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糸井 |
真似しようと思ったら、きっと、解体して、
そっくりのものを作ることは、
できるように思えるんですけど、
なんか、真似するならしてごらん、
って言いたい気持ちが、ぼくの中にもあって。
きっとちがうものができるんだと思うんですよね。
それがおもしろいなぁと思ってるんですよ。 |
アンリ |
たぶん、真似することはとても簡単だと思うし、
これを切って、ここを縫ってっていうような
真似をすることは簡単だと思う。
ただ、その真似をしようと思っている気持ちの中に
何があるかですね。 |
糸井 |
ははは。 |
アンリ |
真似をして、もっと安く売ろうとか、
真似をして盗んでやろうとか、
そういう気持ちがあると、
ぼくが愛情を込めて、
みなさんの目の前で縫ったような、
愛情がこもった製品にはならないと思うので、
ぼくにとっては、全然それは怖くないです。 |
糸井 |
うーん、不思議だねぇ。
きっと区別ついちゃうんでしょうね。 |
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アンリ |
もちろん、これ全部、600枚を
ぼくがひとりでやったわけじゃないんですけど、
工房ではたらいてる人たちは、
ぼくの気持ちをわかってやっているので、
絶対、ぼくのやってるものと、
縫ってる工場の人たちがやっているものとの、
愛情が別に変わるということではないです。 |
糸井 |
だから、なんて言うの。
「きみが作るものは同じだね」っていうのと、
外にいて、真似しただけのものとのちがいが、
出ちゃうんだろうなと思うと、
それが不思議でしょうがないんですよ。
おもしろいなぁと思うんですよ。 |
アンリ |
魔法はまず真似することはできない。 |
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糸井 |
魔法はね。 |
アンリ |
600枚あるんですけども、
これがおもしろいのは、
600枚ひとつひとつがちがう。 |
糸井 |
うん、ちがう。 |
アンリ |
なぜかって言うと、
それは、縫う人がひとりひとり
縫い加減がちがったり、
クセが出ているかもしれない。
ビーズの大きさも傷もちがう。
色もちがう。
そういう、ひとつひとつに
命がこもっているので、
まったく同じ、ふたつ同じものがない
それは、ぼくにとっては魔法ですね。 |
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糸井 |
そうですねぇ。
たぶん、真似する人の心の中には、
なんかでコストを下げて売ってやろう、だとか、
オレにもできるんだってことを
証明してやろうだとか、
いろんな動機があるんでしょうね。
その動機が見えてしまうんだろうね。 |
アンリ |
もしかしたら、たぶん、
真似しようと思ってるような人は、
やっぱりコストを考えながら、
もしかしたら、麻のロウ引きの糸ではなくて、
ナイロンの糸を使うかもしれない。
だから、本質が見えない。
コピーは。 |
糸井 |
うーん。
ぼくらの仕事でも、
みんなそれぞれ、下手だったり、
失敗があったりするんですけど、
自分たちのやってることも、
たとえば、対談のまとめなんかしてても、
文章の中に、
ぼくらの個性が、なんかあるんですよ。
それは、上手とか下手とかじゃなくて、あるんです。
文章の中の、何を大事として、何を消すかとか、
何を大事じゃないものとして考えるか、
みたいなことが、細かく無意識にあるんですよね。 |
アンリ |
やはり、ものを作りあげる人、
それは、小説を書く人や、
文章を書く人であっても、
ものを作りあげる人にとって、
同じ気持ちが、
どこかに必ずあるんじゃないか
と、ぼくは思います。 |
糸井 |
うん。 |
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アンリ |
ものを作りあげるということは、
やっぱり、大変なことなので、
何が必要か、何がいらないか、ってことを
わかっていないと難しいです。
ぼくは、ものを作りあげる人は、
自分もそう、糸井さんもそうです。
とても幸運な人だと思います。
やはり、何かものを作ることによって、
誰かそれを見てる人、それを読む人、
それを触る人に、何かを伝えられる。
そういうことができるのは、
ぼくたちは、たぶん幸運だと思いますよ。 |
糸井 |
そうですね。 |
アンリ |
これは人生の大きなプレゼントです。 |
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糸井 |
お百姓さんなんかでも、
自分がつくった野菜を、誰が食べてるか、
っていうのがわかって、お礼がきたりすると、
ものすごくうれしいらしいんですけど、
ほんとは、どの仕事も、
みんな、そうあったらいいな、
と思うんですけどね。 |
アンリ |
そうですね。
とてもいい言葉だと思います。
〈つづきます。〉
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