イベント「活きる場所のつくりかた」より
早野龍五さんのおはなし

放射線のグラフづくりから
高校生の引率まで
第4回「おとなの仕事」と「こどもの心」。

早野龍五さんの講演が終わり、ここから
今村正治さん、糸井重里をまじえた
3人のトークに移ります。

糸井
ぼくが早野さんをこのイベントに
お呼びしたいと思ったのは、
「国際的な物理学者という、
 『活きる場所』が
 すでにあったにもかかわらず、
 ほかの場所をもうひとつつくってしまった」
ということに、
とても興味があったからなんです。
早野
震災の翌年に還暦を迎えたぼくに、
こういう人生が待っているとは、
予想外の展開でしたね。
糸井
すでに活躍する場所をもっていた早野さんは
自分で積極的に新しい場所を
探していたわけではないですよね。
早野
はい。そんなつもりはなかったです。
ただ、さっきお話したように、
自分のやっている研究は
「すぐには人の役に立たたない」
ということがわかっていたので、
本当にそれでいいのか、
どこで折り合いをつけるべきか、
ということは、心の中で長年考えていました。
税金からたくさんのお金を
研究費としていただいていて、
いったい自分はなにをすれば、
それに見合ったことができるのかな、と。
ノーベル賞でも取れば、
OKだと思うんですけど(笑)。
糸井
「どうだ」って言えますもんね(笑)。
早野
ですね。
でも、仮にそういった賞を取れないまま
研究を終えたとして、
いったいどこでOKになるのかな、
ということをずっと思っていました。
糸井
つまり、早野先生の研究は、
お客さんのいない仕事なんですね。
早野
そう。発注者もいないし、
買ってくれるお客さんもいない。
糸井
知識として、知恵として、
積み上げられていく、
見えないものを作っているわけですよね。
早野
そんな感じなんです。
今村
そんななかで、本職ではないのに、
日本の大問題に足を踏み入れる、
って怖くはなかったですか?
早野
もちろん、怖かったです。
たとえば、ツイートをはじめて3日目ぐらいに
大学の本部から人が飛んできて、
「ツイートをやめろ」と言うんです。
今村
あ、やっぱり。
そういうことになるだろうと思いますね。
糸井
早野を黙らせろ、と。
早野
はい、言われました。
自分も怖かったし、
まわりも怖かったんだと思いますね。
今村
それでも、踏み込み続けた理由は何ですか?
早野
新しい分野で、いろんなものに
関わることになるたびに、
「自分がこれをやるべきなのか」
ということは、常に考えています。
そんななかで、私の考えとしては、
「これは他の人はやらないだろうな」と
思うことをやる、という。
今村
ああー、なるほど。
早野
要するに、誰かがやっていることだったら、
やる必要はない。研究者は、
「すでに他の人がやっていることをやるのは、
 研究でない」ということを、
ずっと叩き込まれていますので。
だから、給食を測ろう、というときも、
ベビースキャンをつくろう、というときも、
自分がやらなければ誰もやらないだろう、
という確信を持って、はじめています。
今村
でも、大学で多額の費用をもらって
研究することに慣れているなかで、
まったく予算のない状況で
「給食を測りましょう」なんて、
提案するような発想は、
なかなか出てこないんじゃないか、
と思うんですが。
早野
ぼくは、浮世離れした研究をやっていますが、
いつも、国際的なチームで
プロジェクトを進めてきたので、
なにをやれば動き、なにをやれば動かなくて、
どこを押すと動き、どこを引っ張ると止まるか、
というのが、なんとなくわかっているんです。
短時間でプロジェクトを進めるときには、
なにかを待っていてはだめで、
「自分で踏み越えてやる」ことがとても重要である、
ということも、わかっています。
糸井
はぁーーー。
早野
震災後のことに関しては、
「待っていられる状況ではないだろう」
というのが常にありました。
糸井
お金がないことだけを理由に
プロジェクトが止まってしまったら
もったいなすぎるというか。
早野
それはありますね。
糸井
大人になると、お金の単位が
リアリティを持ってわかるようになりますよね。
たとえば、車1台分のお金なら、
本気になってどうにかすれば、
大人なら、なんとか集めることができる。
でも、億になったら、なんとかするのは無理。
あと50円なんていうのは、
もう、すぐになんとかなる。
若いときには、このお金のリアリティがなくて
自腹で出すお金というのは、
50円でも、車1台分でも、
同じ勘定の仕方をしている時代があるんですよ。
それを、「それならできる」、
「これはできない」っていうのが、
ある程度目算できるようになってから、
生き方が楽になったっていうか。
ベビースキャンなんかは、
相当お金のかかる、大掛かりなものですよね。
早野
そうですね。ベビースキャンになると、
どうやって開発費を捻出するか
買ってくれる人をどこから探してくるか‥‥。
糸井
感覚はプロデューサーですね。
早野
ええ、予算をきちんと見極めないと、
「つくりたいです」と言っただけでは、
ポシャっちゃうので。
やるって言うからには、いろいろ考えます。
幸いにも自分は、
いままでCERN研究所でやってきたなかで、
そういうことが少しは
トレーニングされていましたので。
糸井
よく、事業もアートだという言い方をしますよね。
自分のありたい姿を作っていくという意味では、
彫刻をつくるのと、事業をするのは
そっくりだと思うんです。
プロデューサーにもなるし、
手も動かすし、歩いていくし、みたいな。
早野
そうかもしれませんね。
糸井
あと、ちょっと違う話になりますけど、
早野さんには、いろんなものを取り入れる
「余裕」っていうか、
「遊び」のようなものがあると思うんです。
たとえば、なにかですごく忙しいときに、
おとなたちは、「遊んでくれ」って
せがむこどもたちに向かって
「それどころじゃない!」って言いますよね。
今村
そうですね。
糸井
早野さんのなかには、
「それどころじゃない!」っていう
感じがないんですよ。
歌舞伎を観にいったり、
ホットケーキを食べに行ったりすることにも
夢中になる余裕があるわけです。
早野
(笑)
糸井
「それどころじゃない!」ばっかりじゃ
本当はダメなんだっていう感覚も、
研究者のトレーニングを重ねるうえで
獲得されたことなんでしょうか?
早野
どうだろう‥‥。
いや、でも、そうだろうと思いますね。
もちろん集中力は大事だし、
それを一生懸命やる、というのは大切だし、
やるべきなんですけども。
だけど、そればっかりやっていると、
いわゆる「専門バカ」になってしまう。
糸井
うん、うん。
早野
まわりをちらちら見ることは、
ぼくの本職においても非常に大事なことです。
「これは、いまやっていることと
 関係なくはないんだけど、かなり違う。
 でも、じつはおもしろいので
 手を出してみようかな‥‥」
というようなことがあるんですね。
そういう感覚っていうのが、
さっき言った「こどもの心」ってことです。
あるいは、アマチュアってことなんですよ。
糸井
うん、うん。
早野
誰でもはじめるときは素人なんです。
だけれども、はじめるからには、やっぱり、
プロの仕事をしないといけないんですよね。
それが、「おとなの仕事」と
ぼくが言った意味なんですけれども。
そのおとなの仕事ができる部分というのを
ちゃんと持ったうえで、まわりを見て、
「これおもしろいな」「やってみたいな」
というところに入っていかないと、
研究においても新しい分野は生まれないんですね。
糸井
こどもの好奇心からスタートして、
おとなの仕事になっていく、という意味では、
今村さんも同じですよね。
今村
そうですね。
ぼくも趣味と仕事の領域が曖昧な人間で、
趣味と仕事が一体化しているというか、
年を取ると、だんだん区別が
なくなってくるというか‥‥。
早野先生自身の活動にも、
本職以外の部分が、たぶん、
影響を与えているんじゃないかなと
思いながらお話をうかがっていました。
早野先生のお話って、
単に物理学の偉い先生の話というわけじゃなく、
個人としての拠り所がはっきりとあるから
聞いていておもしろいんですよね。
だから『知ろうとすること。』の対談も、
おもしろく読めるんだと思います。
糸井
あの本のために早野さんと話した長い時間の中で、
ぼく自身がいちばん「うわあ!」ってなったのは、
「138億年前の水素の話」ですよ。
あれも、いわば脱線というか
メインのテーマから外れるんですけど、おもしろくて。
そういう部分も絶対入れよう、って言って
『知ろうとすること。』をつくったんです。
(会場に向かって)読んだ人、いますか?
あ、まだ読んでない方もいますね。
ええと、それはどういう話かというと、
つまり、宇宙が‥‥。
早野
あ、ここでネタばらしちゃうの? 
糸井
言わない?
早野
言わないで、おきましょう。
糸井
おもしろいんだよ。
早野
ぜひ、読んでください。
糸井
どうもありがとうございました。
早野
ありがとうございました。
会場
(拍手)
(早野さんのお話はこれでおしまいです。
 ありがとうございました。)

2015-06-19-FRI