糸井 |
ぼくが小さい頃に見て
おぼえているドラマって、
『日真名氏飛び出す』
というものぐらいで……
あの頃は、まだ、
石坂さんも、小さかったですよね。
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石坂 |
いや、ぼくはその
『日真名氏飛び出す』
が終わった後の番組に、もう出てた。
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糸井 |
(笑)え? そんなに前から?
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石坂 |
だから、古いんですよ。
『日真名氏飛び出す』の次が
『泣くなマックス』(一九六二年放映)
というドラマで
ぼくはそれに出ていました。
そういえば、
『日真名氏飛び出す』って、
あの頃、まだ、
生コマーシャルでしたよね。
もちろんドラマは生でしたし。
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糸井 |
(笑)そうでした。
生のドラマ、っていうだけで、
今の若い人は笑うんですもんね。
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石坂 |
当時、生のドラマだったから、余計に
「映画の人は、テレビには向いてない」
ということになっちゃったんですよね。
「ごめんなさいが、きかない世界です」
ということになったわけ。
五社協定がだいぶゆるくなっても、
映画の人が出なかったのは、
そのせいだったんです。
テレビがVTRの時代に
ようやく映画俳優たちが出るようになった。
それまでは、舞台出身者や、
舞台経験のある人が出ていて……。
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糸井 |
舞台だったら生でもできるわけだ。
セリフをぜんぶおぼえているし。
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石坂 |
スタッフの方は、勝手にそう思うわけだよ。
だって、作る方も
あんまり知らなかったわけだから。
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糸井 |
当時の「作る側」は
どういう人たちだったんですか?
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石坂 |
元NHKの、
テレビの初期の頃の人たちが、
大量に民放に流れていきました。
たとえばカメラマンだった人が、
フジテレビに行って
ディレクターになったとか。
現場を知っているということが
すごく大事だったんです。
生放送の場合は、
カメラケーブルをどこから出すかだけでも
ノウハウが要ったから。
カメラケーブルの出しかたを
まちがえてカット割してしまうと、
ケーブルの線がこんがらがって、
カメラが動けなくなって、
放送が途中で終っちゃうんだよ。
そこを、慣れている人が
カット割をすればうまくいく。
「このシーンは、
2カメのケーブルを
3カメの上に通せばオッケー」みたいに。
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糸井 |
建築現場みたいですよね(笑)。
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石坂 |
ほんとにそうだった。
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糸井 |
作品を撮るだとかなんだとかじゃなくて……。
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石坂 |
映画とは、まったく違うジャンルです。
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糸井 |
ダンドリをできるかできないか。
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石坂 |
そうです。
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(つづきます)
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