罰金を受け入れる範囲
罰金ってなんだ?
電車でキセル乗車をすると、罰金
(正確には違約金、ですかね)が課せられます。
このキメごとがどこに唱われているかはしりませんが
これは社会の常識です。
「何年間にも渡りキセル通勤をしていたサラリーマン乗客が、
数百万という違約金を課せられた」
という件がニュースで報道されたことがあります。
そのニュースは、
「とんでもない違反なのだから
鉄道会社にペナルティーを払うのは当然」
といったニュアンスのものでした。
しかし、私たちはなにかで違反をしてしまったとき、
どこまでを違約金として受け入れなければならないのか、
という話です。
私有地などに、
「無断駐車は罰金X万円を申し受けます」
なんて掲げてあるのを目にします。
写真は北海道のものですが、
都内だと5万円なんてのもざらです。
うっかり、あるいは判っていながら、駐車した人は、
無条件でこの違約金を払う義務があるのでしょうかねぇ?
看板が見えればびびって無断駐車をしなくなる
効果はあるようですが、看板が草で隠れてみえなかったら、
ただの草っぱらにもみえるところでした。
これに似た過激な例としては、風俗店なんかに
「違反したら罰金100万円」なんてのもあります。
酔ってうっかり違反してしまったサラリーマンは
これも払うことになるのでしょうか?
告知があったからといって、同意したとはならない、
それが社会通念というものです。
この理屈が通るということになってくると、自宅のドアに
「朝刊の配達忘れがあったら罰金30万円をいただきます」
と書いておけば、結構な収入が見込めることになります。
さらには
「携帯電話代の間違え請求をしたら罰金100万円」
「部外者が無断で呼び鈴を押したら罰金300万円」
なんて告知をする人も登場してきますから。
じゃあ鉄道のキセルにいたっては、どうなんでしょうか?
何百万、という違約金は、
果たして正当な違約金なのでしょうか?
じゃ飛行機の二重予約は?
シングル客室の二人泊まりは?
映画館の二度見は?
キセル乗車をやってはいけないというのは
常識として知っています。
しかし、違約金額の話になると、ほとんど知らない。
違約というからには、
それに先立つ契約というものがあるのでしょうが、
それを知らされてない。
ソフトウェアのように乗車では
「乗車規約」に同意を求められた記憶もない。
私たち一般市民は、さまざまなサービスを利用しています。
常識的に行動する限り、
それが問題になるようなことはありません。
しかし、ついうっかり何か非日常的な間違えを
おかしてしまったとき、
そこに受け入れなければならない大きなペナルティーが、
足下に息をひそめて待ち構えているのとなると、
穏やかではありません。
実をいいますと、中学生の頃、
地下鉄新玉川線に乗っていて苦い思いをしたことがあります。
学校の帰り道、私は混雑した電車から降りることができず、
自宅の次の駅で下車しました。
改札の前をとおって反対側のホームで
電車をまっていたわけですが、するとしばらくして
帽子を斜にかぶった駅員が
鍵をチャラチャラ回しながら私のところにきて、
不敵な笑いとともに
「あのさぁ、きみぃ、定期見せて」
といってきたわけです。
しぶしぶ定期を見せると
そのまま手をつかまれて駅の事務室まで連れられたわけです。
「混雑でおりれなかったんです」
必死で釈明しても
「だから、それが違反なわけ。」
そういって、「罰金」をとられました。
くやしいが、定期を取り上げられることが一番恐いから、
その場で払うしかなった。
しかし、混雑で降りれないことだって、あるさ。
これもキセルか!?
キセルの定義って、何なんだ?
と子供こころにおもったわけです。
「あなたは罪人です」といわれると、
人間は急に弱気になるものです。
社会的な立場、というものがある人はつい保身に回る。
どこまでが違反なのかわからないから、
罪悪のうしろめたさと恐怖心から、
つい相手のいうなりになってしまう。
ぼったくりバーの構造とおなじです。
先日も報道番組で、百円パーキングを経営する若い社長が、
支払い無視のドライバーを張り込みの末捕まえて、
「こら、10万円払え。払えないんだったら、警察いこう」
と脅している風景が報道されていました。
犯人は失業中の中年男性でドライバーは
その場で泣いて詫びていました。
ドライバーもたしかに悪いが、
途中からどっちが悪人か微妙になってきた。
「10万円って数字はどこから出てきたんだ?」
という議論もあってしかるべきではないか、と思うわけです。
だって、これが100万円だったら?
ぼったくりバーの構造とおなじではありませんか?
ということで、いろいろな意味で
悪いことはしてはいけません。
立ち小便も無断駐車も犯罪です。
しかし、時として不可避な状況がある、というのも事実です。
ひとたび間違えを犯したら、
鬼の首をとったようにその人に付け込んでしまう、
という構造は、私たちの周囲に意外と多く転がっています。
それは容易いことだけに、
とても恐いことのように思えてしまうわけです。
シーマンに関する情報は こちら(www.seaman.tv)まで。
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