第1回真似ること、学ぶこと。
- 羽佐田
- 今日は早野さんに、
ヴァイオリンを持ってきていただいて。
そちらが普段使われているものですか?
- 早野
- はい。
けれども、子どものころから使っていたものは、
あまりに弾いていなくて手入れが悪いので、
知り合いから貸してもらっているんです。
外では、だいたいこれで弾いていますね。
試しに弾いてみましょうか?
- 羽佐田
- 弾いてくださるんですか。
- 早野
- ちょっと、簡単にね。
(ヴァイオリンを取り出して、弾く)
- 羽佐田
- すごいです!(拍手)
早野さんはこんなことができる方なんですね。
- 早野
- そうです。
実はフェローはこういう人なんです(笑)。
- 羽佐田
- 大学の授業や人前で話されている雰囲気と、
全然違いますね。
- 早野
- ええ、また違いますね。
昔はもっと上手に弾けたんですけど、
40年くらいブランクがありますから、
いまは冗談のような音しか出ないです。
- 羽佐田
- 40年も弾かれていなかったんですか?
- 早野
- 子どものころに弾いていて、
一度辞めていたんですが、
去年の8月に、スズキ・メソードの会長を
つとめることになり再開したんです。
- 羽佐田
- スズキ・メソード‥‥
早野さんがよく講演などされていますよね。
- 早野
- スズキ・メソードは、
僕が子どものころに通っていた
「松本音楽院」という音楽教室から生まれた、
一種の音楽教育方法ですね。
コダイ、ウォルフ、リトミックとならんで
世界四大音楽メソッドともいわれています。
いまは、世界で40万人も生徒がいるんですよ。
- 羽佐田
- 40万人も。
あの、物理学者である早野さんが、
音楽団体の会長をつとめられているのが
意外だと思いまして。
- 早野
- 2013年にスズキ・メソードが、
長野県の松本で世界大会をしたんです。
そのときに僕は、子どもの頃に
この音楽教育法に触れて育った人として
基調講演をすることになったんです。
そこでなにを話そうか考えたときに、
子どものころに弾いていたヴァイオリンは、
僕の物理学者の中にどう生きているのか、
役に立っているのか、
はじめて考えたんです。
- 羽佐田
- ヴァイオリンと早野さんの関係性ですか。
- 早野
- ひとつ、スズキ・メソードの大事な教えとして、
母国語を学ぶように音楽を学ぶ
「母語教育法」というのがあります。
関西弁を話す両親の子どもは、
自然と関西弁を話すようになりますよね。
そうやって、お母さんやお父さんが
話している言葉を覚えるように、
いい音楽を耳で聴いて、真似をすれば、
音楽性も育つのではないかという考えです。
- 羽佐田
- 耳で聴いて、真似をして、育てる。
- 早野
- 僕の経験でもあるのですが、
あるとき大人になって、
「あなたの個性はどこにあるんですか?」という
問いを突きつけられることが多くあります。
そのときに、耳から聴いて、真似て、弾いてを
繰り返していた僕は、音楽だけでなく、
たくさんのことをとくに苦労を感じることなく、
自然と学んでいたことに気がつきました。
知識だけでなく、音楽の解釈や理想といったものも
自分のものとして自然に吸収していたので、
コピーではない自分の個性を探しやすかった。
そういうスズキ・メソードで学んだことを、
「真似ること、学ぶこと」というタイトルで、
基調講演で話したんです。
そうしたら、この講演が評判になって。
40年間ずっとヴァイオリンから離れていたのに、
基調講演がきっかけで理事を頼まれまして。
去年の8月から会長もつとめることになったんです。
- 羽佐田
- 早野さんが長く携わってきたサイエンスと
ヴァイオリンは共通しているところがあるのですか?
- 早野
- あんまりないですよ(笑)。
でもそれぞれちがって魅力があり、
ヴァイオリンやスズキ・メソードで学んだことは、
確実にいまの僕をつくっていると思います。
- 羽佐田
- そうなんですね。
早野さんがヴァイオリンをはじめられたのは、
いつごろなんですか?
- 早野
- 4歳の終わりくらいですね。
こういう子だったんですよ。
- 羽佐田
- すてきな写真です(笑)。
おいくつのときですか?
- 早野
- おそらく5歳のときです。
早い子だと3歳の終わりくらいから
ヴァイオリンをはじめますので、
僕は早い方ではないんです。
- 羽佐田
- 楽器を習い始めたのは、
どんなことがきっかけだったんですか?
ご両親がヴァイオリンをされていたんですか。
- 早野
- いや、両親はまったく弾けないです。
僕は、岐阜の大垣出身なんですが、
幼少期は、父親の勤め先が信州大学だったので、
長野県の松本で過ごしたんです。
そこで出会ったのがヴァイオリンと、
鈴木鎮一先生です。
僕のヴァイオリンの先生ですね。
松本音楽院という音楽教室を開かれた、
スズキ・メソードの創設者です。
僕の父親の中学の同級生が、
たまたま松本にいまして。
お互いの仕事の話をしていたら彼が、
「鈴木鎮一というすごい人がいるのを、
知っているか?」と。
僕の父親は知らなかったんです。すると、
「お前のところは子どもはいるか?」
「男の子がひとりいるよ」
それが、僕ですね。そうしたら、
「この先生がやっている音楽教室に、
通わせてみないか」と勧められたそうです。
彼は、松本音楽院の事務局長をしていて、
これもご縁だと、4歳の終わりから
松本音楽院に連れて行かれました。
そうして僕のヴァイオリン生活がスタートしたんです。
(つづきます。)
2017-10-24 TUE