糸井 |
今既に堺屋さんがやっていらっしゃることを
例えば国が絡んだときに、
急に、「先生と一緒に観にいく映画」になる
みたいなイメージが、まだあるような。 |
堺屋 |
あるでしょうね。本当は違っても、
そういう具合に言われてしまうから。 |
糸井 |
あれだけおもしろかった映画なのに
学校で連れていってもらったらおもしろくなかったよ、って。
そのにおいをどうするのかというのを、
今回、先に「先生」のほうが気づいたわけですね、
役割で言うと。
「こんなに楽しくやろうよ。
もう今の瞬間は先生ではない人だから、
一緒に遊ぶから。みんなで、インターネットを、
『便利』から『楽しい』にしようよ」
と、これは堺屋さんの発想だと思いますけど、
ここは企業が逆に「今忙しいから」と言って
やっていなかった部分なんで、それこそ、
国は利益をあげる必要ないじゃないですか。
だから「いいぞー」と思ったんですよね。
ただ、呼びかけかたによっては、
「君たちももっと、楽しくやりたまえ」
というような、校長先生が訓示で
「楽しくやれ!」と言っているように見えちゃうと、
「だって、俺はもう楽しいもん」と、
既に前からやっているひとたちは言うし、
前からやってないひとたちは、
「国がやることだから、今までどおりだろう」
と言う・・・。
こういうところをつなぐものが、
とりあえず課題になるだろうと思います。 |
堺屋 |
あのね、NHKの番組がよく言われるんですけど、
典型的なのはやっぱり万博なんだけど、
国が提唱しているんだから、
すごく固いという見方があったんですよね。
「勉強に行こうではないか」というイメージ。
そういうところに人を呼ぼうとすると、
まずは修学旅行を、という話がありますよね。
ところが、わたしは
「修学旅行は来てもいいけど、呼ぶな」と。
ノートを持ってくるようなものではいけないというので、
まず出展者のほうを説明したんです。
それが今のテーマ募集に重なるんです。
「まあこういうもんです」とかなりいいかげんに、
お笑いタレント的に話をして、
過去の歴史からもいろいろいった。
例えばピカソとマチスも、
有名になったのは博覧会だ、と。
しかし、今度のインパクは外国に例がないんです。 |
糸井 |
確かに。 |
堺屋 |
インパクは、日本発オリジナルなんです。
だからぼくは、これで日本の文化水準が
試されると思いますね。
日本発オリジナルの立派なソフトというのは、
独創性のあるものというのを考えると・・・。
日本の教育とは、いい子ちゃんをつくることなんですね。
いい子ちゃんというのは、欠点のないひと。
長所を育てるというよりは、
欠点をなくすほうが重点になります。
そのはじまりは、昭和16年の国民学校制度です。
わたしは昭和17年の入学で、国民学校2期生なんですが、
国民学校令というのは、これはナチスの制度の直訳です。
ポイントは、1学校1通学区域。
それと初等教育は原則として公立という2点です。 |
糸井 |
教える側からの管理システムですね。 |
堺屋 |
このふたつをやると、地域ごとに生徒が来ますから、
個性のある生徒が来ないんです。
つまり、いわゆる平均的に、
ひとつの地域で取ると、体育も、音楽も、算数も、
うまいひともへたなひとも全部いるんです。
「うちの学校は体育を重点にする」
とは言えないわけです。
必ずおんなじように教えてゆく。
その次に、できるだけ欠点をなくす。
だから今、お子さん、お孫さんが補習に行くと、
必ず、へたな、出来の悪い科目からですよね。
そうすると、人間というのは、
へたなものというのは嫌いです。
嫌いでへたな時間が増えていく。
好きで上手な時間が減るわけです。
当然、へたで嫌いな時間を長くして
必ず屈辱を味わせるんです。 |
糸井 |
みんなつらいんだ(笑)ということを
学んでいくわけですよね。 |
堺屋 |
そうすると、やがて会社に勤めても、
どんな辛抱でもするようになる。
みんなとおなじようにするから使いやすい。
こういうしかけなんですね。
それにも関わらず個性を失わないひとは
どんどん脱落していきます。
一流高校、一流大学には入れなくなる。
そういうなかで日本では、個性的な職業として、
それをはねのけて立派な文化を育てたひとたちが
3種類いるんです。
第1に、音楽。2番目に、漫画家。
そして、今のゲームソフト。
この3つは、世界を日本が圧しています。
カラオケとアニメ映画とゲームソフトに、
日本の優れた個性は集まっている。
そのかわり、それらの企業は
あんまり大企業にはならなかった。
1000人もいる企業はできないですね、
個性の強い人ばかりですから。
(つづく)
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