第3回
「続・続・コカコーラの話」
●コカコーラは、もうおいしくなる必要はないのだ
人類は見慣れたもの、食べ慣れたもの、
すでに知っているもの、に傾向する習性がある
(一部のひねくれものは例外として)。
要はどちらが口に慣れているかということである。
エジプトの空港にも、テレビを見ても、
街の看板をみても、またスポーツの試合を見ていても、
あちこちにコカコーラの看板がある。
エジプト語は読めないはずの俺でも、
「あっ、コカコーラだ」
とわかるまで、俺の感性はトレーニングされてしまった。
それは味覚も同じことで、5歳の時に
「なんじゃ、この味は?」
と思ってから今まで
「この味は“おいしい”のだ」
とひたすら俺の味覚のほうが近づいてきた
30年だったように思える。
コカコーラは膨大な費用をかけて、
「この味は、実は“おいしい”とされていますよ」
という価値観を俺に教えてくれたのだ。
ひとたび基準(スタンダード)になってしまった以上、
人の価値観は逆に商品についてゆくのである。
そうなったら、
“さらにおいしく”変わる必要などないのだ。
これはすごいことだ。
R&Dがなくていいのだから。
● いっさい変化せずに競合と立ち向かう、ということ
「ずっと変わらぬ美味しさ」が売りだったボンカレーは
「よりいっそうおいしくなりました」といいはじめたとたん
見かけなくなってしまった。
スタンダードであるものは、
変わると、逆に競合につけいる余地を与えてしまう。
以前に、伊勢名物の「赤福」の家の子なる人物に
知り合ったことがある。
「おとうさん(=社長)って普段なにやってんの?」
そう聞いたら、
「地元のおつきあいとか、あと、
砂糖の仕入れ先をたまに考えたりとか」
といっていた。
赤福は美味い。そして売れている。
赤福の味にR&Dがあったら、ピンクのわら半紙の
パッケージにCIがあったら……誰も買わなくなる。
そう、そしたら、いかがわしい類似品に
あっという間に負けてしまうのである。
だから、証券会社にいた、その人物が、
やがて赤福を継いだとしても、大々的な拡販戦略は
相当むずかしいにちがいない。
ウインドウズ98のようなバージョンアップを
一切せずに競合と闘い続けていく運命に、
彼は悩むに違いない。
●コカコーラという知的所有権
コカコーラは、各国で製造され
ビンや缶にいれられて出荷されているが、その原液は
アメリカからすべて輸出されているそうである。
中国も日本も中近東もヨーロッパも、世界各国にある
コカコーラ社はこれを地元の水や炭酸を使って
薄めて販売しているのである。
つまりコカコーラはマイクロソフト真っ青の、
究極のライセンスビジネスなのだ。
しかも現物取引ですからここに違法コピーは存在しない。
そんなコカコーラ原液の成分は、したがって
世界の飲料業界の超トップシークレットということになる。
コカコーラカンパニーの本拠地アトランタでタクシーに
乗ったら、運転手からこんな話をきいたことがある。
「コカコーラの原液の製造法を知っている人は
世界で三人だけだ。この三人以外に原液は作れないように
製造法は一切どこにも書かれていないんだ。
だから彼等は絶対に同じ飛行機には乗らないんだとさ」
この話の真偽の程はいささか怪しいが、
味が著作権で守られるという時代に突入する日も
近いかも知れません。
(おわり)
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