こんにちは。
はじめまして。
ほぼ日でインターンシップをしているマツザキです。
僕は東京の大学に通う学生で、
「ほぼ日の塾」の第一期生です。
3月11日をもって、
ほぼ日に入ってちょうど1ヶ月というところです。
インターンシップをするなかで、
ほぼ日の永田さんから、
「糸井さんと早野龍五さんが
福島第一原発の視察をしたときの様子を
録音したものの書き起こしテキストがあるから、
読んで感想を教えて。」
と言われました。
僕はそのテキストを読んで、
経験したことのない種類の疲れを感じました。
そのテキストには原発に関する話があるので、
専門用語がたくさん出てくるのですが、
それらを理解するために疲れたというのとは
違う種類の疲れでした。
「どうしてそんな疲れを感じたのだろう」
そう考えてみると、僕自身が、
「東日本大震災や原発事故に対して、
どう向き合っていいかわからないから」
という答えにたどり着きました。
というのも、震災当時、僕は熊本県に住む高校生で、
震災の被害を、実感として、全く受けていません。
当時僕はまだ東北に行ったことがなかったので、
テレビで被害の様子を見ながら、正直に、
「なんだか外国で起きている災害みたいだ」
と感じていました。
また、僕が2013年に上京してきたときには、
東京から震災の影響を感じることはありませんでした。
正確に言うと、震災後の東京だけが僕にとっての東京なので、
震災前と比べようがありませんでした。
大学に入学してからは、
震災当時に東京に住んでいた友人や先輩から
「震災のときは大変だった」という話を聞きました。
「あのときは電車が止まって、
家まで長い時間かけて歩いて帰った」との話や、
「大学の入学式がなくなった」といった話です。
そういう話を聞いて、僕はなにも言えませんでした。
震災を経験していない僕が、
「それは大変だったね」と同情するのも、
「へえ~」と1つの話題として聞くのも、
なにか違うように思えたからです。
僕には、日本で暮らす1人の若者として、
「震災のことを理解したい」という気持ちがあります。
けれども、一方で、
そうやって震災のことを勉強したところで、
「僕が震災についてなにか
行動する資格があるのだろうか」
という気持ちもあります。
それら2つの気持ちを抱えたまま、
僕はいまだに東日本大震災を、
自分事にも、他人事にも、できていません。
そういう迷いの気持ちが、
福島第一原発視察の
書き起こしテキストを読んだときの
不思議な疲れを
引き起こしていたのだと思います。
僕は書き起こしを読んだ感想として、
自分の抱えている迷いを
正直に永田さんに伝えました。
永田さんからは
「そういう迷いを持った人は、
マツザキのほかにもたくさんいるんじゃないかな。
だったら、だからこそ、
言えることがあるかもしれないよ」
との返事がありました。
それからは、
ほぼ日で過去に掲載された
震災についてのコンテンツを
片っ端から読みました。
震災について考えるにも
知らないことが多すぎる、と思ったからです。
コンテンツを読み進めていったから
なにか語れるようになったのか、というと、
そういうわけではありません。
むしろ、被災者の方のことを知れば知るほどに、
「当事者ではない僕に、なにが言えるのか」という気持ちが
前にも増して頭のなかをめぐるようになりました。
知れば知るほど、ぼくが東日本大震災について語ることは、
ほんとうに難しいことです。
ただ、震災について、
「難しい」という一言で
まとめたくありませんでした。
そう思って、過去のコンテンツを読んだり
自分と向き合っていくうちに、
「僕はどうしてこの5年間震災について
知ろうとしてこなかったのか?」
という疑問が生まれました。
そうして、考えているうちに
ひとつの答えに、たどり着きました。
僕は、おそらく、
「震災については、よくわからない」
という立場のままでいたかったのです。
その立場にいれば、
震災について多少軽々しいことを言っても
許してもらえるのではないか、
あるいは、語らないことも
許してもらえるのではないか、と
なんとなく思っていました。
しかし、今、僕は、
「震災に向き合いたい」と思いはじめています。
5年も経って、ほんとうに「いまさら」ですけど、
そう思っているのです。
それは「被災地のため」というよりは、
「自分のために」という気持ちのほうが、
正直、大きいかもしれません。
急に何か大きなことができるわけではありません。
まずは、「震災のことがよくわからない」ふりを
しない、と決めました。
知っていることは知っている、
知らないことは知らない、
知らないことは、知ろうとする。
そして、知ったことについて、
自分なりに考えてみる。
それでなにかできるようになったら、
やってみる。
そういう姿勢を持って
これからを過ごしていこうと思っています。
そして、具体的にひとつ、
みなさんにご協力をいただいて、
やってみたいことがあります。
「たぶん、マツザキと同じような人が、
日本にはたくさんいるんじゃないかな?」
そんな永田さんからのアドバイスを受けて、
メールを募集してみようと思うのです。
僕と同じように
「震災を実感していなくて、
東日本大震災を
自分事にも、他人事にもできていない人」
からのメールを募集してみます。
いただいたメールは、もちろんすべて読みます。
(あとでなにかのコンテンツに
させていただくかもしれません)
「まだ考え中」という人は、
その考え中のことでもかまいません。
震災とうまく向き合えないからこそ、
こういう募集があってもメールできない、
という人がほとんどかと思いますが、
どのようなメールでもけっこうです。
どうぞ、よろしくお願いします。
今はまだ、主にほぼ日のコンテンツを通してでしか、
震災についてわかっていないのですが、
これからも「知っていること」の範囲を
広げていくつもりです。
その過程で、東北でできたものを使ったり、食べたり、
実際に東北に足を運んでみることもあるかもしれません。
「知っていることに正直になって、さらに知ろうとする。
そしてそれについて考え、できることをする」
これが今の僕の選択です。
今年の3月11日は、たまたまですが、
熊本の実家にいる予定です。
まずはそこで東日本大震災で亡くなった方に向けて
黙祷をささげようと思います。
実は、僕はまだ、東日本大震災で亡くなった方へ
黙祷をささげたことがありません。
「黙祷をささげるほど、
本当に亡くなった方のご冥福を祈っているのか。」
と、心から黙祷を捧げる気持ちに
なりきれていなかったからです。
でも、震災について考えることに
自分なりに真剣に向き合ってきた今は、
黙祷をささげることができると思います。
それを僕の最初の「できること」として、
これからも震災について考えていきます。
ここまで読んでいただき、
どうもありがとうございました。
最後に。
5年後の今になって東日本大震災について考えるうえで、
ほぼ日の震災についてのコンテンツを
たくさん読みました。
そのなかには、考えをすすめるたすけになった
コンテンツがいくつかありました。
僕と同じように、
今から震災について考え始めようという人、
あるいは、
たくさんある震災コンテンツのなかで、
どれから読んでいいかわからない人。
そういう人に向けて、というわけでもありませんが、
もしかすると役に立つかもしれないので、
僕が考えを進めるうえで
参考になったコンテンツを紹介します。