糸井 そして細川さんは
ご自身で永青文庫の理事長をなさったりしてる。
これはさまざまなコストもかかりますよね。
細川 そうですね。
糸井 そういうのは大丈夫なんですか。
細川 うーん、大丈夫じゃないですね。あまり。
今はどこの美術館でもそうなんですけど、
入館料ではなかなかまかなえないですね。
金沢21世紀美術館のように、
人が数十万人も来られるというなら
成り立つかもしれませんけども。
やっぱり結局貸し出し料なんですね。
海外も含めてあちこちの美術館から
貸してほしいというお話があって、
そういうときにだいたいどこの美術館でも
国宝とか、重美とか、
それぞれささやかな貸し出し料が決まっていて。
糸井 そんなに安いものなんですか。
細川 はい。ですからそういうことで、
なんとかやっている、
という感じなんですね。
なかなかそれは簡単ではありません。
とくに最近こういう経済の状況になってくると、
公設の美術館では
やっぱり借りてくるのを控えますので。
糸井 予算削減ですか。
細川 ええ。今まではどこそこの県立美術館とか、
何々私立美術館というようなところから
ずいぶんお話があったのが、
去年ぐらいからずいぶん減りましたね。
でも自分のところにはものがないというので
すごく苦労しておられるんじゃないでしょうかね。
ここは幸いに物持ちなものですから、
その意味では恵まれてるんですけども。
糸井 そう考えると、
上野の展覧会はありすぎて、
結局目がきょろきょろしてしまうので、
宣伝はしづらかったんですよね。
細川 そうですね。今度も結局、主に4代までの
人のものしか出せなかったんですね。
5代の綱利という人のときに、
大石内蔵助の討ち入りがあって、
その興味ある記録などもあるんですが、
スペースがなくて、出せないんですね。
糸井 知らなかったです。
鑑真和上の像というのだけで
お客は長蛇の列をつくるし、
阿修羅様が来れば、
それでまた列ができるんですけど、
あれだけあると何に列をつくっていいのか。
細川 そうですね。
今みんな美術館に集まるのはそれこそ──。
糸井 シンボルなんですね。
細川 1点だけ出したほうが、
たくさん人が集まるのかもしれませんね。
あまりにも目玉になるものが多すぎちゃって。
宮本武蔵もいれば、
ガラシャもいればって並べちゃうと、
もうどこへ目をやっていいのか
わからなくなっちゃうんですよね。

細川ガラシャ消息(松本殿御内儀宛)】
土桃山時代 16世紀 東京永青文庫蔵
東京展での展示期間は2010年5月9日終了。
糸井 本当にそうですね。
きのう僕が見に行って、
かみさんが見たいと言ったんで、
「じゃ、行くといいよ。すいてるよ」
という言い方をしちゃったんですけど、
同時に「音声ガイドは絶対必要だよ」と。
いっぱいあるから、
いっぱいあることで通りすぎちゃう。
音声ガイドがあれば
「ええっ」と思えるので。
たしかに必要だったと言いながら
帰ってきました。
細川 本当にああいうものは
どういうふうに目玉をつくってやるかというのが
難しいところですね。
かえって1点、少なくとも
護立のコレクションなら
護立のコレクションで、
「黒き猫」なら「黒き猫」だけを
ドーンといくとか、
そういうことのほうが、
或いは受けるのかもしれませんね。

黒き猫 菱田春草筆
明治43年(1910年)、
東京永青文庫蔵(熊本県立美術館寄託)
東京展での展示期間は2010年5月16日で終了。
糸井 ミュージアムショップでは
「黒き猫」みたいなものに
スポットライトを当てて、
ワッと広げていってる。
ミュージアムショップって、
いわば商業的な方法を取りますから、
あれが展覧会のほうにも
考え方として応用できれば
良かったのかもしれないですね。
悩ましいですね。
細川 ありがたいことなんですけど、
悩ましいところですね。
糸井 理事長はそういう企画展が
あるというときには、
ミーティングには参加なさる?
細川 ええ。
糸井 (ものが)ありすぎるんですよ、
みたいな話はきっと出たんでしょうね。
細川 そうですね。
糸井 この展覧会に人ができるだけ
来てほしいと思うんですけど、
今ご自身がお知り合いの方に
どんな説明をなさってますか?
細川 説明のしようがないもんですから、
ほんとに武蔵もガラシャも、
内蔵助もみんないるから、
見応えがあるから行ってくださいという、
そういう説明ですね。
糸井 オールスターキャストですね。
細川 そうですね。
糸井 武蔵もガラシャも白隠も、
常設展を見てるかのようですね、思えば。
細川 しかもほんとに能面でも能衣装でも、
鎧でも面白い。
見応えのあるものがあるんですね。
糸井 素晴らしかったです。
細川 ですから、ちょっとなかなか
人様に申し上げるのには
説明しにくいですね。
糸井 そうですね。専門の領域の人だったら、
一点に張り付いて20分や30分いられるような、
そういう場所があちこちにあるんだという。
細川 今までは、祖父も父も
あまりここから出すことを
喜ばなかったんですね。
そういう大事な国の宝のようなものは、
できるだけひっそりと少しずつ
出していくということでしたから。
今回のようなことをしたのは
初めてなんです。
そういう意味ではもう少し時間があったら、
目玉をじっくり考えて
いけたのかもしれませんけども。
糸井 伝え方だけでもきっと何か。
まずあの猫はここにあるんだよ、
みたいなことはあるのかもしれないですね。
「あの教科書で見た絵はここにあったんだよね」と。
細川 例えば大観の「生々流転」も今回は出せなかったんですね。
あれは今、近代美術館のほうに
移ってるんですけども、
40メートルぐらいありますからね。
あれを並べちゃうと他のものが
並ばなくなっちゃう。
本当は護立コレクションの
エース的なものでしたから、
本当は並べたかったんですけども。
糸井 大観という人、僕は名前でしか知らないし、
緞帳のデザインみたいにしか
思ってなかったんですけど、
やっぱり力があるから大家になったんだ
ということがわかりますね。
小林古径の──。
細川 「孔雀」とか。

孔雀 小林古径筆
昭和9年(1934年)、東京永青文庫蔵
東京展での展示期間は2010年5月9日で終了。
糸井 ええ。「髪」であるとか。

髪 小林古径筆
昭和6年(1931年)、
東京永青文庫蔵(熊本県立美術館寄託)
東京展での展示期間は2010年5月9日で終了。

全部を把握なさってるわけじゃないんでしょうけど、
あそこに展示されてるものは、
細川さんは、「ああ、あれね」と?
細川 そうですね。6割ぐらいじゃないでしょうか。
実際に見たことないものも
やっぱり1、2割ぐらいありました。
糸井 それがこんなすごいものなんだ、
みたいなものだらけですよね。
おじいさんという方は、
若いときから美術品を収集し始めていたという
解説を聞いたんですけど、
お小遣いという言い方を最初に聞いて、
どういう仕組みで収集してたのかなと‥‥。
細川 護立が最初に刀を買ったのは、
「金像嵌銘 光忠」
(きんぞうがんめい みつただ)で
十代のときお小遣いで。
体が弱かったので17のときでしたかね。
母親に買ってくれと言ったら、
いや、そんな高いものはダメだと言われて、
側に付いてた執事みたいな人が、
「いや、病気で本当に
 長生きしないかもしれないから
 買ってあげてくださいよ」って、
口添えしてくれて買ってもらった、
と言うんですけども。

金象嵌銘 光忠 光徳(花押) 駒讃岐守所持
鎌倉時代 13世紀、東京永青文庫蔵

その頃は細川家も珍しく
裕福な時代でしたので。
──細川家は昔からずっと貧乏でしてね。
糸井 あっ、そうなんですか?!
細川 ええ、そうなんですよ。
裕福なのはそのときだけ。
祖父のときだけなんです。



(つづきます)


2010-05-23-SUN