SAITO
もってけドロボー!
斉藤由多加の「頭のなか」。

第2回 ヒット作の続編はいやなもの


「最近のゲームはヒット作の続編ばかりでつまらない」
などと偉そうなことを前回申し上げましたけれど、
実はヒット作の続編を手がけるといのが、
私はかなり苦手です、
たとえそれが自分の作品の続編であっても‥‥。

おそらく、その理由はふたつある。
ひとつは僕の性格。
もうひとつはシミュレーションという分野の特性。
なにせこの業界に身をおくようになってから、
自分の限界ともいえるのがこれらの問題です。
今日はそのあたりについてのお話です。

続編が嫌いな理由

続編が作りにくいという理由のひとつ、
僕の性格について告白します。
昔から僕は、人をわっと驚かせたいとか、
どっと笑わせたい、といった気持ちがあって、
それでこの道に入った。
そんな企画者だから、なにも先入観がなく、
あるいはまったく期待されていない、
そういう状態がいちばん企画者としてはラクなんです。
ところが続編となると、
過去との比較から入らなければならない。
それがしんどいわけです。

今回でいうと、「シーマン」の続編、です。
名前を聞けば、誰もが人面魚を想像するでしょう。
「何かしらの小憎らしい話をするのだろうな」
という想像もそこそこつきます。
そこに期待する人もいるでしょうし、あるいは逆に、
「そんなもん、だいたい想像がつくぜ」、
と言う人もいる。
そういうのが何よりやりにくい、
驚かせるにせよ、笑わすにせよ、ね。
営業の人にいわせると、
「斉藤君、なにをいってるんだ。
 大ヒットの続編は販売数が見込めるんだよ。
 期待を裏切らないでね」なんて話になる。
しかし「販売数がよめる」という条件を受け継ぐことも、
企画者にはなかなかの足かせでもあります。

もう7年かよ!?

大ヒットしたのに7年間も続編が出ないというのは、
エンターテイメント業界では、とても“変”なこと、です。
「なにやってんの?」とか「もったいない」とか、
「ありえない」とかね。
でもこういう周囲の期待があればあるほど、
企画者は妙な煩悩にとらわれてしまうものです‥‥
すくなくとも僕の場合は。
ですから「シーマン2」で、
私が最初にしなければならなかったことはですね、
「考えること」より先に、「まず忘れること」でした。
「これは人面魚でなければならない」
などといったもろもろの大前提を‥‥。

あとゲーム制作者がヒットの続編で陥りがちなのは、
物量で勝負しよう、とすることです。
CGが美しいとか、モーションが見事、といった物量は
お金で手にいれることができやすい要素ですが、
ゲーム性に大きな影響はあまりあたえないものです。
アイデアに困ると、制作者は麻薬のように
その方向で逃げてしまいがちです。
でも企画の確信がないまま
そういう要素で乗り切ろうとすると
空中分解とか泥沼化することがよくあります。
これがゲーム制作がもつ大きな恐怖の側面です。
ことゲームはすべて人工物ですから、
出演者のすばらしい演技や人気や話題性で
助けられることがない。
「ためしにこれでいってみよう」
というのはほぼご法度です。

なもんですから、
「これはおもしろい」というテーマが見つかるまで、
着手しないほうがいい‥‥。
ということで、しばらくほったらかしにしてました。
ま、それ事前にやっておくべき基礎開発は
たんまりありましたから(こちらも追って紹介します)。
「これでいこうかな」というテーマをみつけたのは、
2003年3月のになってからのことです。
このあたりは次回くわしくお話しますが、
私が選んだテーマは「北京原人の育成」でした。

シミュレーションの宿命

もうひとつの理由であるシミュレーションという分野。
これについても触れます。
この分野の続編というのはなかなか企画者泣かせです。
マップや画面がすくないのが
シミュレーション系の特徴でして、
そこに原因があると思います。
RPGやアドベンチャーの場合は
物語がそのタイトルの個性を決めます。
それ故ゲーム性はそのままでも、
そのマップを増やすことで
その続編がつくられることが多いわけです。
ところが、シミュレーション系ゲームとなると、
基本の画面はひとつだったりします。
そこに情報などのサブ画面がぶら下がる。
物語がない分、シミュレーション環境で
その個性が表現されます。
つまり画面構造的にも、
物語とシミュレーションは180度異なるものなのです。

シミュレーションが
シリーズ化しない理由
‥‥
続編づくりでわかるゲームの特性


続編を考えるときにこの違いは歴然と出るものです。
いいかえるとシミュレーションには物語性がないから
「続編」という考え方があてはまらない。
ゲーム性の中心は
目に見えないシミュレーション構造にありますからね。
むしろこういうのはバージョンアップと
表現したほうがいいのかもしれません。
でもバージョンアップとは同じネタで難易度を高くする、
あるいは複雑にすることです。
ちょうどテトリスの続編づくりをイメージしてください。
バージョンアップはタイトルを上級者向けに
進化させくことになる。
これではユーザーをどんどんと狭めてしまいます。
私たちが「シーマン2」でやるべきことは、
より高度な育成、というわけではないでしょうから、
つまりまったくあたらしい体験を
提供することでしょうから、
シーマンのバージョンアップをしても、
作品としてはおもしろくないのだと思います。
つまり、シミュレーション系のゲームというのは、
名前は続編であっても、
あたらしい世界が要求されてくることになるわけです。
それが、私が続編が嫌いなう第二の理由だったりします。
そういった経緯から、「シーマン2」は、
北京原人育成というまったく違うゲームとしての
スタートを切ることにしました。
(もちろんシーマンは、
 これまでとは違う役回りで登場することになります。)

さて、となると、「シーマン」という名称は
いったい何の定義なんだ!?、ということになるでしょう。
それに対する私たちの答えはきっと、
へんてこな生き物をへんてこな新技術をつかって
提供する実験環境の総称、
ということなのだと思っています。


(次回、「北京原人にした意味と理由」に続きます)

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2006-11-15-WED

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