういう顔だったんだろう?
って、顔からシワをこう取り除いて、とか。
若い人だったら、ここにまずシワができるだろう、
ここ、痩せてくよな、とか、
頭の中で勝手にそういうことやってたの。 |
糸井 |
それは、人に言わないで、
ずーっと思ってるわけ? |
橋本 |
ずーっとやってる。
どうも、絵描きの人っていうのは、
そういうふうにものを見てるらしい。
でも、それをそのまま文章に書けないじゃない? |
糸井 |
書けない。 |
橋本 |
こうなってこうなって
こうなってこうなってこうなってるところに、
葉っぱがこうついて、のような日があった、
って書けないから。 |
糸井 |
記憶がビジュアルですよね。 |
橋本 |
そう。だから作家になって、
ええと、この木を、きれいって言うには、
何て言やあいいんだろう? って。
そういう解剖学的なものの見方をする
自分の考え方を、
どんどんどんどん捨てようとしたから、
いまさら、絵描きになれないですよ。 |
糸井 |
ちょっと、ちょっと感動的だね、今の説明は。 |
橋本 |
ほんと? |
糸井 |
うん。 |
橋本 |
それでねぇ、それ止めちゃったから、
上手になりたいっていうのも、てんからないわけ。
はじめ両方やってるときには、
絵が下手だから止めたんだ、
っていうふうに言われたくないから、
とりあえずお世話になってた人から、
仕事やって下さいってきたら、
はい、やります、って、やってて。
で、だんだん、もうやりません、やりません、
で止めちゃったの。そうすると、
できなくなるんだよ。できなくなるし、
うまくなろうって気もないし、
いちおうできて止めたんだからいいんだ、
みたいなのがあって。
んで、イラストレーターの田中靖夫さんにね、
『徒然草』の挿し絵を頼んだときがあって。
そのときに田中さんが、会う人ごとに
「へのへのもへじ」を描かせてて、
そのいろんな人の「へのへのもへじ」の
バリエーションを、絵として使う
っていうふうに言ってて、
俺にも描けっていうのね。
ああ、っていって描いたら、
いいね! いいね! これ、今までで
いちばんいい「へのへのもへじ」だ、
って言って。そのときにわかったのよ。
あ、絵がうまくなりたいという
上昇志向がないから、すごく自由なんだ、って。
で、他の人の描いたの、こうだよ、って、
見たら、なるほど、って。 |
糸井 |
上昇志向が現れてる。 |
橋本 |
そう。みんな、
うまくなりたいっていってやんの、
みたいなのがあって。 |
糸井 |
そのとき描いた橋本君の
「へのへのもへじ」は、
文字の羅列なんですか? |
橋本 |
そうだよ、もうちゃんと
「へのへのもへじ」。
記憶と経験が一体化して、
あんまし深く考えずに
手が勝手に動いたみたいなもんだけど。
でも、普通のひとなら、
イラストレーターの田中さんに、
それを描いてごらんなさい、
って言われたって段階で、
自分はどの程度のもんであるって、
知能テストを受けるような気分で
緊張するじゃん。
俺、そういうのがぜんっぜんなかった。 |
糸井 |
それはさ、禅画でさ、
丸を描いてごらん、ってわざわざ言われたら、
自分が、なんか、ばれるんじゃないか?
みたいになりますよね。
そういうことだよね。
次元が違うけど、どうして俺は絵を描くのが
嫌になったのかが、ぜんぶ説明できたよ、今。 |
橋本 |
あ、ほんと? |
糸井 |
うん、つまり、俺が描く絵は、
俺は嫌いなんだよ、って、
よく人に言ったんだけど、
頭の構造が、絵を描く構造に
なってない絵なんですよ。
それは、俺は大っ嫌いなんですよ、
人の絵だとしたら。
そうすると、自分がそれを作るのが、
嫌なんですよ。 |
橋本 |
うん、だから、人は、
糸井さんが描いた絵が好きじゃなくて、
糸井さんが好きだから、
その絵の中にある糸井さんが好きなのよね。 |
糸井 |
そういうことだよね。
優しい言い方だよ、それは。 |
橋本 |
うん。で、80年代っていう、
「ヘタウマ」みたいなことが
言われてた時代っていうのは、
わりとその方向に行っちゃったじゃないですか。 |
糸井 |
あ〜。つまり、体癖が好きだ、
みたいなことだよね。
言葉じりの訛りが好きだとかさ。 |
橋本 |
うん。本質と関係のない細かいところばっかり。
それはそれでいいんだけど、
それやると真ん中がお留守になっちゃうし。
でね、おんなじことがあってさ。
新潮社の『波』っていうPR雑誌があるんですよ。
で、なんかそれの表紙に文字書け、っていわれて。
普通、なんか、万年筆で
原稿用紙に書くらしいんだけど、
俺、なんか勘違いして、
書だと思っちゃって(笑)。
墨汁で、紙に向かって、なに書こうかな?
って思った瞬間にね、
「う」って書いちゃったんだよ(笑)。
うー、なに書こうかな? と思ったら、
それがそのまま手までいって、
あ、心身一如ってこういうことだ、
って思ったんだけど、二度とできない。
つまり、うまいことやっちゃったから、
あれでいいんだ、という、
うまくできるかもしれないっていう上昇志向が
体に付いちゃったから、もうできない。
だから、もう書なんか恥ずかしくってやれない。 |
糸井 |
あの、わざわざ戻すつもりもないんだけど、
平賀源内の中にある、なんか微妙な、
ちょっとこういけ好かないものっていうのは、
1回できたことは繰り返せるっていう指向だね。
そう思わない?
その、教えられるっていう幻想?
繰り返せるっていう幻想?
今、さっきのいちばん最初に戻ったときの、
鏡餅を上から見たところの話もそうだけど、
つまり、言語化してマニュアル化したら、
受け渡しができるものになるから、っていう、
啓蒙主義とか、ぜんぶ入ってるじゃないですか。 |
橋本 |
平賀源内、そんな親切じゃないでしょう? |
糸井 |
そうかなぁ。 |
橋本 |
俺、才能あるもん、っていう人だもん、あの人。 |
糸井 |
あのさ、カラオケ上手の歌を聴いてると、
すごく不愉快じゃないですか。
ギャグなんかでこう、マイクをこう、
ポーンとこう投げてさ。 |
橋本 |
はいはいはい。俺、それよりも、
歌手が、アーティストだって出て、
なんかやることのほうが嫌なの。
あ、マルチな方なんだなー、とかって思って。
うん。まあね、俺は関係ない世界だから
いいけどね、みたいなのがあるんだけど。 |
糸井 |
平賀源内の芸っていうのも、
それぞれのジャンルから見たら、
きっとそう見えてるんですよね。 |
橋本 |
っつうか、俺、平賀源内が、
あの時代ではかなりいいレベルに
いってたんじゃないかな、とか思うんですよね。
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