橋本治と話す平賀源内。





第10回
エロスとタナトスの世界。

糸井 一筋は憧れですよね。
一筋でいられるならば、
一筋でいたいですよね。
橋本 俺も一筋だよ?
ひたすら原稿書いてるだけだもん。
糸井 あの、書くっていうことにおいては
一筋なんだけど、興味がぶれると、
人には一筋には見えないんですよね。
橋本 人の興味と関係ないところで
一筋になってるからかもしれない。
糸井 俺が一筋さ、っていうやつだね。
宣言してるだけだと。
橋本 うん、っていうか、普通そんなの、
一筋にしなかろう、っつうのあるんだけど。
で、『平家物語』書いてるじゃないですか。
『双調平家物語』
あれは、王朝というひとつの時代の
終わりっていうのは、
江戸時代の終わりとシンクロするもんだと
俺は勝手に考えてるからなのね。
んで、それやりながら小林秀雄の
『本居宣長』やってたら、
近世っていう時代って、
とっても重要なんだよなぁ、とかって思ってて。
んで、『ひらがな日本美術史』っていうのは、
もう近世終わっちゃって
近代に入るふうになっちゃって。
終わっちゃってみると、
近代より近世のほうが、
やっぱし重要かもしれない、とか思っちゃって。
んで、こんど新しい連載やらせて、
っていってるのが、
人形浄瑠璃論をさせろ、っていってんのね。
糸井 はぁ〜。
橋本 去年、『仮名手本忠臣蔵』を
絵本にして出したわけですよ。
絵を描いたの、岡田嘉夫さんだけど。


『仮名手本忠臣蔵』橋本治【文】 岡田嘉夫【絵】


仮名手本忠臣蔵って、どういうものか、
みんなちゃんと知ってる?
昔の人、いちおうちゃんと知ってたんだよね。
それぐらいに大ざっぱだから
大衆文化なんだけど、
それ知らなくなっちゃって、
芸術だ、にしたら、
これの位置づけ間違うじゃないか、
っていうのがあって。
子ども向けの絵本ってかたちのところから、
「みんな知ってる? わかりやすいでしょ?」
ってやり始めたら、もしかしたら小説の源流って、
人形浄瑠璃なのかもしれないな、って。
日本人のドラマって、どっから生まれた?
っていったら、『源氏物語』じゃないだろう。
『徒然草』でもないだろう。
隣のオヤジが嫌なヤツで、隣のババアが因業で、
で、それでウチの嫁が苦しんで、って話が、
どっからきた? っていったら、
人形浄瑠璃ですよ。
糸井 橋田壽賀子がそういうタイプ‥‥。
橋本 うん。ただ、それだけだとつまんないから、
鬼婆の指が蛇になったとか、
髪が蛇になったとか。
糸井 色付けて。
橋本 そうそうそう。みんなするんだけどさ。
んでも、近松が、気の短い男と貧乏な遊女が、
カーッときて、そんで心中したんです、っていう、
ストレートなリアリズムにもってっちゃうけど。
糸井 それが面白いっていうことを、
わかった人がいたからこそなんだよね。
早い話ね。
橋本 うん。
だって、それは、面白いと思うでしょう?
糸井 ね。で、わかって、表現していい、
っていう権利を得たっていうか。
橋本 うん。たぶんさ、内田吐夢(うちだとむ)という
映画監督のチャンバラ映画書いて、とかね。
昭和の30年代に『浪花の恋の物語』という、
中村錦之助と有馬稲子が結婚する
きっかけになった映画を撮っててさ。
それが近松門左衛門の『冥土の飛脚』の
映画化なんですよ。
哀れな心中の人間たちの末路を、惨めな末路を、
劇作家の私として、きれいに飾ってやる、
っていって、最後に雪の風景の中を
黒い裾模様を着た錦之助と有馬稲子が、
浄瑠璃に乗って出てくるっていうのやるんだよね。
でもそれ、近松門左衛門のやることじゃないもん。
近松門左衛門はそれやらなかった。
近松門左衛門の梅川忠兵衛は、
もう落ちぶれたヤツはボロボロさ、っていう。
2人でセコハンの外車乗ってさ、
雪の中でさ、ガタガタ震えながら
コンビニの弁当の冷えた握り飯かじりながら、
もう睡眠薬飲むしかないか、っていって、
それぐらい凄惨なもんで。
それだけじゃ、飽き足らなくなるから、
後の時代の人が、美しいものに変えたの。
糸井 はぁー。え、それは、芝居にするに至って、
変えたの?
橋本 うん、人形浄瑠璃だから。
糸井 あ、そう。
橋本 だって、近松門左衛門の
梅川忠兵衛の道行きっていったら、すごいよ。
こないだまで、派手なところにいて楽
しかった2人が、っていっててさ、
籠が出てくるんだよね。
籠かきが雪の中を担いで、
垂れをバッと開けるとさ、
寒くてガタガタになってるから、
梅川と忠兵衛が足を絡ませて、
2人でこうやって籠に乗ってるっていう、
道行きあいあい籠ってさ、
エロスとタナトスの世界だもん。
糸井 キツいねぇー。
橋本 うん。それ、人形だからやれてさ。
人間でやれっていったら、ちょっと無理ぐらい。
糸井 へぇー。それが、つまり、今、
橋本治が興味がある小説の、
日本の小説の源流じゃないかと。
源氏物語じゃないって、自分が散々やっといて。
じゃあ、なんだったんだよ? あれは!
橋本 あれはあれで、いいじゃないですか。
あれは、少女マンガの源流を探るっていう、
私の仕事のひとつだから。
だって、浄瑠璃文学は、
かつてそういうものだから。
だって、当時の文学なんか、
みんな漢字でやってるもんだから。
糸井 じゃあ、そういう意味では、
堀川とんこうの、みんなが大笑いした映画は、
当たってるわけだ。
橋本 いや、僕は知らない。
糸井 俺、ちょっとビデオで観たけど、すごいぞ。
橋本 予告編の映像だったら、散々観ました。
森光子が清少納言だって聞いて、
違うんじゃないかな? って思って。
糸井 吉永小百合が紫式部で、天海祐希が光源氏で。
つまり、あれ、少女マンガじゃないですか。
つまり、伏線のない少女マンガですよね、あれ。
面白かったんだけど、光源氏が、
ベッドシーンやってるときに、
手を上げたときに、
女のやってる光源氏なんですよ。
で、腋毛はあるべきかあらざるべきかで、
本人は悩んでたけど、
誰も気にしてくれなかったって。
橋本 あ〜。それ、宝塚でやったレッド・バトラーに
髭があるかないか論争以来の毛だね。
糸井 それは宝塚でやってるんだ。
橋本 だからさ、宝塚で『風と共に去りぬ』
やったときに、誰がやったんだっけな?
鳳蘭だったっけかなぁ。
宝塚で髭生やすのって、
悪い大臣とかそういう役だから、
二枚目に髭つけるの、ないじゃん?
でもクラーク・ゲーブルのイメージがあるから
どうしよう?
ってやってたんだけど。
糸井 くま取りが違うみたいなもんなんだ(笑)。
橋本 そうそうそう。
糸井 誰も悩んでくれなかったんで、
自分で、見えないようにするっていうことで
解決したっていう話を、天海さんから聞いたけど。
橋本 はぁー。
糸井 つまり、少女マンガですよね、
それは、早い話がね。
橋本 だってさ、日本の物語って、
少女マンガからしか始まってないよ?
だから、紀貫之も、『土佐日記』を書くときに、
女になって書くっていうのは、
平仮名の文章を書くのは女だけなんだもん。
ほんで、和歌っていうのは、
平仮名文体じゃない?
でも男は漢文で書くもんだから、
和歌詠めない男なんて、
当時いくらでもいるわけですよ。
でも、紀貫之は平仮名文章やってて、
平仮名の文章書くんだったら、
やっぱしその練習を、みたいなのがあるから、
『土佐日記』を始めたんだと思うもん。
糸井 頭の中から女にしてかなきゃ駄目ですよね。
橋本 うん。えー、だから、
女が先に物語りつくるしかないんですよ。
んで、男が書いたとしたって、
「私が書きました」なんて言えるもんでもないし。
糸井 あぁ。
橋本 それこそ、マンガ描いてるようなもんだから。
戯作ですよ。
糸井 あぁ、あぁ、あぁ。
橋本 んでそれが、やっぱし意味あるもんだって
ふうなってくのは、院政の時代ぐらいからで。
だから、藤原俊成なんかが、
「源氏見ざる歌詠みは遺恨の事なり」
とかっていう。ほんで、ちょうどそのころに、
鴨長明とかなんかも出てくるし、
『平家物語』とか『徒然草』とかが
和歌の行文みたいなふうになるんだけど、
でもまだ物語にはなってないよね。
糸井 そうそう。で、中国の何かを
ちょっと引用したりして、男ぶってますよね。
橋本 そうそうそうそうそうそう。
うん。だから、その、それを男が、
自分の文章に持ち込む、
降ろすにはどうすればいいんだ?
っていうことは、
もしかしたら今でも続けてるかもしれないしね。
この作家は女を書けないから困っちゃった、
で、女の書いたものを真似してみた、って
どうにかなるわけでもないだろうけども。



いよいよ次回が最終回。
源内って、なんなんだろう?
ということに、もういちど戻ります。


2004-03-26-FRI
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