糸井 |
一筋は憧れですよね。
一筋でいられるならば、
一筋でいたいですよね。 |
橋本 |
俺も一筋だよ?
ひたすら原稿書いてるだけだもん。 |
糸井 |
あの、書くっていうことにおいては
一筋なんだけど、興味がぶれると、
人には一筋には見えないんですよね。 |
橋本 |
人の興味と関係ないところで
一筋になってるからかもしれない。 |
糸井 |
俺が一筋さ、っていうやつだね。
宣言してるだけだと。 |
橋本 |
うん、っていうか、普通そんなの、
一筋にしなかろう、っつうのあるんだけど。
で、『平家物語』書いてるじゃないですか。
(『双調平家物語』)
あれは、王朝というひとつの時代の
終わりっていうのは、
江戸時代の終わりとシンクロするもんだと
俺は勝手に考えてるからなのね。
んで、それやりながら小林秀雄の
『本居宣長』やってたら、
近世っていう時代って、
とっても重要なんだよなぁ、とかって思ってて。
んで、『ひらがな日本美術史』っていうのは、
もう近世終わっちゃって
近代に入るふうになっちゃって。
終わっちゃってみると、
近代より近世のほうが、
やっぱし重要かもしれない、とか思っちゃって。
んで、こんど新しい連載やらせて、
っていってるのが、
人形浄瑠璃論をさせろ、っていってんのね。 |
糸井 |
はぁ〜。 |
橋本 |
去年、『仮名手本忠臣蔵』を
絵本にして出したわけですよ。
絵を描いたの、岡田嘉夫さんだけど。
『仮名手本忠臣蔵』橋本治【文】 岡田嘉夫【絵】
仮名手本忠臣蔵って、どういうものか、
みんなちゃんと知ってる?
昔の人、いちおうちゃんと知ってたんだよね。
それぐらいに大ざっぱだから
大衆文化なんだけど、
それ知らなくなっちゃって、
芸術だ、にしたら、
これの位置づけ間違うじゃないか、
っていうのがあって。
子ども向けの絵本ってかたちのところから、
「みんな知ってる? わかりやすいでしょ?」
ってやり始めたら、もしかしたら小説の源流って、
人形浄瑠璃なのかもしれないな、って。
日本人のドラマって、どっから生まれた?
っていったら、『源氏物語』じゃないだろう。
『徒然草』でもないだろう。
隣のオヤジが嫌なヤツで、隣のババアが因業で、
で、それでウチの嫁が苦しんで、って話が、
どっからきた? っていったら、
人形浄瑠璃ですよ。 |
糸井 |
橋田壽賀子がそういうタイプ‥‥。 |
橋本 |
うん。ただ、それだけだとつまんないから、
鬼婆の指が蛇になったとか、
髪が蛇になったとか。 |
糸井 |
色付けて。 |
橋本 |
そうそうそう。みんなするんだけどさ。
んでも、近松が、気の短い男と貧乏な遊女が、
カーッときて、そんで心中したんです、っていう、
ストレートなリアリズムにもってっちゃうけど。 |
糸井 |
それが面白いっていうことを、
わかった人がいたからこそなんだよね。
早い話ね。 |
橋本 |
うん。
だって、それは、面白いと思うでしょう? |
糸井 |
ね。で、わかって、表現していい、
っていう権利を得たっていうか。 |
橋本 |
うん。たぶんさ、内田吐夢(うちだとむ)という
映画監督のチャンバラ映画書いて、とかね。
昭和の30年代に『浪花の恋の物語』という、
中村錦之助と有馬稲子が結婚する
きっかけになった映画を撮っててさ。
それが近松門左衛門の『冥土の飛脚』の
映画化なんですよ。
哀れな心中の人間たちの末路を、惨めな末路を、
劇作家の私として、きれいに飾ってやる、
っていって、最後に雪の風景の中を
黒い裾模様を着た錦之助と有馬稲子が、
浄瑠璃に乗って出てくるっていうのやるんだよね。
でもそれ、近松門左衛門のやることじゃないもん。
近松門左衛門はそれやらなかった。
近松門左衛門の梅川忠兵衛は、
もう落ちぶれたヤツはボロボロさ、っていう。
2人でセコハンの外車乗ってさ、
雪の中でさ、ガタガタ震えながら
コンビニの弁当の冷えた握り飯かじりながら、
もう睡眠薬飲むしかないか、っていって、
それぐらい凄惨なもんで。
それだけじゃ、飽き足らなくなるから、
後の時代の人が、美しいものに変えたの。 |
糸井 |
はぁー。え、それは、芝居にするに至って、
変えたの? |
橋本 |
うん、人形浄瑠璃だから。 |
糸井 |
あ、そう。 |
橋本 |
だって、近松門左衛門の
梅川忠兵衛の道行きっていったら、すごいよ。
こないだまで、派手なところにいて楽
しかった2人が、っていっててさ、
籠が出てくるんだよね。
籠かきが雪の中を担いで、
垂れをバッと開けるとさ、
寒くてガタガタになってるから、
梅川と忠兵衛が足を絡ませて、
2人でこうやって籠に乗ってるっていう、
道行きあいあい籠ってさ、
エロスとタナトスの世界だもん。 |
糸井 |
キツいねぇー。 |
橋本 |
うん。それ、人形だからやれてさ。
人間でやれっていったら、ちょっと無理ぐらい。 |
糸井 |
へぇー。それが、つまり、今、
橋本治が興味がある小説の、
日本の小説の源流じゃないかと。
源氏物語じゃないって、自分が散々やっといて。
じゃあ、なんだったんだよ? あれは! |
橋本 |
あれはあれで、いいじゃないですか。
あれは、少女マンガの源流を探るっていう、
私の仕事のひとつだから。
だって、浄瑠璃文学は、
かつてそういうものだから。
だって、当時の文学なんか、
みんな漢字でやってるもんだから。 |
糸井 |
じゃあ、そういう意味では、
堀川とんこうの、みんなが大笑いした映画は、
当たってるわけだ。 |
橋本 |
いや、僕は知らない。 |
糸井 |
俺、ちょっとビデオで観たけど、すごいぞ。 |
橋本 |
予告編の映像だったら、散々観ました。
森光子が清少納言だって聞いて、
違うんじゃないかな? って思って。 |
糸井 |
吉永小百合が紫式部で、天海祐希が光源氏で。
つまり、あれ、少女マンガじゃないですか。
つまり、伏線のない少女マンガですよね、あれ。
面白かったんだけど、光源氏が、
ベッドシーンやってるときに、
手を上げたときに、
女のやってる光源氏なんですよ。
で、腋毛はあるべきかあらざるべきかで、
本人は悩んでたけど、
誰も気にしてくれなかったって。 |
橋本 |
あ〜。それ、宝塚でやったレッド・バトラーに
髭があるかないか論争以来の毛だね。 |
糸井 |
それは宝塚でやってるんだ。 |
橋本 |
だからさ、宝塚で『風と共に去りぬ』
やったときに、誰がやったんだっけな?
鳳蘭だったっけかなぁ。
宝塚で髭生やすのって、
悪い大臣とかそういう役だから、
二枚目に髭つけるの、ないじゃん?
でもクラーク・ゲーブルのイメージがあるから
どうしよう?
ってやってたんだけど。 |
糸井 |
くま取りが違うみたいなもんなんだ(笑)。 |
橋本 |
そうそうそう。 |
糸井 |
誰も悩んでくれなかったんで、
自分で、見えないようにするっていうことで
解決したっていう話を、天海さんから聞いたけど。 |
橋本 |
はぁー。 |
糸井 |
つまり、少女マンガですよね、
それは、早い話がね。 |
橋本 |
だってさ、日本の物語って、
少女マンガからしか始まってないよ?
だから、紀貫之も、『土佐日記』を書くときに、
女になって書くっていうのは、
平仮名の文章を書くのは女だけなんだもん。
ほんで、和歌っていうのは、
平仮名文体じゃない?
でも男は漢文で書くもんだから、
和歌詠めない男なんて、
当時いくらでもいるわけですよ。
でも、紀貫之は平仮名文章やってて、
平仮名の文章書くんだったら、
やっぱしその練習を、みたいなのがあるから、
『土佐日記』を始めたんだと思うもん。 |
糸井 |
頭の中から女にしてかなきゃ駄目ですよね。 |
橋本 |
うん。えー、だから、
女が先に物語りつくるしかないんですよ。
んで、男が書いたとしたって、
「私が書きました」なんて言えるもんでもないし。 |
糸井 |
あぁ。 |
橋本 |
それこそ、マンガ描いてるようなもんだから。
戯作ですよ。 |
糸井 |
あぁ、あぁ、あぁ。 |
橋本 |
んでそれが、やっぱし意味あるもんだって
ふうなってくのは、院政の時代ぐらいからで。
だから、藤原俊成なんかが、
「源氏見ざる歌詠みは遺恨の事なり」
とかっていう。ほんで、ちょうどそのころに、
鴨長明とかなんかも出てくるし、
『平家物語』とか『徒然草』とかが
和歌の行文みたいなふうになるんだけど、
でもまだ物語にはなってないよね。 |
糸井 |
そうそう。で、中国の何かを
ちょっと引用したりして、男ぶってますよね。 |
橋本 |
そうそうそうそうそうそう。
うん。だから、その、それを男が、
自分の文章に持ち込む、
降ろすにはどうすればいいんだ?
っていうことは、
もしかしたら今でも続けてるかもしれないしね。
この作家は女を書けないから困っちゃった、
で、女の書いたものを真似してみた、って
どうにかなるわけでもないだろうけども。
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