石坂 |
映画ですばらしいのは、
役者がみんな、
監督めがけて芝居するところだと思う。
役者は、
映画の時には、
レンズもスタッフも
見えなくなりますからね。
監督の顔つきを見るし、
直接には見えなくても
どこかで感じているわけでしょう?
ひとつでも頷きがあれば
「うわぁ、やった!」
と思うわけじゃない。
日本の何パーセントの人に
届くだろうかなんてことは
考えていないのがいい……。
だって、そんなことはどうでもいいから。
テレビは、そういうことが
なさすぎると思うんです。
安易にスタッフが笑ったり
手を叩くようになってから、
ダメになる一方ですよ。
笑うぐらいコワイものはないですよ。
これは三谷幸喜さんが言っていたんだけど、
お客さんが笑うことによって、
役者は簡単にダメになると。
ちょっとよく笑う女子学生を相手に
二、三回やったら、
もう芝居なんてめちゃくちゃだそうです。
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糸井 |
つまらないお笑いの子は、
みんなそこでダメになりますよね。
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石坂 |
テレビが生まれて、
ドラマがドラマらしくなりはじめた頃、
ぼくにとってはありがたいことに
五社協定というものがありまして、
映画の俳優は
テレビドラマには出ていけなかったんです。
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糸井 |
五社協定は、
松竹、東宝、大映、新東宝、東映が
自社専属のスタッフと俳優を
他社に貸し出しすることを
禁じたものですよね。
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石坂 |
そこで、
テレビが目をつけたのは
新劇だったんですけど、
新劇だけでは
まかないきれなくってきたんです。
なぜかというと、
その五社のあとに日活が出てきて、
日活が新劇俳優……
金子信雄さんだとかを、
ある程度、抱えこんでいたんです。
ただ、五社協定もかわいそうで、
大部屋さんと呼ばれた脇役俳優さんも、
通行人も、セリフがひとことふたこと、
あるかないかぐらいの人たちでも、
契約役者みたいにいわれて
拘束されていたんです。
一切、他社で仕事をしてはいかんと。
そういうなかで
テレビドラマをNHKがはじめた、
TBSがはじめたというふうに
どんどんなってきたわけで、
テレビも最初は講演会みたいな
番組ばかりだったんです。
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糸井 |
(笑)……いや、
そんな頃のテレビはぼくも知りません。
この会話を読む人は、
きっと誰もわかっちゃいない時代です。
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石坂 |
だいたいが、講演会と、スポーツ中継で。
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(つづきます)
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