橋本 |
そんでね、あの、秋田蘭画の話に話戻すと、
小田野直武の描いた「不忍池図」っていうのは、
嫌いじゃないんですよ。
それ見てるとね、萩原朔太郎のね、
「フランスへ行きたしと思へども
フランスはあまりに遠し」っていうね、
詩を思い出すんだけど。 |
糸井 |
ああ(笑)。 |
『不忍池図』小野田直武 秋田県立近代美術館蔵
|
橋本 |
それはね、なぜかといえば、
水平線がすごぉーく低いの、不忍池。 |
糸井 |
はぁ、はぁ、はぁ。 |
橋本 |
それで、ローアングルっていうと、
小津安二郎になっちゃうけど、
フランスでやると、ローアングルっていうと、
加藤泰(かとうたい)じゃない?
でさ、カメラの位置、すごぉーく下げていくと、
地平線が低く見えてきて、
すごぉーく切ない感じになるんですよ。
遠くが見たいっていう感じっていうのは、
ローアングルなんじゃないか、
っていうのがあるんですよ。
そうすると、小田野直武が上野の不忍池を、
こっち側の岸から通していくとね、
すごぉーく遠くが見たいよぉー、っていう、
その、切ないローアングルになってるわけ。
でもね、不忍池の前にね、
でっかい芍薬の鉢と、
もう1コ鉢を置いて、
その芍薬を西洋画風に描いてるわけ。
そうするとね、不忍池を見る視線が、
とぉーっても低いわけ。
でも、芍薬がここにあるとすると、
ここで見てるわけ。ひとつの絵の中に、
この視線とこの視線と両方あるから、
遠近法的には完全な間違いなの。
でも、西洋のね、陰影をもって
立体的に描くには芍薬でこう描きます、
でも、僕としては、その、絵を教えてくれた、
遠くにある西洋が見たいんだよねぇー、
っていうようなね、気がするのよ。 |
糸井 |
切ない絵だねぇ。 |
橋本 |
で、秋田蘭画、
みーんな水平線や地平線が低いもん。 |
糸井 |
はぁー。 |
橋本 |
しかもね、掛け軸一面、木が生えてるわけですよ。
松があってさ、鳥なんかがとまってると、
リアルに陰影法っていうのあるんだけど、
もう佐竹曙山の陰影法っていうのは、
殿様だから、ま、それでいいか、
っていうレベルなんだけど、
そうすると、その、木の上にとまってる鳥を、
真横から見てる視線で遠近感を出してるわけ。
で、そのずーっと下に水平線があるわけ。
この水平線の高さでいくと、
あなたはここにいるわけで、
ここにいる鳥をこーやって見上げなきゃ
いけないんですよ、それが西洋風なんですよ、
っていうのあるんだけど、ないのよ。
ないんだけど、遠近感出すために、
すごーく視点低くするっていうのと、
遠くまで見れて、でも、ここにあるよ、
っていうのが、一体化してるのね。 |
糸井 |
あぁー。 |
『老松図』佐竹曙山 個人蔵
|
橋本 |
そうすると、あ〜、日本っていう
閉ざされた世界の中に、
遠くが見たいっていう感覚っていうのは、
わかんなくないよなぁ、って思うの。
ところがさ、遠近法で町人になると、
葛飾北斎とか、あるじゃない?
あの人たち、みんな遠近法をマスターして、
富嶽三十六景とか描くんですよ。
あの人たちの遠近法がすごいの。
これはねぇ、なんていうのかな、
海がね、こう反り返ってる。
つまり、遠近法で見ると、
遠近法っていうのは、目の位置と、
水平線、地平線の位置が同じなんですよね。
んで、描いてはいる、
その通りに描いてはいるんだけど、
海面がそれより高くなるのね。
つまり、向こうが見えないように
海面がこうせり上がって
空間をふさいでるみたいになるわけ。 |
糸井 |
はぁー。遠くを見るな、といわんばかりに。 |
橋本 |
んでね、武士関係の蘭画っていうのは、
遠くが見たい絵なの。 |
糸井 |
ほぉ(笑)。 |
橋本 |
ほんで、北斎とか、円山応挙の描いた
反射鏡見ると飛び出して見える
眼鏡絵とかあったけど、
あの遠近法は飛び出す絵なの。
だから、わぁ、飛び出してくる、
っていう感じが欲しい町人、
っていうのはべつにいいわけさ。
だから、海がこうせり上がってて、
向こう側に‥‥。 |
糸井 |
今いるここが大事なのね。 |
橋本 |
そうそう。おぉー! すげぇー!
って言ってりゃいい。
でも、小田野直武とか、そっちになっちゃうと、
遠くが見たいのよね、っていう。
なんかその、遠くが見たいな、っていう切なさが、
日本の、江戸時代の蘭画っていわれるもので、
安土桃山時代の南蛮蒔絵とか、
襖絵なんかとは違うところなんじゃないのかな、
とかって思う。 |
糸井 |
南蛮蒔絵の時代の人たちっていうのは、
え、武家のご用達の人たち? |
橋本 |
それがね、わかんないの。 |
糸井 |
わかんないの? |
橋本 |
うん。
つまり、職人だからいちいち名前入れないの。 |
糸井 |
そこのさ、思い切りの良さっていうのを、
知りたいよね(笑)。 |
橋本 |
うん。いや、やっぱしね、あの時はね、
文化的クオリティが高くって、
新しい時代が来る、って、
そういう盛り上がり方したんだと思うよ。
そういう文化的な勢いの良さっていうのは、
江戸時代の、もうごく初期で終わって、
あとは、その、平凡な中で
どうやって完成度を‥‥。 |
糸井 |
使っちゃいけない刀の時代っていう(笑)。 |
橋本 |
そうそうそう。
それだけだったら、ま、
西洋切ないで済むんだけど、
なんと、渡辺崋山(わたなべかざん)が
出てくるんですよ。 |
糸井 |
はいはいはい。 |
橋本 |
渡辺崋山が描いた、
「鷹見泉石像(たかみせんせきぞう)」っての、
国宝でさ。あれは西洋的な遠近、
陰影表現による絵なんだよね、顔やなんかはね。
ところがね、着物っていうのは、
純粋な日本画的な表現なわけ。 |
糸井 |
はぁ、はぁ、はぁ。こっから下は違う。 |
橋本 |
そう、ペラペラなの。
ただ、その、着物の線が、
今までの日本画の描き方とは違って、
平面的なんだけど立体的に見えるわけ。 |
糸井 |
はぁ、はぁ、はぁ。 |
橋本 |
で、渡辺崋山の描く絵は、みんなそれなの。 |
糸井 |
着せ替え人形みたいだね(笑)。 |
橋本 |
そう。だから、もうひとり、
コブがある儒学者描いた肖像っていうのあって。
それは真っ正面から描いてるわけ。
で、秋田蘭画では、
秋田蘭画の佐竹曙山の描いたものでは、
人間の顔を真っ正面から描けるか?
っていう、そういう問題もあるわけ。
日本の絵っていうのは、みんな横向いて、
鼻筋こう描いてってなって、
真っ正面から見ると、鼻は描けないじゃないか、
みたいなのがあるんだけど、
渡辺崋山も、それを線描で描くわけですよ。
で、薄い着彩でね。
だから、ここだけは立体的なの。
ところが、服はやっぱし日本画なの。 |
糸井 |
はぁー。 |
橋本 |
でね、烏帽子かぶってるのね。
烏帽子のね、上のね、テカりがね、
これがね、もののみごとに陰影表現。 |
糸井 |
西洋なんだ。 |
橋本 |
うん。だからべつに西洋にこだわらなくったって、
自分の居場所に戻してしまって、
表現になってればすごいじゃん、
っていうのがあって。
渡辺崋山っていうのはさ、
小さい大名家の家老の子どもで。
貧乏だからアルバイトで絵を描いてた。
んで、のちに家老になったわけでしょう?
うん、だからそういう人っていうのも、
またいるんだよね、
っていう面白さがあるんだけど、
はじめ狩野派(かのうは)を
勉強してるわけですよ。
で、やってくうちに、やっぱし飽き足らないから、
いろんなことしたいわけでやってくと、
西洋のモノマネをしなくても、
自分の持っているフィールドのなかに、
ため込んできて、自分で、っていうふうになって、
あ、さすがに思想家になっちゃう
渡辺崋山っていう人は違うな、って思って。
そうすると、渡辺崋山の絵って、すごいのよ。 |
糸井 |
それはさ、その、さっきからの流れでいうと、
えー‥‥。 |
橋本 |
一筋の人のすごさ。
だって、ちゃんとした立派な絵なんだもん。 |
糸井 |
平賀源内後、どのぐらい経ってるんですかね? |
橋本 |
んー、100年ぐらい?
ん、100年も経ってないかな?
まあ、3代は確実に。
平賀源内が死ぬぐらいの時代っていうのはさ、
田沼意次の時代になるんですよね。 |
糸井 |
カオスですよね。 |
橋本 |
うん。だから、鈴木春信が、
錦絵作ったぐらいの頃が、
わりと平賀源内の最後の輝きぐらいかな?
あ、脱藩したぐらいか。
それから田沼が衰えて、
寛政の改革がやってきて、
それが写楽が登場する頃なんですよ。
で、その前に平賀源内は死んじゃってるんだけど、
寛政の改革ぐらいの頃から、
浦上玉堂が脱藩して、
渡辺崋山の時代になって、みたいな。
|